68 忘却のレテ
「レテ、と名付けたわ」
イレーヌが言った。
「使える?」
「もちろん」
リディアは霧吹き式の香水瓶のような小瓶を手に取る。
「ちゃんと売ってみせるわ」
その言葉を発した時点で、リディアの頭の中には、この新薬を売る算段がついている。商人が計算機を弾くように、素早く値段をつけた。
*
その薬を持って、リディアは闇オークションの業者を訪ねた。
「へぇ、ブラックリリーの本物は初めて見た」
舐め回すように見つめる男に、リディアはツンと顎を反らす。
「わたしが本物だという証拠はあるの?」
「ハハハッ、確かにな」
ケラケラと笑う彼は、きっとリディアを本物のブラックリリーとして認識している。
「これ」
そこで、リディアは先程イレーヌから買った小瓶をいくつか彼を渡す。
「ひとつ金貨500枚で買ってちょうだい」
「大金だな。そんな価値があるのか?」
「価値をつけるのは、あなたの役目でしょう」
価値を見定めるように商品を見つめる男を、リディアは観察する。
「嫌ならいいわ。他のところに持っていくから」
「待った!」
そう言った瞬間、男はリディアを止めた。
「わかった。金貨500枚だな。この5個は買い取る」
「そう」
妥協する気はなかった。闇オークションなんて限られているし、ブラックリリーの商品を売れる場所は他には無い。
「ブラックリリーの新商品を取り扱わせてもらうたぁ、うちの店も有名になったもんだ」
闇オークションで有名になって嬉しいのだろうか。表には出ていけない存在なのに。
「ほら、受け取りな」
じゃらっとした重みに、リディアはふっと微笑む。
「話が早いのね。理解力のある人は嫌いじゃないわよ」
「そりゃ光栄だな。また売りに来てくれよ」
「気が向いたらね」
そしてリディアはオークション業者のもとを去る。
「ガレン、マフィアに新薬を売ることを伝えて」
「ん、わかった」
ガレンは何も聞かずに頷いた。
「今回はシャドウドラゴンも出るでしょうね」
前回の武器とは違い、いつも薬をメインに買っていくシャドウドラゴンも今回は逃さないはずだ。
「おもしろくなるわよ」
資金は手に入れた。
「見に行くのか?」
ガレンの問いに、リディアは一瞬迷った。
お金さえ手に入れられれば、もう気にすることはない。今回は、売値の一部がリディアに入るわけでもないのだから。
しかし、気になってしまう。どうしても、この商品の行先を見たいと思う。
これは許されるのだろうか。楽しむという気持ちに蓋をしたリディアが、抱いていい感情なのだろうか。
「商人がオークションを見に行くのは、おかしくないと思う」
その時、ガレンがそんなことを言い出した。
「リリーは出品するわけだし、自分のところの商品がいくらで売れるのか見るのは、市場調査みたいなものだろ」
「そうね」
それは、リディアに言い訳をくれた。
「じゃあ、見に行くわ」
「わかった」
「今回は変装もいらないから」
ブラックリリーという姿を隠す必要はない。ブラックリリーとして、商品が売れるのを見届けるだけなのだから。
*
オークション当日。リディアはいつものリリーの姿で下町に出た。赤いローブからこぼれた黒髪を風に揺らしながら、路地裏の会場を目指す。
その会場は、またブラックリリーの商品が出ると噂が回ったのか、多くの人で賑わっていた。
「おや、カジノに入り浸っていると聞きましたが」
貴族たちの会話が耳に入ってきた。
「えぇ。どうにもおかしかったようです」
カジノで撒いたエデンネクターの効果が切れたのか。まるで薬に依存していた人が正気に戻ったかのようなやり取りに、リディアは耳を疑う。
あとでリオに聞きに行こう。今は、このオークションに集中しよう。
「続いては、皆さんお待ちかね! ブラックリリーの新商品のご案内です!」
主催者の言葉に、会場から歓声があがる。
