第30話:挿絵あり
人為的な洪水から数日後の冬晴れの朝、要塞城壁上に三人の男女が居た。洪水で荒れ果てた大地を眺め、天気とは裏腹に陰鬱な表情を浮かべている。少女もまたその一人だった。
「グッチャグチャだな」
「グッチャグチャね……」
「グッチャグチャだねぇ」
ヴォルフが沈痛な表情を浮かべている。戦争には勝利したけれど、以前のような朗らかな笑顔はまだ見られない……まぁ無理もないわね、戦争って勝った後の方が忙しいし。ましてや今回は水攻めで滅茶苦茶になった大地を復興させないといけないのだから、こうなると何から手をつければ良いんだろう……。
「まずは人員配置を決めるか」
「って言っても、もうロジャーしか残ってなくない?」
フィオナちゃんの言う通り、クリストフおじさまやベルモンド殿、カーティスさん、シリウスさんは軍勢と避難民を引き連れて国境に出立した。彼らは国境を固めながら要塞群を整備しつつ、焦土作戦で破壊した村落を復興しに行ったのだから、この戦場跡地の復興を指揮出来るのは私たちとロジャーしか居ない。昨日合流したロジャーは休む間もなく戦場跡地の片付けを指揮させられている。まぁ睡眠と食事はしてるけど、少し気の毒ね。
「とりあえずアレックス殿とブライアン殿を呼ぼう」
「……大丈夫なの?兄上は過労死するってぼやいてたし、王都の行政が滞らない?」
「確かに、彼らは戦勝の宴にも参加せずに仕事してたらしいしな……まぁ酒飲んでたら仕事が溜まるし、翌日仕事に圧殺されるよりマシって言ってたとか」
『えぇ……』
兄上の気持ちも分からないことはないけれど、なんかこう……人間としての尊厳を投げ捨ててないかしら。大丈夫なのかな、色々と。そしてヴォルフは顎に手を当たながら岩や土砂、流木が散乱する大地を見ながら口を開く。宰相秘書になってから一緒に居られる機会が増えたけれど、思案にふける彼は絵になる。見飽きる事はなさそうね。
「一応どうにかなるだろう。大学一期生を根こそぎインターン動員令出したから、経験はともかく行政実務機能は格段に上がるはずだ」
「いきなり仕事漬けかぁ……あの子たちも大変だねぇ」
「まぁ乱世なんでね」
「乱世は免罪符じゃないと思うわ」
そもそも乱世じゃなくてあなたのせいよ。確かに、ヴォルフが整備した幼年学校と大学の卒業生ならば即戦力だろう。読み書き計算どころか、三角関数や課題分割、計画立案と実行にその評価、微積分?とかナントカ関数とか、何に使うのかわからない技法まで教え込まれた子たちなんだし。そのほとんどが孤児院出身だけど、ヴォルフ式の教育を受けると天才まみれになるのね……。
「専門教育や職人養成しといて良かったよ。アレックス殿もそうだが、私も過労死せずに済みそうだ。セレナもあまり無理するなよ?」
「そうね……それなら仕事をかき集めるような振る舞いを是正したらどうかしら」
「それは無理だ。後々仕事が膨らむくらいならばさっさと片付けた方がはるかにマシだよ」
「そうは言うけどねぇ……ヴォルフくんは働きすぎじゃない?」
「そうか?」
フィオナちゃんが苦言を呈するけど、ヴォルフには伝わらなかったみたいね。命懸けで仕事に打ち込んでいるようにしか見えないけれど、なんでそれが当たり前みたいに振る舞うのかしら。兄上もそうだけれど勤勉な奴隷みたいね。思い返せば大学生達も似たような感じだったような……もしかして彼が整備した教育機関は、尊厳みたいなのを破壊するヤバい施設なんだろうか。私がぼんやり考えているうちに、彼は命令書を書き上げたようだ。
「伝令!この命令書を伝書鳩で王城に送れ」
「はっ!」
可哀想な兄上……また白目剥きながら部下達に引き継ぎをして、早ければ今日中にはここに来るのだろう。
***
寒さが骨身に染みる冬の朝。シャーリー家に仕える忠義の男は泥だらけの手を止め、荒涼とした景色に目をやった。かつて広がっていたであろう肥沃な農地は見る影もなく、泥濘んだ土砂が大地を覆っている。排水路の掘削作業に借り出された彼は、土砂を崩す度に、帝国の栄光が崩れ去る幻影を見るような気がしてならなかった。
「手を止めるな、ライナス!」
