7 見習いの少年
社交シーズンが終わり、父が領地に帰った。北部に位置する領地の気候はリディアの身体には悪いからと、いつものようにリディアは王都に残ることにした。そして、皇宮で働いている兄も王都の別邸に残る。
「リディア、いい子にするんだよ」
父は心配そうに娘の手を握った。
「もちろんです。お父様も、どうかお身体に気をつけて」
「何かあったら、……いや、何もなくても、手紙は書きなさい。私もできるだけ返事を送るから」
「はい」
父との手紙のやり取りはオフシーズンの日常だった。友達がいなかったため、それくらいしかやることがなかったのだが。
「お父様も、お手紙をくださいね」
「あぁ、もちろんだ」
今生の別れのように娘の手を離さない父に、兄は呆れ顔で、でも何も言わない。もう慣れているのだ。
「シリル、リディアに何かあったら、迷わず伝書魔法を使いなさい」
「わかっていますよ、父上。リディアに何もなくても、こちらで何かあれば」
相変わらずリディアのことしか考えていない父に、それ以外にも気にすることはあるだろう、と兄が溜息をこぼす。伝書魔法を飛ばせば簡単な文章のやり取りができるし、普通に手紙を郵送するよりも圧倒的に早い。ただこの家ではあまり使わない。それこそ、「何か」があった時にしか。リディアの魔力が弱いせいで、家族全員が気を使っているのだ。伝書魔法くらいなら、リディアにもできるのに。
「お父様、またお会いしましょう」
リディアの方から父の手を離した。馬車に乗り込む父の横顔に、「この幸せは誰にも奪わせない」と誓った。
*
ドレスを買いにいくという口実で、リディアは屋敷を出た。兄は渋っていたが、社交に必要なものだからと納得してくれた。ただ直前まで体調は大丈夫かとしつこく確認された。それで外出が許されるなら、とリディアも兄を安心させるために微笑んだ。
そして、馬車に乗って向かった先は、貴族街に出入りする門。ドレスを買うつもりなんて、最初からなかった。
「ここでいいわ」
御者を止め、リディアは馬車を降りる。
「待っていて」
それだけ告げて、リディアは持ってきておいたあの魔法のローブをかぶる。髪色を変えて、ひとりで門をくぐった。
「よう」
そこには、ガレンがいた。
「びっくりしたぞ。魔法で呼び出すなんて」
昨夜、屋敷から彼のもとに伝書魔法を飛ばした。といっても父とのやり取りよりはずっと簡易的なもので、リディアが魔力を使えば、受け取る側のガレンには魔力がなくても伝わるもの。おかげで、ここで待ち合わせができた。
「馬車はいいのか?」
「えぇ。下町では馬車を使わない貴族もいなくはないもの」
門のそばには馬車の待機所もある。下町の空気を察して馬車を遠慮する貴族の馬と御者のためだ。
「で、今日はどこに行くんだ?」
「鍛冶屋に行きたいの」
「へぇ。なんで?」
ガレンは自然にそう聞いてくる。
「あの武器を売る、ってわけじゃないんだろ?」
売るわけがない。そう簡単に渡していいはずがない。あれは、リディアの切り札なのだから。
「確かめたいことがあるのよ。王都で一番大きな鍛冶屋に案内してちょうだい」
「はいはい、仰せのままに」
ハハッと軽く笑いながら、ガレンは引き受けてくれた。
移動は徒歩だった。昼間だから乗合馬車を使うのかと思ったが、それほど離れていないのか。リディアは酒場まで往復できるくらいの体力もあるし、問題ない。
やがて見えてきたのは、大きな鉄の看板だった。
「ここだな。スヴァル鋼房。工房の大きさも鍛冶職人の数も、王都じゃ一番だ」
確かに威厳のある佇まい。火と汗の匂いが外にも漂ってくる。
「責任者は誰かしら」
慣れない匂いにも、表情は変えなかった。しかし、いつもよりも顔が強張る。それは、火の匂いで過去のあの記憶を思い出してしまうから。
「聞いてみるか」
ガレンがさっそくそばで鉄を打っていた男に歩み寄る。
「なぁ、この店の親方と話がしたいんだけど」
