83 表と裏の取引
それから数日。屋敷に騎士団が来ることはなかった。
もういつ捕まってもいいと思っていたのに。
家族との穏やかな時間を過ごしながら、毎晩、これが最後かもしれないという恐怖の中で眠る。それが心をすり減らし、家族の前で笑顔を作れなくなり、泣き出すこともあった。
家族は何も分からないのに、何も聞かず、抱きしめて慰めてくれた。その温もりに、また涙を零す。自分がやろうとしている最悪の親不孝を、謝罪することもできなかった。
*
「お嬢様」
ノエルが本を持ってきた。
「お嬢様が好きそうな本を持って参りました」
「ありがとう」
読書係として雇っている彼のこの行動を、誰も不審には思わない。本を開くと、そこには手紙が挟まっていた。
『話がしたい。君の仲間たちと一緒でいいから』
その文字は、間違いなく彼のものだった。
「ガレンから」
ノエルが小声で告げた。
いつもの白紙ではなく、彼の字が書かれた手紙が、ガレンから送られてくる。その意味を、リディアは考える。
もし、ガレンを人質に取っているという意味なら。そう考えて、ゾッとした。
「行くわ」
ガレンにすぐに行くという旨の伝書魔法を飛ばし、準備をする。
「オレも」
ノエルが珍しく同行を望んだ。
「ここにいた方が安全よ」
「別にいい」
最近の彼は、少しおかしい。地下室にこもることもなく、意味もなくリディアの部屋を訪れては読書係を粛々とこなす。間違った行動ではないのだが、普段していなかったことだから不思議だった。
準備を済ませたリディアが部屋を出ると、
「リディア、外出かい?」
父と偶然会った。
「無理はしない方がいいよ」
最近のリディアの不調を知っているせいか、父は心配そうな眼差しを向ける。
「少し、気分転換しようかと」
リディアは微笑んだ。
「すぐに戻りますわ」
「そうか」
リディアの返答に、父は疑わずに頷く。
「気をつけて」
「はい。行ってまいります、お父様」
これが父の笑顔を見る最後の瞬間かもしれない。一瞬だけ、そんなことを考えてしまった。
「お父様」
慌てて父に呼びかける。
「どうしたんだい?」
父に手を伸ばし、その腕の中に収まる。
「愛しています」
「最近は甘えたがりだね、リディア」
父はそう笑いながらリディアを抱きしめてくれる。
「散歩はやめて、一緒に読書でもするかい?」
もしこれが罠だったら。ガレンを人質に、リディアをおびき出して捕らえるためだったら。そう考えていないわけではなかった。
もしそうなら、ガレンの元にはいかず、父と最後の穏やかな時間を過ごした方がいい。
それでも、リディアにとっては、父や兄と同様、ガレンやノエルたちも捨てられない仲間なのだ。
「いいえ」
リディアはそっと父から離れた。
「帰ってきたら、お願いします」
「あぁ、わかったよ」
そして馬車に乗った。
下町へ向かう馬車の中で、ノエルはアッシュラインを取り出した。
「ノエル、なぜそれを持ってるの?」
職人とはいえ、ノエルがこれを撃つ姿は想像できない。
「別に。オレが作ったものだ。持っててもおかしくないだろ」
「そう、ね」
おかしくはない。でも、おかしい。いつもと違うから。
もしかして、ガレンがいない間の護衛のつもりだろうか。いつ来るかわからない騎士団から、リディアを守っているのだろうか。
もしそうなら、リディアは彼を止めなければいけない。
「撃たないでね」
だから、リディアは言った。
「知ってるでしょう。その音、苦手なの」
「……あぁ」
リディアのために撃たないでほしい。そう伝えた。
*
「リリー」
下町に出ると、ガレンが駆け寄ってきた。
「ごめん。どうしてもリリーに会いたいって」
彼の困ったような視線の先に、彼らがいた。
「捕まえないって約束させた。話がしたいだけだって」
「……そう」
