91 白百合の選択
「ノエル、何かした?」
動けるようになったリディアは、すぐにノエルを部屋に呼んだ。心配する兄に「静かな部屋で本を読んでもらうだけですから」と言って部屋から出した。
「何も」
彼はあっさり答える。
「何もってことはないでしょう。あれは解毒薬を作ってないはずよ」
「オレは悪くない」
「悪いかどうかじゃなくて、何をしたか聞いてるの」
リディアの厳しい目に、
「……ガレンに伝えた」
ノエルが少し不貞腐れながら答える。
「何を?」
「リリーが倒れたこと。あと、薬師が、魔力が崩れてるって言ってたこと」
魔力を蝕むウィッチブレスという薬は、1回だけでは効果を表さない。一般の貴族よりも魔力が弱いリディアだから、1回でこんな大変なことになったのだろう。
「あとはガレンから送られたやつを飲ませただけだ」
ガレンがイレーヌに解毒薬を作らせたのだろうか。
「……ガレンと話したいわ」
「無理だろ」
ガレンを屋敷に呼び出すわけにもいかないし、今の状態で下町に出ることを父や兄が許してくれるとも思えない。
「あ、あと、もう1個」
「なに?」
「あの小公爵とやらに連絡した方がいい」
「どうして?」
「会いたいって言ってるらしい。けど、旦那様と若様が許してないんだってさ」
リディアが倒れている間、裏社会のことは進んでいないはず。何も動かないのだから、黙って待っていればいいのに。そんなに急いで確認することがあったのだろうか。
「リディア」
そこに、兄が入ってきた。
「体調は?」
「もう大丈夫です」
リディアはそう答えるのにその言葉を信じていないかのように、兄はリディアの額に手を当てる。
その隙に、ノエルはさっとベッドを離れた。
「お兄様、小公爵様から連絡がきてるって本当ですか?」
そう言った途端、兄の顔が曇る。
「気にしなくていい」
「どういうことですか?」
誤魔化されていることはわかった。
「小公爵様が次にいらっしゃった時は、ここにお通ししてください」
「ダメだ。まだ病み上がりなんだから」
視線が合わない。なぜ会わせたくないのか、読み取れなかった。
「お兄様」
だから、リディアは兄の手を掴む。すると、ようやく目があった。
「なぜですか?」
その真剣な瞳に、兄がわずかに視線を揺らす。
「……一時の感情なんだ」
兄が呟いた。
「リディアは惑わされてる。彼しか知らないから、好きだと勘違いしてるんだ」
「意味がわかりません。わたしの感情なんて、誰にも」
「好きじゃなかったら、代わりに毒を飲んだりしないだろう?」
兄の言葉に、リディアは返せなかった。毒が入っているとわかって、彼の手からグラスを奪ってあおった理由を、好き以外の言葉で説明できなかった。
「リディア、今回のことでわかっただろう? 彼のまわりにはいろんな思惑がある。リディアが幸せになれるわけがないんだ」
兄はあの毒の意味をどう聞いているのだろう。次期公爵という立場にいる彼が狙われる意味は、貴族の社会を知っていれば誰でもわかること。リディアがわざと毒を飲んだことも、わかっているような口ぶりだ。
「お兄様」
無意味な言い訳をする気はない。しかし、彼から話が聞きたかった。あの毒は、今どう扱われているのか。
「一度、話をさせてください」
それでも口をつぐむ兄に、
「小公爵様をお呼びします。わたしの意思で」
リディアは有無を言わさずそう告げる。
「いいですね?」
喋らないなら、その無言を肯定に変えてしまえばいい。リディアの思惑通り、兄は複雑そうに口を開かなかった。
*
「リディア嬢」
数日後、彼はリディアの部屋に現れた。
「こんな姿ですみません」
まだベッドから出る許可が出ず、リディアはベッドの上で彼と対峙する。
「大丈夫です」
彼はそう言って、花束を差し出す。
「なんの花がいいか、迷いました」
彼がかつて送ってきたのは、ピンクの薔薇。
「ピンクの薔薇とも思ったのですが、どうにも貴女には似合わなくて」
しかし、今日の花束は、綺麗な白いユリの花だった。
「嫌味ですか?」
リディアの返答に、
「違います!」
彼は慌てて答える。
「知ってます」
ブラックリリーという名前を持つリディアに送るのが、白いユリなんて。嫌味なんてことはなくて、きっとリディアに送るものにふさわしい花をと一生懸命選んだのだろう。
「小公爵様、どうなったのか、教えていただけますか?」
ユリの花束を隣に置き、リディアはそう尋ねる。
「匿名の通報ということにして、メアリウス子爵の屋敷を調べました。貴女が飲んだものと同じ毒が大量に出てきました」
「……そうですか」
「ただ、どうしても……」
口ごもる彼の言葉を、リディアはじっと待つ。
「伯爵令嬢の毒殺未遂では、どうしても罪が軽くなってしまって」
やっぱりそうか、と思った。
「私の毒殺未遂ということにしました」
そうした方がいい。罪がより重くなるのなら。
「すみません」
「謝る必要はありません」
だから、リディアは答えた。
「毒と一緒に、多数の暗殺事件に関わった記録も出てきました。今は余罪について調べているところです」
「ありがとうございます」
これでリディアの復讐は終わった。リディアの貴族を壊すという目標は達成できた。
「リディア嬢」
彼がベッドに腰掛けた。男性が未婚の令嬢のベッドに座るなんてありえないことだった。
「このブローチ」
彼の手にあったのは、エメラルドのブローチ。あのパーティーの時、彼がつけていたもの。
「お返しした方がいいですか?」
お互いの瞳の色を身につける意味。そして、それを手放した方がいいのか、という問い。
迷ってしまった。彼への気持ちと、裏社会への想い。令嬢としての矜恃と、裏社会を渡り歩いてきたプライド。どちらを取るべきなのか。
彼と一緒に歩む道を選ぶ。それは、きっと今までと同じ生活はできない。
家から自由に出歩くこともできず、ベッドで弱っていた令嬢としての自分の姿を思い出す。
嫌だ、と思ってしまった。そんな人生、つまらない、と。
「小公爵様は?」
だから、彼に答えを委ねることにした。
「返したいと思いますか?」
「いいえ」
彼の答えに迷いはなかった。
「……では、それで」
リディアはそう答えた。
「わかりました」
彼の声には、安堵の色が混ざっていた。
「子爵の件、進めてもいいですか? 他の貴族の腐敗も芋づる式に出てくると思うのですが」
「あ……」
それを言われて、リディアはノエルの顔を思い出す。
「ひとつだけ、まだ待って欲しい家門が」
「わかりました」
まだどこかも言っていないのに、ジュリアンの返事に迷いはなかった。
ベッドについた手に、ユリの花弁が触れる。その滑らかな花弁をなぞり、リディアは最後の仕上げを考えていた。




