93 黒百合と情報の女王
「ヴィクターさん、お願いを聞いていただけませんか?」
その日、リディアはリリーの姿で下町に出ていた。まず訪れた酒場で、リディアは金貨を積む。
「情報を売っていただきたいんです」
表情を変えないヴィクターに、リディアは堂々と告げる。
「貴族について。知っていることを全部話してください」
ヴィクターの眉がわずかに動いた。なんのつもりだ、と。
「ご安心を。敵対するつもりはありませんわ」
「……貴族は収入源だ。叩くつもりなら、教えられない」
マフィアにお金を渡している貴族がいるのも問題だが、それはリディアも同じだ。
「叩く必要があるか判断するためです」
リディアは怯まず、静かに告げる。
「国庫から出されているお金なんて、あなた方も使いたくはないでしょう?」
「貴族を潰すか」
ヴィクターはふっと笑う。
「お前はその権力を持つ貴族なのか?」
今まで、きっと気づいていながら、彼はリディアの素性について口にしなかった。
「……ふふ」
リディアは答えない。ただ微笑むだけ。その笑みの理由は、勝手に推測すればいい。
「我々が持っているのは、金を貸している貴族のリストだけだ」
「十分有用ですわ」
マフィアに借金をしている貴族。不正かどうかは調べればわかる。借金をしているという事実だけで恥と感じる貴族にとって、国にその事実を握られるのは困るだろう。
これを小公爵に渡せば、国が貴族を管理できる。借金も不正もしていないアルセイン伯爵家には痛くも痒くもない問題だ。
「国に売って逃げる気か?」
ヴィクターがバサッと紙の束を投げ捨てる。
「いいえ」
リディアはそれを拾いながら答える。
「そんなことをして、わたしになんの得が?」
「国から報奨金でももらえばいいだけだ」
「お金なんてほしくありませんわ。そうじゃなければ、こうして配って回りません」
情報料として多額の金貨を大盤振る舞いするような人が、報奨金目当てにマフィアを売るとは思えないはず。
「では、最近武器や薬を売らないのは、なぜだ?」
「準備をしているだけです」
リディアの答えに、ヴィクターがさらに問う。
「何を企んでる」
「何も」
企み、なんて。そんな大層なものじゃない。
「ただ少し、形が変わるだけですわ」
リディアはそう微笑んだ。
*
グレイウルフからも貴族の情報を買い、続いては本命、シャドウドラゴンの宿屋に来た。
他のマフィアでさえも頼るという情報の宝庫。リディアが最も苦手とするシャルカというボスが、どこまで許してくれるか。
異国のお香が充満するその空間で、リディアはシャルカと対峙する。
「ごきげんよう、シャルカさん」
「えぇ。あなたも元気そうね、リリー」
見目麗しい少年たちがリディアのそばに集まるのは、シャルカの指示だろうか。その様子を楽しそうに眺めるシャルカを見て、リディアは少年が注いでくれたお茶に手をつけた。
「あら……」
リディアがこの場でお茶を飲んだのは初めてだった。それを見て、シャルカが目を細める。
「美味しいお茶ですね」
カップを戻しながら、リディアは静かに告げる。
「そうでしょう。今まで飲まなかったことを後悔したかしら」
飲んだことのない異国のお茶だった。いつだったかリュセール公爵夫人が出してくれたグリーンティーよりも芳醇な香りがした。
「それで? なんのお願いかしら?」
リディアはまだ何も言っていないのに、彼女は全て見通しているかのよう。
「貴族の情報を売ってください」
遠回しな言い方はしなかった。
「どうして? あなたは貴族のツテも持っているはずだし、私に頼む必要はあるのかしら」
この人はどこまで知っているのだろう。知られている前提で、でもこちらからは明かさず、上手く立ち回らなければならない。
「貴族には武器も薬も売りません」
「じゃあ、なおさらわからないわね。何のために貴族の情報を集めてるの?」
上位の貴族家に潰してもらうため、なんてことは、マフィアには言えない。
「告発でもするつもりかしら」
「いいえ」
シャルカの問いに、リディアは静かに答えた。
「貴族の腐敗なんてわたしには関係ありませんし、わざわざ告発してもわたしにはなんのメリットもありませんわ」
「……そうね」
シャルカが目を細める。まるで、リディアの正体を知っているかのように。
知られていてもいい。それを広められなければ。
「ゆすろうと思って」
リディアはそう答えた。
「貴族には弱点があるものでしょう。そこをつつけば、お金をいただけるかと」
「マフィアみたいなことをするのね」
貴族の腐敗をついてその情報をネタにゆするのは、マフィアの常套句。
「わたしもこの世界で生きていくすべを見つけたのです」
「わたしのチームに入ってもいいのよ」
「素敵なご提案ですが、丁重にお断りさせていただきます」
マフィアの真似事をすると聞いて、シャルカはさっそく誘ってくる。しかし、本当にマフィアらしいことをするつもりはないので、断っておいた。
「どんなお話がお好み?」
シャルカが笑う。
「奴隷を買っている貴族のお話? 闇オークションに参加している貴族のリストかしら。それとも」
「全部」
リディアはその言葉を遮って金貨を積んだ。
「情報は少しでも多い方がいい。シャルカさんなら、わかっていただけるかと」
「そうね」
リディアの真っ直ぐな目に、シャルカの楽しそうな笑顔が映る。
「でも、これだけじゃ足りないわ」
「では、これも」
さらに金貨の袋を添えた。
「おもしろいわね、本当に。ブラックリリーはどれだけ稼いでいるの?」
「シャルカさんのおかげでもありますから」
ひとりだけではないが、そう言っておく。
「でも、足りないわね」
シャルカがまだ首を振る。
「ねぇ、リリー。うちで働かない?」
視界の隅で動いたガレンを、リディアは片手を添えて止めた。
シャドウドラゴンが集まるこの宿屋は、ただの宿屋ではない。つまり、そういうことだろう。
「シャルカさん、これは遊びではなく、商談です」
シャルカが本気で言っているわけじゃないことを、リディアは知っていた。
「そうね」
シャルカはふふっと笑って背を椅子に預ける。
「冗談よ」
その言葉を向けられたガレンが、ポケットから手を抜く。
「気が強い女も需要はあるのだけど。マフィア相手に怯まない女は誰も買わないわ」
「よかったです」
シャルカが金貨のひと袋を手に取る。
「これだけでいいわ」
「よろしいんですか?」
「えぇ。その代わり、また遊びに来てちょうだい」
シャルカの言葉に、リディアは静かに目を見開く。
「これが最後、というわけではないんでしょう?」
本当に、どこまで知っているのだろう。まるでリディアが裏社会から足を洗おうとしているかのように。
「えぇ、もちろん。次はお酒でも」
「あら、嬉しい。いいお酒を準備しておくわ」
こんな楽しい世界、離れてなるものか。しかしそれは、リディア個人の思惑に過ぎないのだ。