「皆さん、隠したい秘密はありますか? その秘密を誰かに知られたことは? そんな時におすすめ! たった一吹き、顔にかけるだけで、数時間の記憶を失う。そんな特別な薬を仕入れました。その名も、レテ!」
イレーヌから買った商品の全てを、彼に売ったわけではない。ほとんどはリディアの鞄に商品として入れているし、ひとつはリディアも念のためにと持ち歩いている。
「さぁ、金貨500枚からスタートです!」
会場には、ヴィクターとグレンの姿も見える。そして今日は、シャドウドラゴンのシャルカも。綺麗な顔の男たちをそばに置き、その区画だけ異様な雰囲気を放つ。護衛なのか世話係なのか。
3人ともまずは沈黙。最初はどこにも属さない犯罪者や貴族たちが値段をつりあげる。
そして落ち着いた頃に、彼らは圧倒的な経済力で競り落す。
「3000出ました!」
シャルカの勝ち誇った笑みが、リディアにははっきり見えていた。
「帰りましょう」
踵を返し、会場を出る。すると、男たちに前を塞がれた。ガレンが警戒して1歩前に出るのを、リディアは静かに止める。彼らの手首に、赤いリボンが巻かれていたから。
「ボスがお呼びです」
彼らは不遜な態度ではなかった。
「わかりました」
リディアが頷き、彼らについていく。会場のそばの路地に、彼は立っていた。
「教育の行き届いた構成員ですね。無礼な態度であれば断ろうと思っていたのに」
リディアの言葉に、ヴィクターは反応しなかった。
「さっきの薬、在庫はあるか」
すぐさまそう聞いてくるヴィクターに、リディアは微笑む。
「えぇ、もちろん。オークションには格安で卸しましたので、少し高値にはなってしまいますが」
「かまわん。10個だ」
「かしこまりました」
ヴィクターは豪快に大きな袋を取り出す。そこには1万枚の金貨。
「確かに」
リディアが受け取り、商品を渡す。
「では、また」
そう踵を返した時、そこにはグレンが立っていた。
「ブラックリリー、私にも売っていただけますか?」
「えぇ、もちろん」
手に入れたかったのは、シャドウドラゴンだけではない。ブラックリリーと直接関わりを持つ彼らだからこそ、その場で取引を持ちかける。それは周囲への誇示という側面もあるのだろう。
*
「リオ、最近カジノの噂は聞いてる?」
帰りに市場によって、リオから情報を買う。
「リリーさん、カジノで薬を売った?」
リオはそう聞いた。
「もしそうなら、解毒薬が開発されてるみたいだよ。気をつけて」
「……どういうこと?」
意味がわからなかった。
「前まで薬やお酒に依存してる人たちが多かった。でも、そういう人たちが、少しずつ治っていってるみたいだ。カジノに入る人数も少しずつ減ってるって」
「どうして……」
予想外だった。そんなことになるなんて、思っていなかった。
「誰かが成分を分析して解毒薬を作らせたんだろ」
ガレンが言った。
「イレーヌより腕のいい薬師は山ほどいるだろうし、誰にでもできることだぞ、たぶん」
薬に溺れているなら、自分で服用する以外の使い方はしないと思っていた。そんな「裏切り」が起きるなんて。
「誰がそんなこと」
「この前のあの男じゃないか? 青い目の」
ガレンが言ったのは、小公爵のことだった。
「目がおかしかったんだ。他のやつらと違う」
彼は薬に依存したわけではなかったのか。
「前にブラックリリーを探ってる貴族がいるって、リオが言ってただろ。確か、公爵家? がトップにいるとか。そいつじゃないのか?」
カジノで薬を売る女がブラックリリーだと言われ、噂を確かめに来た。ブラックリリーを捜査する目的で薬を購入し、分析させた。そんなこと、簡単にわかるはずだった。
「……カジノには、もう行かないわ」
「そうした方がいいだろうな」
ひどく裏切られたような気持ちだった。彼はブラックリリーを逮捕するために動いているのであって、それは当然のこと。リディアとリリーの繋がりには気づいていないだろう。
彼はリディアを裏切ったわけではない。それはわかっている。それなのに、不快だった。




