8 新たな駒
魔力を持っているのだから、どこかで貴族とつながっているかもしれない。リディアはそう考えた。だから、再び兄の伝手を使った。多くの貴族の記録を残す皇宮書庫。そこに何か手がかりがあるかもしれないと信じて。
*
全ての貴族があるわけではない。公爵家くらいの主要な貴族ならより細かく残っているかもしれないが、そんな大きな家の特徴が入っていればさすがに気付く。そうでないなら、記録もほとんど残っていないかもしれない小さな貴族家だ。
書棚をめぐり、ひとつひとつに目を通す。あの少年の一番の特徴は、色の薄い白髪。そして、曇り空のような濁った青色。名前さえも知らない状態で、外見的特徴だけで、どこまでわかるだろうか。
「今日は古代史じゃないんだね」
その時、兄の声がした。
「歴史は興味なくなった?」
「……いえ」
小さく答え、少しだけ間を置く。その一瞬の間に、リディアの脳内で「言い訳」が組み立てられた。
「社交界に顔を出すようになったので、他の貴族家のことをちゃんと知っておきたくて。失礼なことを言わないように、調べているんです」
綺麗に作られた笑顔の中に、どこか訝し気な兄の顔が映る。
「無理して顔を出す必要はないよ」
「無理なんてしていません。楽しいですわ」
社交界は貴族の義務、と誰かが言った。虚弱なリディアが無理をしないためなのか、母はそう言わなかった。父も兄も、リディアを社交界から遠ざけようとしていた。それは、今もきっとそう。だからこそ、誰の助けも必要ない、自力で立つ存在になりたかった。
「お兄様、白髪を持つ貴族家について、何かご存知ですか?」
「白髪? 遺伝的に白髪で生まれてくる家門はいくつかあると思うけど……。リディアと同じ年頃の令嬢がいたところはあったかな」
そう言いながら、兄が書棚に目を向ける。その視線の向きを、リディアは見逃さなかった。
「あぁ、こことかどうかな」
視線が揺れた。兄が手に取ったのは同じ伯爵位を持つ家門の令嬢だったが、それ以外の家門の記録にも兄の目が向いた。その小さな揺れを、リディアは確かに感じ取った。
「ありがとうございます。読んでみますね」
「アルセイン司書官、少々よろしいでしょうか」
兄が部下に呼ばれて離れていく。兄から受け取ったものを棚に入れ、リディアはその違う段を見た。それは、とある子爵家のものだった。
*
赤いローブをかぶったリディアが門を超えると、ガレンが壁に背を任せて立っていた。リディアが近づくだけで気づき、重心を戻しながら剣を持つ。
「来たか」
「早いのね。時間より少し早いと思うけれど」
平民に懐中時計のようなものはないはずだからと、鐘の音でわかる時間を指定したはずだ。
「どうせ暇してるからな。ギルドで依頼を受けると遅れるかもしれないし」
「そう。気を使ってくれたのね。ありがとう」
何気なくそう言った言葉で、ガレンが足を止めた。
「どうしたの?」
「いや、お貴族様からお礼を言われるとは思わなくて」
そういうものなのか。リディアが気軽に言いすぎているかもしれない。威厳がないと言われては困る。
「特別なことじゃないわよ」
そう告げて、リディアは歩き出した。
「今日はどこに行くんだ?」
「この前の鍛冶屋よ。あの子に会いたいの」
「勧誘か?」
ガレンの声が少しだけ強張る。そのわずかな変化が気になって、
「なに?」
と振り返った。
「別に」
ガレンが視線を逸らしながら答える。
「嫉妬してるの?」
赤い瞳をじっと見据えた。すっと逸れる視線に、
「勘違いしないで」
リディアははっきり告げた。
「あなたには、あなたにしかできない仕事を与えているわ。あの子に与えるのは別の仕事よ」
そういえば、リディアが何のためにあの少年を誘っているのか、ガレンに相談していなかった。だから不安になったのだろうか。
「俺は、リリーの役に立てるか?」
彼の瞳に宿る光が、どこか弱々しく揺れた。
「えぇ」
捨てられた子犬のような目だな、と思いながら、リディアは頷く。
「わかった」
ガレンが答える。リディアの言葉をかみしめるように閉じられた目が開いた時、そこには強い光が宿っていた。
「じゃあ、行こうか」
「えぇ」
しっかりとした足取りで歩きはじめる彼の少し後ろを、リディアはついていった。
以前と同じ、火と鉄と汗の匂いがひしめく鍛冶屋で、リディアはあの少年を見つけた。
「ねぇ、そこのあなた」
「……んだよ、また来たのかよ」
少年はなぜかうんざりしていた。もう何度も押しかけてこられているかのように。
「わたしは二度目だけど」
「そっちは何回目だ。あんたがよこしたんだろ」
ガレンのことか。説明を求めて視線を向けると、
「毎日通ってるぞ」
と言われた。
「リリーがいない間に勧誘できたら、助かるだろ」
「……そうね」
なぜここまで親切にしてくれるのだろう。ただ古代武器と素材集めの報酬を渡すだけでは、この忠誠には見合わない気がする。
「あなたの名前は?」
リディアは少年に尋ねた。
「なんで言わなきゃいけないんだ」
彼は迷惑そうに眉を寄せる。
「言わなくてもいいわ。でも、聞かないと後悔するわよ」
はっきり告げたその言葉に、少年の意識がこちらに向くのを感じた。
「貴族が嫌い?」
「……あぁ。大嫌いだ」
「そう。じゃあ、その貴族を殺したいとは思わない?」
その言葉に、ハッと彼が振り向いた。
「あなたと、あなたのお母様を見捨てた、あの人を」
その瞳の中で、リディアは妖しく笑ってみせた。
「俺が?」
「そうよ」
彼の問いに答えるのに、躊躇いなんてなかった。
「大罪だぞ。貴族殺しは極刑だ」
そう。こんな少年でさえ、わかっている。
「怖い?」
だから、リディアは笑った。
「怖いならいいわ。あなたの代わりになる人は、まだいるのよ」
嘘だ。魔力を持つ平民なんて、今まで見たこともない。貴族にルーツを持つこの少年だからこそ、ほしいのだ。
「あなたが手を下す必要はないわ。わたしたちは、道を整えるだけ。その道を歩く人の行動を制限しない。ただそれだけよ」
曇り空だったその瞳に、少しずつ光が差し込む。
「貴族を壊すものを、あなたが作る。どうかしら。興味はない?」
綺麗なグレーの瞳が、震えた。
「名前は」
リディアはにこっと笑った。
「リリーよ。あなたの名前は?」
そして、そっと手を差し出す。
「ノエル」
その手を、泥だらけの手が握った。
「ノエル・グレイだ」
力強い握手。その力に、リディアの細い手がきしむ。でも、その痛みに反応しない。
「よろしくね、ノエル」
その微笑みは、綺麗だった。




