94 プロポーズ
「ありがとうございます」
リディアが差し出した大量のリストを、彼は笑顔で受け取った。
「もうそちらはいいのですか?」
リディアの意思で止めていた家門への制裁ももう済んだ。
「えぇ。あとは正当な裁きを」
「わかりました」
リディアもノエルも、これ以上の私刑は望まない。あとは国に任せるだけだ。
リストをぱらっと捲ったジュリアンの顔が、わかりやすく歪む。清廉潔白とまではいかない彼でも、思わず顔を歪めたくなるリストか。
「リディア嬢、お礼をさせてください」
彼はそう言ってリストをそばに置いた。現実逃避だろうか。
「必要ありません。こういう約束でしょう」
ビジネスパートナー。彼の捜査に協力すると決めた時点で、こうなることはわかっていたはずだ。
彼から感じるのは、ビジネスパートナー以上の好意。そして、リディアが彼に抱いている感情も、それに限りなく近いもの。だからこそ、彼の執務室という場に、私的な感情は持ち込みたくなかった。
「リディア嬢は何を望みますか?」
彼が聞いた。
「このリストのことでもいいんです。無期懲役や死刑を望むなら、そうなるように仕向けます。自宅に軟禁でもいい。その方が暗殺しやすいですから」
「ジュリアン様」
彼の言葉を、リディアが止める。
「それでは、そのリストにある人々と変わりません」
「……それも、そうですね」
彼は清廉潔白ではない。リディアの家族と違って、清濁併せ呑んできた人だ。
リディアだってそうありたいと思ってきた。家族のように綺麗なところだけ見ていては、残酷な結果が待っていることが、わかっていたから。
しかし、暗殺や奴隷売買なら、正当なルートで処分されるように持ってきた意味がない。
「メアリウス子爵はいいのですか?」
彼の目が、優しく細められた。心の底からリディアを気遣う目だった。
「かまいません」
リディアの最大の敵であり、かつてリディアの家族を惨殺するよう命じた人物。
「彼はもう裁かれるのでしょう」
リディアの手で裁きたくて渡した毒を、彼はジュリアンを暗殺することに使った。その結果、公爵家嫡男の暗殺未遂事件の主犯として捕らえられている。
牢屋に捕らえられてしまった男に、リディアはもう手出しできない。
「彼は、まだ罪を犯していませんから」
リディアの家族が奪われたのは前世のこと。個人的な復讐をする理由は、もうなかった。
子爵がギャングに命じて奪われた命は、きっと少なくない。しかし、その中にリディアの家族はいないのだ。
「リディア嬢」
その時、ジュリアンの手が伸びてきた。その手が、優しくリディアの手を包む。
「どうして、そんな顔を?」
「……どういことですか?」
「悲しそうな、怒っているような……今にも泣いてしまいそうな顔でした」
そんな顔をしていたのか。リディアは慌てて表情筋に力を入れ、
「なんでもありません」
と答える。
「わかりました」
彼はそれ以上聞いてこない。それが嬉しかった。
前世で家族を殺された。なぜか戻ってきて、そうならないように動いていた、なんてこと、説明してもわかってもらえないだろうから。
「メアリウス子爵は極刑になると思います」
「そうですか」
罪の重さを考えれば、それが妥当だろう。
「貴女の責任ではありません」
「わかっています」
彼の言葉に、リディアは顔をあげる。
「今更そんなものに責任を感じる女だと、お思いですか?」
その挑戦的な笑みに、ジュリアンが寂しそうに微笑む。
「貴女は、お優しいですから」
その笑みが、優しくて。リディアは思わず視線を逸らした。
「……違法に武器を作って売っていた女ですよ」
「そうしなければならない理由があったのでしょう」
その理由は説明していないのに。彼は、まるで全てわかっているかのように、リディアの感情に寄り添ってくれる。
「本当なら、わたしも裁かれるべき人間です」
「いいえ。貴女は有益な情報を流してくれた。司法取引で刑を軽くすることも、失くすこともできるほどの情報です」
彼の手の温もりが、指の先を温めてくれる。その温もりが気持ちよくて、リディアは彼を見上げた。
「リディア嬢、これが終わったら、私の家族に会っていただけませんか?」
彼は笑っていた。その明るい笑顔が、今までの暗い空気を浄化するようだった。
「それから、リディア嬢のご家族も紹介してください」
プロポーズだった。愛の言葉も「結婚」という言葉さえも使わない、彼らしい言葉での提案。
「わかりました」
だから、リディアも事務的に答えた。
「楽しみです」
彼が華やかに笑うのを、リディアは見つめた。
綺麗なところも汚いところも知っている彼は、どうしてこんなに明るく笑えるのだろう。無垢な少年のような笑顔に見えるのだろう。
「……兄が、失礼なことを言うかもしれません」
それが不思議で、でもどう言えばいいかわからなくて、リディアはそんなことを言った。
「ずっと反対しているんです」
「では、説得できる言葉を見つけておかなければいけませんね」
まるで兄の気持ちを知っているかのように、彼は動揺しなかった。
「父は、……わかりませんが、きっと無礼はしないと思います」
「プレゼントを持っていきます。ワインはお好きですか?」
先ほどまでの重苦しい空気が嘘のように、柔らかい雰囲気になっていた。




