78 証拠のない真実
「憲兵に話しかけられた」
ガレンに尋ねると、そう返ってきた。
「ブラックリリーか、って言われた」
「なんて、答えた?」
「リリーが言ってた通りに。リリーという名前ではあるけど、ブラックリリーという名前ではないって」
ちゃんと指示をした通りの言葉。リディアがブラックリリーとして活動している時にも言っている言葉だ。ブラックリリーとは勝手に名付けられたもので、リディアが名乗ったことはないのだから。
「憲兵は信じていたのかしら」
「ファントムシェルだけ没収されたかな。けど、ギャングから買ったって言ったら、注意だけ。変に詮索されることはなかった」
取引のために武器や薬を持っていたわけではないし、リリーという名前は大勢いる。彼女がブラックリリーだという証拠がなかったのだろう。
「ガレンは? 武器は取られた?」
「アッシュラインしか持ち歩いてないからな。あいつら、アッシュラインには見向きもしないんだ」
ブラックリリーのものと認識しながら、貴族や冒険者が持っているせいで、憲兵が唯一押収できない武器。冒険者の身分を持つガレンが持っていても、不思議ではないものだ。
「リリーの方は? 上手くいったか?」
「今のところは」
お茶会で公爵夫人から探られるようなこともなかったし、あれ以来小公爵からの不審な接触もない。リディアではないと思わせられたのだろうか。
「ならよかった」
リディアの言葉をそのまま信じ、ガレンが笑う。
「無理はするなよ。危ない時は俺を動かしていいから。リリーが動かなくてもなんとかなるしな」
ノエルを介して指示を出せば、リディアが屋敷から1歩も出なくてもリリーを動かすことはできる。でも、それは、ガレンだけが危険を冒すということ。
「大丈夫よ」
だから、リディアはそう答えた。
「今日はこれで帰るわ」
「そうか」
怖い。捕まりたくない。そして、大切な仲間を守りたい。それはリディアの今の一番の願いだった。
*
「おかえりなさいませ」
屋敷に帰ったリディアを、メイドが出迎える。
「お嬢様にお客様がいらっしゃっています」
「お客様?」
珍しい。家を訪ねてくるような友人なんていないのに。
「誰かしら」
そう聞くと、
「リュセール小公爵様です」
と返ってきた。
大丈夫。心臓は冷静だった。表情も変えず、リディアは静かに告げる。
「……着替えてから参りますと伝えて」
そっと胸に当てた手が、わずかに震えていた。
*
外の埃にまみれた服では会えないからと、リディアは服を変えた。さすがに今日のリリーの姿は知らないだろうが、念のため。
応接室の扉を開けると、
「リディア嬢」
彼は目を細めた。その目の下に、かすかなくまが浮かんでいた。
「小公爵様、本日はどういったご用件でしょうか」
疲れているのだろうか。そんな心配をかき消すように、リディアは表情も変えずに尋ねる。
「話を、聞きたくて」
彼の言葉は、確かめるようにゆっくり紡がれた。
「お話ですか?」
椅子に座り、両手を膝の上で軽く重ねる。
「ブラックリリーという名前を、聞いたことはありますか?」
机の下で、震える右手を、左手でぎゅっと握った。
「いいえ」
迷いはなかった。
「カジノに現れるという商人の名前です」
「会ったことはないと思います。カジノに行ったことがないので」
リディアとして行ったことはない。だから、嘘ではない。そう自分に言い聞かせる。
「私はカジノで会ったんですよ」
彼がそう言った。
「赤いローブに、黒髪で……。噂通りの人物でした」
「そうですか」
答えたリディアの声は、固く強ばっていた。
「直接、会ったんです。顔はローブで隠れていましたが、髪が真っ黒で艶やかでした。声も、目の色も、よく覚えてる」
「……」
彼の目に不穏な色が混ざる。
「この前、下町でブラックリリーと思われる人物が見つかりました」
「よかったですね」
「赤いローブに、黒髪。私がカジノで会った方と同じ姿をしていたと聞きます」
ひとつ、ひとつ、確かめるように言葉が紡がれる。
「下町で見つかったブラックリリーは、グレーの瞳だったと聞きました」
彼の瞳の意味が、わかってしまった。
「私がカジノで見たブラックリリーは、緑色の瞳だったんです」
悲しそうに細められた青い瞳に、リディアの緑色の瞳が映る。
「ブラックリリーが下町で憲兵と話していた時間、貴女は私の母や妹と会っていた」
「……えぇ」
「そのアリバイが完璧すぎると、従者が言うんです」
苦しそうに紡がれる言葉が、ひとつずつ、リディアに向けられる。
「まるで貴女がブラックリリーかのように」
左手の震えは、もう止まっていた。
「違います」
そう答える声に、迷いはなかった。
「わかっています。貴女であるはずがない。ブラックリリーは裏社会さえ手玉に取る冷徹な商人です。貴女とは似ても似つかない」
「そうですか」
「……なのに、貴女じゃないという証拠が、ないんです」
悲しみに溢れた青い瞳が、リディアの胸を射る。それなのに、わずかな波紋さえも起こらなかった。
「ブラックリリーに伝えたいことがあります」
雫がこぼれ落ちるように、彼の言葉が落ちてくる。
「もし何かに困ってそうしているのなら、私を頼ってほしいと」
その目は、切実で。
「きっと何かの役に立つはずですから」
それでも、リディアはほんの少しも動揺しなかった。
「それは、わたしではなく、その方に言うべきでは?」
「……そうですね」
リディアの返答に、彼はふっと笑った。その笑みは自嘲的だった。
「話を聞いてくださってありがとうございました」
「いえ。小公爵様のお話相手になれたのなら、光栄です」
律儀に頭を下げる彼に、リディアは冷静に答える。メイドに連れられて応接室を出ていく彼を見送った後、リディアはそっと左手を離した。
その手は、わかりやすく震えていた。緑色の瞳に映ったその手を、右手でそっと包む。
「……大丈夫よ」
その声は、小さく、頼りない。震える手を重ねて寄せた胸が、強く痛んだ。