隊長の怒声が飛ぶ。反射的に手を動かし始めると、指に触れる冷たい泥の感触が再び現実に引き戻した。皮肉なことに、命を救われた自分たち捕虜の唯一の仕事が、この破壊された大地を復興することだとは。一体俺は何を間違えた?そう思いながら顔を上げると、数人の影が視界の端に映った。要塞の高台から降りてきたと思われる彼らは、統治者らしき装いをしていた。ヴォルフと呼ばれる指導者に違いない。噂では、冷徹でありながら聡明な若者だと言われている。だが、敵国の捕虜である俺にとっては、その聡明さがどれほど憎らしく思えることか。
「あ、ルーブル将軍と互角に闘ってた人だよ」
隣で作業をしていた同僚のアドルフが唇を曲げて呟く。だが、俺は答えずに視線を逸らした。自分には、ヴォルフがただの化け物には見えなかった。あの若い指導者の眼差しには、冷たさと同時に、どこか計り知れない何かが宿っている。希望か、絶望か、それとも別の感情か__敗者の俺には答えを知る術はなかった。
高台から降りてきた白髪の男たちは、泥まみれの捕虜たちを見渡しながら歩いてきた。彼の背後には、勝ち気なようで落ち着いた雰囲気の少女と、朗らかな赤い髪の少女が従っている。三人の姿はどこか異質で、他の兵士たちとは明らかに一線を画していた。捕虜たちは皆、無言で作業に戻るか、ただ視線を伏せるばかりだったが、俺は知らず知らずのうちにその様子を目で追っていた。
ふと、白髪の男が作業現場の端で立ち止まり、堆積した土砂を指差した。
「ここを重点的に掘らせろ。水流を制御しないと、次の雨でまた崩れるぞ」
「かしこまりました!」
彼の声には、冷静さと威厳が滲んでいる。命令を受けた兵士が急ぎ足で立ち去ると、白髪の男はしばらく現場を見下ろしてから、何かを考えるように視線を巡らせた。その目は、遠く彼方にあるものさえ見透かしているようだった。あいつは……何を考えている?そう思うと微かな苛立ちが湧き上がった。帝国の兵士として、この若き敵国の指導者の冷静さをただ認めるわけにはいかない。それでも、自分には理解できないほどの力を持つ人物を前に、妙な敗北感を覚えるのを止められなかった。
すると、赤い髪の少女がアドルフたち捕虜の方をちらりと見た。彼女の目が一瞬、アドルフのものと交差する。彼女は無言だったが、その視線には明確な感情が宿っていた──同情か、軽蔑か、それともただの興味か。何にせよ、俺達は奴らにとってただの道具だ。自分が帝国のために戦い、忠誠を誓った結果がこれなのか?俺は歯を食いしばり、再び手元の土を掘り始めた。その指には、冷え切った泥の感触が粘りついていた。
「ねぇヴォルフくん、みんな寒そうじゃない?」
「そうなんだが、やむを得ん。春までに水抜きして大豆と大麦を植えて土壌改良したいから、急がないとな」
「その後は水田稲作するの?」
「うん、ここはゆくゆくは水路になる。楽しみだな」
やはりあの白髪がヴォルフか。女性を侍らせながら俺達を見下すクソ野郎かと思ったが、ヴォルフくん呼ばわりは何だかイメージが崩れるな。存外自然体な様子から毒気が抜かれそうになるが、気を引き締めて敵愾心を維持する……奴らの会話に聞き耳を立てていると、隣で穴を掘るアドルフが声をかけてくる。
「ねぇライナスさん、水田稲作って何かな?」
「野蛮人の農法など知らん」
「そっかぁ……でも気になるね!」
アドルフがやたらキラキラした目で俺に言う。俺は全く興味が無いが……そういえば彼は農村出身と聞いたな。しかし、なんでコイツはこんなに元気なんだ。無視して岩をてこの原理で転がしていると、影が差した。いつのまにかヴォルフ達が近づいていて、こちらを見下ろしている。
「君、水田稲作が気になるのか?」
「は、はい……とても気になります」
「ふむ」
ヴォルフが刺すような目線でこちらを見やる。全てを見透かしたような視線を認められず、俺は奴を睨み返した。そうしていると、奴は笑顔を浮かべてこう言った。
「そうかそうか!昼飯は水田稲作で作った米で握り飯を供するので楽しみにしておけ!温かい味噌汁も用意するぞ!」
「は?」
「はい!楽しみです!」
「おいアドルフ……」
「ライナスさん、お昼目指して頑張ろう!」
……いちいち毒気が抜かれる。なんでコイツはこんなに元気なんだ。なんだかドッと疲れたが、次に放たれたヴォルフの言葉に吹き飛ばされた。
「よし、昼休憩の時に彼らの隊を連れて来てくれ。せっかくだから会食するとしよう」
『えっ』
俺たち何されるんだ。食われるのか?
