75 残り香
皇后主催のお茶会が開かれた。集められたのは、貴族の未婚の男女。いわば公的なお見合いのような場だった。
ジュリアンも未婚のため、招待された。皇帝と皇后が主催ということもあって、公爵家の嫡男が断ることは許されない。どうせ思い通りの結婚はさせてくれないくせに、と毒づきながらも従者に説得されて参加を決めた。
「リュセール小公爵様、ごきげんよう」
目を輝かせた令嬢たちの中で、彼は微笑みを浮かべる。その綺麗な笑みに、令嬢たちがさらに群がる。
有力な公爵家の跡取りである彼は、未婚の令嬢たちにとっていいターゲットだろう。彼の目には、ただひとりしか映っていないのに。
今日も、ジュリアンはその人を探していた。
実のところ、ジュリアンは不安だった。従者エドガーのせいだ。あいつが、ブラックリリーの正体が彼女かもしれないとか言うから。
そんなはずがないと信じたくて、彼女の周囲を探った。
舞踏会で踊った時にポケットに硬いものがあったのを思い出して、彼女の兄が勤める書庫に向かった。
『妹君に香水のプレゼントを贈ったことはありますか?』
彼女の兄にそう聞いた時、小伯爵は少し考えて頷いた。
『あると思います。いろんなものを贈りましたから』
どこか不確かなものではあったが、確かにその言葉が聞けて安心した。
大丈夫。彼女じゃない。そんなはずがないのだ。時々足取りが掴めないのは、身体があまり丈夫じゃない彼女が休んでいるだけ。
そして、今日も人混みの中に彼女を見つけた。
「リディア嬢」
ファーストネームで親しく呼びかけると、彼女はすっと綺麗なカーテシーをした。
「小公爵様」
そんなこと、しなくてもいいのに。恋人になれば、婚約者になれば、彼女とは対等になれるのに。
他の令嬢たちからどんな目を向けられようと、どんな綺麗な言葉をかけられようと、たったひとり、彼女の瞳に映って、彼女の声を向けられる方が、どんなにいいか。
そんな彼女に会った時、いつも耳元を確認する。かつてプレゼントしたあのイヤリングをしているかどうか。
兄からもらった香水を大切に持ち歩く彼女。贈り物は大切にする性格がよくわかった。
それなのに、ジュリアンが贈ったラピスラズリのイヤリングは、プレゼントした当日以来、一度も見ていなかった。
今日も、その耳に輝くのは違う宝石。彼女の好みではなかったのだろうか。あの時困っていた彼女を助けられたからそれでいいという思いと、彼女の耳に輝くラピスラズリを見たいという思い。
「ご体調は大丈夫ですか?」
「えぇ。小公爵様にご心配いただくような身分ではございません」
いつもより少しだけ冷たい気がする。
いや、そんなはずはない。彼女は優しい。でも、特別な関係じゃない。冷たく感じるのはそのせいだ。
「お手を取っても?」
「……はい」
彼女の了承を受け、そっと彼女の手を取る。そして、その甲に軽くキスを落とした。
「まぁ……」
周囲の令嬢から小さな歓声が聞こえた。
手の甲へのキスは「敬愛」として、恋愛関係にならない男女間でもよく行われるもの。といっても、男性から女性への好意を示すものでもある。
その時、ツン、と鼻をつく香りがした。
空気が焼けたような刺激臭。それは、香水の香りというには、あまりにも不自然だった。
不思議に思って彼女の顔を見上げる。感情の読み取れない澄ました表情。これを好意として受け取っているのか、友情として受け取っているのかさえもわからない。
困惑しているのだろうか。彼女と恋仲にある男の話は聞かないし、こういったことには慣れていないだろうから。
「ありがとうございます」
そっと手を離すと、彼女はすっと手を引いた。
「皇后陛下にご挨拶して参ります」
1歩引いてそう告げた彼女に、
「ご一緒しても?」
ジュリアンがそう提案する。
「……いえ。ひとりで行けますから」
静かに断られてしまった。
それもそうか。この場で2人きりになるのは、いわゆるカップル成立を意味する。ジュリアンとしてはいっそ噂という既成事実を作ってしまいたいが、彼女がそれを望んでいない。
「失礼いたします」
綺麗な一礼で、彼女はその場を去った。
ひとりになった彼は、少し考えた。
あの匂いはなんだったのだろう。香水にしては刺激に強い匂いで、令嬢が好むようなものではない。そして、どこか嗅いだ記憶のある匂い。
少し思考を巡らせて、あの匂いを思い出す。その瞬間、頭に浮かんだのは、冷える日の暖炉。火を消した後の、あの煙の匂い。
基本的に年中を通して温暖な気候とはいえ、冷える夜に火を使うのは、貴族なら当然のこと。
しかし、ここ最近の気候は、火を使うほど冷えているとは思えない。
なぜ、彼女から煙の匂いがするのだろう。
体調を崩して寝込んでいたのだろうか。体を暖かくするために暖炉を使ったのだろうか。そうじゃないと説明がつかない。
彼女の手を取った右手を軽く嗅いでみる。あの匂いはしない。
やっぱり気のせいだったのだろうか。彼女には合わない香りだ。
彼女の滑らかな指先を思い出すように、指同士を擦り合わせた。