「親方? そこらへんにいるんじゃねぇか。あ、親方! 客ですぜ!」
「ありがとよ」
リディアにはこんなラフな接し方はできない。それをガレンは自然体でやって見せる。やはり彼を仲間にして間違いはなかった。
「なんだ、お前は」
「あんたが親方か?」
「あぁ。エーベルだ」
そこまで確認して、ガレンがリディアを見た。ようやく出番か。リディアが一歩足を進めて微笑む。
「エーベルさん、少し、お話よろしいですか?」
その貴族の笑みに、彼はわずかにたじろいだ。
「こちらの顧客情報を、わたしに売っていただけませんか?」
「……は?」
リディアの提案に、エーベルは驚いた顔をする。
「どんな方がこちらの商品を買っているのか、知りたくて。もちろん謝礼は弾みますわ」
怯えてはいけない。隙を見せてはいけない。本音をハンカチで隠すように優しく包み込んで、手短に告げる。
「何言ってんだ、この嬢ちゃん」
親方に問われたガレンが、
「あー……」
と言葉に迷う。
「まぁ、悪いようにはしないと思うぜ。俺たちは鍛冶屋じゃねぇし、鍛冶職人の知り合いもいない。ここの顧客を横取りすることもできねぇしさ」
「お前は冒険者だろう。好みの職人くらいはいるんじゃねぇのか?」
ガレンの出で立ちからか、それとも携えていた大きな剣からか、エーデルはそれを見破った。
「こっちは商人ギルドにも登録しているもんでな。客の情報は売れねぇな」
「……そうですか」
やはりそう簡単ではないか。もしこの店を丸ごと買い取れるような財力があったなら、きっとまた別だったのだろうが。ないものはない。
「無理なお願いをしてしまい、申し訳ございません」
「あぁ」
リディアが頭を下げると、エーデルは気にするなと去っていった。
「いいのか?」
「えぇ。予想はできていたもの」
もしここから買っている顧客がわかれば、あの時のギャングたちを突き止めることもできたかもしれない。そう思ってのことだったが、こんなもので上手くいくとも思っていなかった。やはり他の方法を探す必要はある。
そう思った時、リディアの鼻に、慣れ親しんだ匂いが飛び込んできた。
「……え?」
風が運んでくる匂いは、貴族街に充満する匂い。香水で上品に隠しながらも、魔力を持つ人間には避けられない「魔力」の匂い。自分の魔力が弱いせいか、人の魔力には敏感で、だからこそ魔力探知には長けていた。今まで貴族街で暮らしていて、そんなものが役に立ったことなんてないのだが。
「リリー、どうした?」
ガレンの問いに答えることもなく、リディアはその匂いのもとを探った。
「これは違うだろ!」
それは、工房の片隅。おそらく先輩に叱られているであろう少年だった。
叱られて顔を伏せながら、でもその目に宿る強い光は弱っていない。強い意思を隠したその目に惹かれて、リディアは歩き出す。
「ねぇ」
説教から解放されたその背中に、リディアは語り掛けた。
「あなた、わたしに雇われる気はない?」
「は?」
驚いたのは、ガレンだった。
「何言ってんだ、リリー。鍛冶職人見習いなんか雇って、何するんだよ」
決まっている。あの古代武器をたくさん作るのだ。リディアの魔力では足りない分を、この少年に作ってもらえばいい。魔力を持つ平民という、このうえない人材だ。
「嫌だ」
少年が答えた。
「お前、貴族だろ」
長く伸ばした前髪の隙間から見えたその目は、鋭く、冷たく光っていた。
「貴族に協力なんかしない」
リディアに向けられたそれは、強い憎しみの感情だった。
「……どうして?」
貴族を嫌っているのか。金がもらえるなら、という人ではないらしい。
「お金ならあげるわ。あなたが一生生活に困らないくらいには」
「いらない」
少年はそう吐き捨てて、去っていった。
なぜあの少年が魔力を持っているのか。それを突き止めることができれば、仲間になってくれるだろうか。わずかでもその可能性があるなら。
リディアの目が、キラリと光った。