***
「ご苦労様。進捗はどうだ?」
ヴォルフの低く穏やかな声が聞こえた。また来たのか……俺は作業を止めずに顔を上げることもせず、ただ黙々と手を動かした。捕虜の身分である以上、下手に目立つのは得策ではない。だが隣のアドルフは違った。泥だらけの顔でヴォルフを見上げると、笑顔を浮かべてこう言った。
「順調だと思います!でも、大きな岩が多いので、少し時間がかかりそうです」
その言葉にヴォルフは微かに眉を寄せたが、怒る様子はない。ただ、周囲の地形を改めて観察し、軽くうなずいた。
「そうか。ここは元々川沿いの土地だから、地中に岩が埋まっているのは想定内だ。無理せず進めてくれ。工具が足りなければすぐに言えよ」
ヴォルフの口調には、意外なほどの冷静さと配慮が感じられた。アドルフは目を輝かせながら「はい!」と答え、再び作業に戻る。俺はその様子を横目で見ながら、心の中で舌打ちをした。
「何が『無理せず進めろ』だ。俺たちを奴隷扱いしておいて、よくそんなことが言えるな」
そう思いながらも、表情には出さずに作業を続ける。捕虜とはいえ、反抗すれば罰が待っている。俺は歯を食いしばりながら、沈黙を保つことしかできなかった。だが、ヴォルフはそんな俺の内心など知る由もないまま、しばらく様子を見てから背後の赤髪の少女に声をかけた。
「フィオナ、道具の補充を確認してくれ。ここは進捗が遅れると厄介だからな」
「了解!でも、ライナスさんたちにはちょっと休憩させたら?さっきから寒そうだし、働き詰めじゃバテちゃうよ」
「……それもそうだな」
意外な言葉に驚いた。ヴォルフはしばらく考え込んだ後、捕虜たちを見渡して短く命令を出した。
「三十分の休憩を取れ。その間に温かい茶を配らせる。体を冷やすなよ」
一瞬、現場全体がざわついた。捕虜である俺たちに休憩が与えられるとは思わなかったからだ。アドルフは「やったね!」と満面の笑みを浮かべ、俺の肩を叩いた。俺は戸惑いつつも、掘っていたスコップを地面に立てかけ、ようやく立ち上がる。
「……何を企んでいるんだ?」
呟いた声は誰にも聞こえない。だが、その疑念は簡単には消えそうになかった。
そして休憩中、捕虜たちは配られた茶で冷えた体を温めていた。湯気の立つ茶は香ばしく、思った以上に体の芯まで温まる。だが俺は、そんな状況でも気を抜くことができなかった。
「ライナスさん、このお茶、美味しいね!」
「ああ……」
曖昧に相槌を打ちながら、俺は遠くで談笑するヴォルフたちの姿を見ていた。敵であるはずの指導者が、こんな形で俺たちに気を遣う理由が分からない。単なる偽善か、それとも別の意図があるのか。どちらにせよ、彼を信用するつもりはなかった。
──だが、それでも。俺の心の奥底で、ほんの僅かに動揺が生まれているのを自覚していた。この冷酷で聡明な指導者は、本当に敵なのか?それとも……?
いや、まだだ。まだ判断を下すには早い。俺は帝国の兵士として、この男の本質を見極めなければならない。
冷えた大地に足を踏みしめながら、忠義の男は困惑していた。戦争は終わったが、彼の戦いはまだ続いている。