どこまで本当なのだろう。疑う気持ちの端に、信じたいという小さな気持ちが見え隠れする。
「場所を移動しましょう。ここでは目立ちすぎるわ。騎士団や憲兵を呼びやすい場所だし」
信じられるはずがない。リリーにとって、彼らは敵だ。
人通りの多い門を離れ、路地に入る。奥の奥。狭い路地の中で、リディアは振り返った。
「お話とは?」
彼らは黙ってついてきていた。
「リディア嬢」
「リリーです」
彼の言葉を遮る。
「……リリー」
彼は素直に訂正した。
「なぜこんなことをしているのか、教えてもらえませんか?」
質のいいガウンの下で、彼の青い瞳が細められる。
「なぜ、とは?」
その苦しそうな表情を、リディアは冷静に見つめていた。
「君の家は、立場的には苦しいだろうが、こんなことをするほど困窮しているわけでもないはずです。もし生活に困っているようなら、国から支援金も出ます」
「……ふふ」
小さくこぼれた笑みは、自虐的だった。
「お金のためと思われているなんて。屈辱ですね」
「違うのですか?」
「ありがたいことに武器は多く売れていますわ。最初の数回でお屋敷をふたつみっつ買えるくらいには」
お金なんかじゃない。そんなものが目的なわけがない。
「許せないんです」
リディアはそう告げた。
「当たり前のように不正をして、裏社会とつながって、人々を蹂躙する、貴族という存在が」
その冷たい声に、彼の目が丸くなる。
「……貴族の腐敗を正したいのですか?」
「そんな高尚な理由ではありませんわ。ただ、わたしはわたしの大切な人を守りたいだけです」
大切な人だけが守れればいい。それ以外がどうなろうと、リディアには知らないことだ。
「腐敗した貴族たちを排したいのであれば、私も協力できます」
彼の申し出に、リディアはポケットに手を入れた。
冷たい銃身をそっと撫で、取り出す。その銃口を、彼に向けた。
「違法武器です」
動かない彼を前に、リディアは告げる。
「どの貴族も持っていない。犯罪者だけが持っているものです。憲兵に押収されるものでもあります」
「違法では、ありません」
彼の答えは、意外なものだった。
「正式に違法化されているわけではないんです」
「……では、どうして憲兵が押収するのですか」
「合法ではないからです」
合法でもなければ、違法でもない。中途半端な存在だ。
「では、わたしを捕らえる理由はありませんね」
「はい。捕らえる気もありません」
迷いはなかった。ファントムシェルを下ろし、ポケットにしまう。
「あなたの目的を教えてください」
彼が言った。
「貴族を壊すこと」
リディアはそう答えた。
「全ての貴族を、ですか?」
「……」
それには答えられなかった。なぜなら、貴族の中にはリディアの家族も入るのだから。
「協力させてくれませんか?」
その迷いを感じ取ったかのように、彼が問う。
「貴女のやりたいことを、国としてバックアップします」
「……本気ですか?」
「はい」
迷いのない返事に、リディアは正気を疑う。
「裏社会と繋がることを、国として認めると?」
「それが必要なら」
彼は頷く。
「貴族の腐敗は由々しき問題です。貴女と協力することでこちらに利があるなら、協力する価値はあります」
それは、情なんかではない。取引のような口調だった。
「ブラックリリーは犯罪者ですよ」
「先ほども言った通り、まだ、犯罪者ではありません」
「でも犯罪者と繋がっています」
「ギャングと繋がっている貴族もいるくらいです。その程度のことで、捕らえる理由にはなりません」
彼の瞳に嘘はなかった。
「……それなら」
リディアは賭けてみることにした。
「ひとつ、情報を流します。とある犯罪組織の情報です」
彼らの力を借りれば、ブラックリリーが反感を買うことがない。
「その組織を、表の権力で潰してください」
「わかりました」
彼は頷いた。




