100 祝福の鐘
大きな鐘の音がする。その鐘の音に耳を澄ますように、リディアは窓の外に目を向けた。
純白のドレスに身を包んだ彼女に、
「リディア?」
父が声をかける。
「緊張しているのかい?」
「……いいえ、お父様」
そう首を振り、リディアは父と兄に目を向ける。
「お父様、今まで育ててくださって、ありがとうございました」
軽く膝を折ったカーテシーで、父に礼を告げる。
そして、兄。口を結び、苦い顔をしている彼に、
「お兄様」
と呼びかける。
「大好きです」
それは、小さい頃、口癖のように言い続けた言葉。それを兄も覚えていたのか、目を丸くして驚く。
「シリル、先に会場に行こう」
父がそう言って、兄を連れ出した。
リディアもその部屋を出て、会場の前に向かう。その扉の前に、彼がいた。
「リディア」
パッと嬉しそうに振り返った彼は、その姿を見て固まった。
「……綺麗だ」
「ジュリアンも、素敵です」
「違う。そんな軽いものじゃないんだ。リディアはもっと」
「わかってますから」
彼の言葉が軽いなんて、思ったことはないのに。リディアの言葉は軽く聞こえてしまうのだろうか、なんて考える。
「行きましょう」
「あぁ」
彼の腕に手を添える。大きく開く扉を潜ると、たくさんの貴族が並んでいた。
そこに、リディアの仲間たちの姿はない。貴族の結婚式に、平民は参列できない。どんな関係値があったとしても。
だから、彼らにとっては、この鐘の音がリディアの結婚の証だった。
貴族の数は、想定よりもずっと少ない。この前の摘発で、多くの貴族が捕まり、爵位剥奪、お取り潰しになった家門も多いから。
かつて恋敵のように絡んできた彼女の姿も、そこにはなかった。
捕まった貴族の多くが貴族派だったこともあり、筆頭だったシャルマン公爵家も無事ではいられなかった。一家揃って謹慎。そしてその後は侯爵位に落とされるらしい。
同情はなかった。貴族の派閥争いに負けたものとして、当然の結果だ。
現状貴族家のトップとなる公爵家嫡男の結婚式は、それはもう華やかに、盛大に行われた。
*
「公爵様、公爵夫人、これからよろしくお願いいたします」
結婚式を終え、リディアは義理の両親に挨拶する。
「そんなよそよそしい呼び方はしないで。お義母様と呼んでちょうだい」
公爵夫人は歓迎してくれて、そう言ってくれた。
対して公爵の方は、相変わらず感情がわからない。息子の結婚式なのに、表情ひとつ変えていなかった。
「あなたの事業も楽しみにしているわ」
「光栄です。リュセール公爵家の一員として、必ず成功させます」
今後、リディアの成果は、全て公爵家の成果として受け取られる。それは同時に、失敗もちゃんとカウントされるということ。今までのように安易な挑戦はできないのだ。
「リディア、そろそろ部屋に」
隣に座っていたジュリアンが、リディアの手を取る。
「あらあら」
それを見て、公爵夫人が目を細める。
「失礼いたします」
義理の両親に挨拶をして、新婚夫婦の部屋に入った。
「リディア」
「ちょっと待ってください」
抱きしめようとする夫の腕をすり抜けて、リディアは机に向かう。
「何をするんだ?」
「ガレンに伝えておきたいことがあったので」
伝書魔法で飛ばすための手紙を書く。ノエルが一緒に暮らし始めたことで細かい指示が手紙でできるようになった。それに、ガレンもリオと一緒に読み書きの勉強をしているらしい。これでリディアが下町に出なくてもなんとかなる。
「さっきまで更生施設の話をしていたのに」
ジュリアンがそう笑った。
表の事業の話をした直後に、裏の事業の指示を出す。そんな二重生活はまだ始まったばかりだ。
窓から伝書魔法を飛ばすと、直後、ジュリアンに抱き寄せられた。
「リディア」
「なんですか?」
今度はその手から逃れず、大人しく抱きしめられる。
「……このまま閉じ込めてしまえたらいいのに」
耳元でおそろしい言葉が聞こえてきた。
「それは困ります」
「でも、そうしないといつかどこかに行ってしまいそうだ」
意地悪や怒っているわけではなくて、ただ寂しそうな声。
「何度愛してると言っても、リディアには伝わっていない気がする」
ふと、疑問を持った。
「言われてませんわ」
そして、そう吐き出す。
「愛してるって、一度も言われてません」
「そうだったか?」
思えば、その言葉を彼の口から聞いたことはなかった。
「愛してる」
すると、彼はリディアの耳に口を寄せ、低い声でつぶやく。
「愛してるよ、リディア」
吐息が耳にあたってくすぐったい。そして、それ以上に胸が苦しい。
「愛してる」
「もういいです!」
彼の腕からするりと抜けて、距離を取った。
「ほら、逃げていくじゃないか」
「それはジュリアンが……!」
顔に集中する熱を逃がすように、リディアは彼から目を逸らす。
「俺にだけ言わせて、リディアは言ってくれないのか?」
ずるい、と思った。
「……愛してます」
彼の目を見て、リディアは告げた。
その瞳が、嬉しそうに細められる。ジュリアンはリディアを抱き寄せて、
「かわいい」
と呟いた。
「リディア、かわいい」
「もうやめてください」
そんな恥ずかしい言葉を連呼しないでほしい。
リリーとしてマフィア相手に冷静に商談に臨むリディアが、彼の前では冷静になれなかった。
「愛してるよ、リディア」
「わかりましたから……っ」
言われてない、なんて言わなきゃよかった。彼の言葉での攻撃を受けながら、リディアはそう思った。
END




