99 誰かを守る力
「これでいいの?」
リディアはガレンの家に来ていた。ノエルから受け取ったのは、魔法陣が描かれた紙たち。
「あぁ」
ノエルが頷く。
「ありがとう」
それを鞄に入れ、リディアは振り返った。
「ごめんなさい」
ノエルにとって、敵に塩を送るような気持ち。それでも、リディアの願いを聞いてくれた。
「いや」
リディアの謝罪に対して、ノエルが首を振る。
「それがお前のためなんだろ」
「そうね」
国のため、ではなく、リディアのため。そう言って、ノエルから研究成果を奪う。心が痛まないはずはなかった。
「もっと強い武器を作る。そしてマフィアに流す。そしたら、そんなもの、ゴミにしかならないだろ」
「もうマフィアは憲兵と対立しないわよ」
リディアの呆れに近い苦笑に、ノエルは答えなかった。
*
「ジュリアン」
下町から貴族街に戻ったリディアは、その足で公爵家を訪れる。
「持ってきました」
「ありがとうございます」
それを差し出す時、胸がチクンとした。今ならまだ引き返せる。やっぱり渡せない、と言えば、彼は無理やり奪うことはしない。
「リディア?」
紙から手を離そうとしないリディアに、彼が不思議そうに見上げる。
「……これは、あの子が頑張った証なんです」
リディアはそう告げた。
「魔法陣を解析して、改良できるように研究して、たくさん失敗しながら作り上げたものなんです」
「わかってます」
彼の手が伸びてきた。頬に触れた優しい温もりに、鼻の奥がツンと痛む。
「リディア、それを暖炉に投げ捨ててもいいですよ」
ジュリアンが言った。
「あなたにそんな顔をさせるものなんて、この世にない方がいい」
リディアを気遣っての言葉だろう。それは痛いほどわかった。
「これが、あなたのためになることはわかっています」
だから、リディアはそっと差し出した。
「でも、職人がわたしのために頑張ってくれたものでもあります」
リディアの手に、ジュリアンが手を添える。
「どうか……」
「大切にします」
その言葉に、指の熱に温められて、紙を握る手が緩む。
「悪用はさせません。もちろん、あなたの大切な人を傷つけるものにもしません」
それを聞いて、リディアはそっと手を離した。
「これは、私がブラックリリーから買い取ったことにします」
「……はい」
これは当初の予定通り。リディアがリリーだということが知られないように、ジュリアンが工作してくれる。
「騎士団に転用できれば、防衛力があがります。この国を、あなたの大切な人を守るために、役立てられます」
リディアは頷いた。その口は、言葉が出ないように固く結ばれていた。
ノエルから預かったのは、基本のアッシュラインの他に、閃光弾や煙玉を出す投擲銃、シルバーグレイス。そして、軽くて連射性能のあるヴァルチャーの3つ。
リディアが持ち歩くファントムシェルを含めたほとんどのものは、今後も裏社会にのみ流されることになった。
それでも、ノエルが作ってくれた3つの武器は、リディアにとっても愛着があるものだ。
ジュリアンは、リディアを尊重してくれるように、その仲間たちさえも尊重してくれる。だから、きっと悪いようにはならない。
「そういえば、母上があなたに会いたいと言っていました」
ジュリアンが空気を変えるように明るく言った。
「何か計画しているんですか?」
「えぇ」
リディアが頷く。
「仕方なく犯罪に手を染めてしまった人の更生施設を作りたくて」
それは、リディアの新しい夢だった。
「公爵夫人と相談して、他の貴族家にも協力をお願いしているところなんです」
「いいですね」
ジュリアンが目を細める。
「どんなことをさせるんですか?」
「犯罪に手を染める原因として大きいのは、生活に困ることです。仕事がなかったり、いろんな理由で働けない人たちが、お腹が減ってパンを盗んでしまうんです」
小さなパン1個。それだけで、後戻りのできない地獄へ引きずり込まれる。それをリディアは知っていた。
「だから、まずは読み書きや簡単な計算。これができるだけで、仕事の幅が広がります」
識字率向上という大層な目標じゃない。まずは、働くために必要なところから。
「それから、職業訓練。希望に沿った職種にあった技術を教え、斡旋まで行います」
「やっぱり、あなたは優しい人だ」
ジュリアンがそう言った。
「まだ理想の段階です。うまくいくかもわかりません」
「それでも、国が考えられなかったこと、考えていても行動に移せなかったことを、あなたはやろうとしてくれている」
彼の眼差しは優しく、ガラスに触れるように彼の指が頬を撫でる。
「感謝します」
その言葉が、じわり胸に響いた。
「……ジュリアンが、機会をくれたからです」
リディアは静かに答えた。
「あなたがいなければ、わたしは処刑されていました」
「リディア、あなたを救えてよかった」
優しく抱きしめられるその腕を、リディアは拒否しなかった。
「あなたをこうして抱きしめられることが、俺の人生で1番の幸せな瞬間だと思います」
彼の心臓の音が聞こえた。その規則的な音に、心が落ち着いていく。肺を満たす彼の匂いと、外側から包み込まれる優しい温もりは、リディアの心を満たした。




