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80 青い石の予兆


「本日もありがとうございました」


 鞄をカチッと閉め、リディアは微笑む。その笑みの先には、片眼鏡をかけたグレンが、買ったばかりの武器を手に微笑んだ。


「そろそろ新作を見たい頃ですね」

「もう少しお待ちください。職人に伝えますわ」


 ノエルには積極的に新作を作るような指示をしたことはない。あくまでも彼の意欲に任せる姿勢だ。


「その職人を紹介していただければ、こちらからお願いに行きますよ。レシピと作り方がわかれば、こちらで職人を作ることもできますし」


 薬よりも武器をほしがるグレイウルフは、どうにかして自分たちで武器を作る方法が知りたいらしい。


 もう何度目かの言葉を、

「ありがたいお申し出ですわ」

 と軽く流す。何気なく髪を耳にかける仕草で、


「それ、綺麗ですね」

 とグレンが告げた。


「ラピスラズリですか」

 イヤリングが目に入ったらしい。

「えぇ」


 なんとなく後ろめたくて、髪で耳を隠す。


「今の貴女なら、もっと大きな宝石がついたイヤリングも買えるでしょう。買い換えないのですか?」

「大切なものなんです」

 誤魔化す気はなかったのだが、視線が揺れた。その揺れを、彼は見逃すはずがないのに。


「誰かからの贈り物ですか?」

 グレンは謎の商人ブラックリリーの正体を探ることで、弱みを握って優位に立ちたい人だ。


「いいえ。自分で買ったものですわ」

 リディアは笑顔でそう答えた。


「市場で一目惚れしたものなんです」

「……そうですか」


 この距離で、この小さな宝石を、一目でラピスラズリと見抜く商人の目。グレンがこの言葉を信じるだろうか。

 正体を明かす気はないということが伝わればいい。


「最初はノワールローズからの報酬で買ったものと思いました」

 グレンがそう言った。


「しかし、貴女は毎回それをつけている。報酬を見せびらかすためなら、初回の一度だけでいいはずだ」

「……ただのアクセサリーですわ」

「そうですね。よほど大切なもののようだ」


 グレンの目がギラリと光る。


「まるで、愛する人からの贈り物のように」

 獲物を射るようなその目から、リディアは目を逸らさない。


「莫大な資金を持ち、誰も知らない武器と薬を作り出す人脈を持つ。どこかの貴族の愛人でもないと、説明がつかない」

「……ふふ」


 その推理に、リディアは微笑んだ。


「違いますか?」

「どうでしょう」

 グレンの問いに、リディアは否定も肯定もしなかった。


「お好きなように想像なさってください」

 リリーの正体を明かす気はない。妄想するだけなら自由だ。

「それでは、ごきげんよう」


 グレンの商会を後にして、リディアは歩きながら耳に手を当てる。


「もうつけられないわね」

 そうこぼした言葉に、

「そうか?」

 とガレンが答える。


「それひとつでリリーの正体にたどり着くやつなんていないだろ」

「探られるのが面倒なのよ」

 これをつけているだけでいろいろ言われるのなら、つけない方がいい。


「新しいアクセサリーを探そうかしら」

 何もつけないというのはやっぱり寂しい。


「貴族街のジュエリーショップか?」

「まさか。市場の露店でいいわ」


「色のついた安っぽいガラスしかないと思うけど」

「別にいいわ」


 財力を誇示する必要もないのだし、彩りさえ添えられたらいい。


 風に揺れる髪を押さえることもせず、リディアは市場を歩く。その時だった。


「リディア嬢?」


 振り返ってしまった。そこには、驚いた表情の彼がいた。


 無視すればよかった。そんな名前に反応する必要はなかったのに。


「……っ」

 次の瞬間、リディアは駆け出していた。


「待って!」

 彼の声なんて聞こえていなかった。


「リリー」

 一緒に走りながら、ガレンが説明を求める。でも、そんな余裕はない。


「耳を塞げ」

 ガレンの言葉に、反射的に両手が動く。


 パァンッ


 鋭い音がして、一瞬、市場が静まり返った。次の瞬間、

「きゃあぁぁ!」

「うわあぁ!」


 悲鳴で溢れるその場で、ガレンはリディアの手を取って走る。


「ガレン……」

「当ててない」


 リディアの言葉に、ガレンはそれだけを答えた。


 混乱する市場を駆け抜け、路地に入る。人目につかない、奥へ奥へと入り、ようやく足を止めた。


「はぁ……はぁ……っ」

 息を整えながら、胸に手を当てる。ドクン、ドクンと大きく脈打つのは、走ったせいか。


「大丈夫か?」

 ガレンが革製の水筒を差し出す。


「ありがと」

 それを受け取り、一気にあおった。


「ゲホッ、ゴホッゴホッ」

「落ち着けよ。もう大丈夫だから」


 勢い余ってむせるリディアの背中を、ガレンが摩ってくれた。


「ガレン、どうした撃ったの」

 リディアが聞いた。


「貴族殺しで極刑になっていたかもしれないのよ」

「当たらないように撃ったし」

 ガレンは悪びれる様子もなくあっさり言い放つ。


「銃声ひとつで市場はパニックになるからな。逃げる隙もできるだろ」

「だからって……」

 もし当たっていたら、指名手配になっていただろう。当たっていないことを祈るばかりだ。


「さっきのやつは? 見るからに貴族っぽい身なりだったけど」

「……そうね。貴族よ」

「リリーの知り合いか?」


 ガレンは容赦がなかった。


「……」

 だから、答えられなかった。

「……今日は、帰るわ」


 取引は終わったし、問題はない。


「そうか」


 ガレンはそう頷き、いつものように貴族街の入口まで送ってくれた。


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