76 偽りの黒百合
赤いローブを羽織り、目元までしっかり隠す。髪の毛がしっかり黒に変わっているのを確認して、馬車を降りた。周囲を見て、誰にも見られていないことを確認する。
大丈夫。そう信じて、門を潜った。確信ではなかった。自分の目を信じるしかなかった。
「リリー」
ガレンが軽く手を振る。
「大丈夫か?」
「……えぇ」
小さく頷き、リディアは再びローブを被り直す。
「今日は取引か」
「そうね」
歩きながら、どうしても周りに意識が向く。視線を感じないか、足音が聞こえないか。そんなことばかり気にして歩いていると
「……っ」
小石に躓いて、バランスを崩した。
「おっと」
ガレンが支えてくれたおかげで、なんとか転ばずに済んだ。
「なんか考え事?」
いつもと様子が違うことにガレンも気づているはずだ。そう聞いてきた彼に、
「……警戒してるの」
と返した。
「なんで?」
それには返せなかった。どう伝えればいいだろう。見つかりたくない人がいる、というのは不自然な答えだろうか。
「……まぁ、いいけど」
リディアが何も答えなかったからか、ガレンはすぐにそう返す。
「でもまぁ、確かに、気をつけて置いた方がいいかもな。最近尾行されてることがあるし」
「え?」
さらっと告げたガレンに、思わずリディアは足を止めた。
「尾行されてるの?」
「ん? あぁ。時々な。憲兵がついてきてることはある。まぁ、俺はブラックリリーの仲間だって隠してないし、当然じゃないか?」
当然じゃない。リディアはガレンを囮にする気はないのに。
「あ、今日はちゃんと撒いてきたぞ。いつもは無視してるんだけど」
「尋問されないの?」
「されても逃げるから、大丈夫」
ガレンはあっさりしていた。
「あいつらが求める武器を持ち歩いてるわけじゃないし、冒険者に売るのも合法のアッシュラインだけだし、取り押さえる理由がないんじゃないか?」
見るからに危険な動きをしているわけでもないし、憲兵も動けないのか。
「リリーのことを喋るつもりはないし、転売だって言えば逃げられるだろ。リリーは気にしなくていい」
気にしない、なんて無理だ。知らない人がリリーとして疑われて酷い目に合うのも嫌だが、それ以上にガレンが危険な目に合うのはもっと嫌だった。
どちらが大切か、なんて、一目瞭然。迷っている暇はなかった。
*
「本日もお買上げ、ありがとうございます」
酒場でヴィクターを前に、リディアはいつものように微笑む。
「ヴィクターさん、ひとつ、取引をしませんか?」
その笑みには、最近の悩み事なんて微塵も滲ませない。綺麗に作られた笑顔に、ヴィクターが
「言ってみろ」
と返す。
「おひとり、女性の構成員の方をお貸しいただけないかと」
ヴィクターの隣にいつも控えている秘書のような女性の他に、ノワールローズには多数の女性構成員も多いことを、リディアは知っていた。
「個人的な依頼をしたいんです」
ヴィクターはすぐには答えなかった。じっと観察するようにリディアを見つめ、考えるように目を閉じる。
そして、軽く手を挙げた。その手に反応して、ヴィクターのそばにいた女性が進み出た。
「これでいいか」
「えぇ。ありがとうございます」
リディアはそう答えて、彼女の前に赤いローブと黒髪のカツラを差し出す。
「わたしが指定した日に、これをつけて街を歩いていただけませんか?」
「……囮ですか」
彼女はすぐに察して、眉を寄せる。
「もちろんタダとは言いませんわ。お礼はしますし、受けてくだされば、今回のお取引も値引きさせていただきます」
赤いローブは新しく買ったもの。リディアは頭上に魔法陣を描いて髪の色を変えているが、魔力のない平民に魔道具は使えない。だから、カツラも買った。
「護衛にはこちらをつけます」
ガレンを指しながら言うと、
「護衛なんて」
必要ない、と言わんばかりに彼女は静かに答える。
「私の身代わりになっていただきたいんです。この者がいた方が、憲兵に信じられますわ」
「身代わり……。私に捕まれと?」
「逮捕される可能性は低いかと。ファントムシェルは押収されるかもしれませんが、代わりにひとつ、プレゼントいたします。取引現場さえ抑えられなければ、証拠はありませんもの」
完璧な証拠がないと、憲兵は動けない。捕まって拷問を受けるようなことになれば、その時はリディアが動けばいい。
たった一度、彼の目を逸らせられればいい。それだけなのだ。
「わかりました」
彼女はローブとカツラを受け取った。
「日時を指定してください」
「後日、この者を通じてお伝えします」
そう伝えて、リディアはヴィクターを見る。
「ヴィクターさん、これは取引です。相応の対価はお支払いいたします」
優位に立てると思わないで、と伝えておく。ヴィクターは黙って頷いた。
「では、よろしくお願いいたします」
武器と薬の報酬を受け取り、リディアは酒場を後にした。
「これでいいのか?」
ガレンが聞いた。
「今わたしにできるのは、ここまでよ」
リディアはそう答えた。
「彼女と会う時は、憲兵を撒かなくていいわ。ブラックリリーが動いていることを見せつけて」
「リリーはどうするんだ?」
「……適当にアリバイを作っておくわ」
お茶会の予定でも入れておくか、あえてリュセール公爵家を訪れるか。ブティックでドレスのデザインの相談をしていても、アリバイにはなるだろう。どうとでもなる。
この作戦がうまくいきますように。リディアはそう願った。




