60 マリオネット
シャドウドラゴンの宿屋に向かった。鞄には、いつもの武器や薬と一緒に、新薬も入れた。今日は「お礼」をする日だ。
「ごきげんよう、シャルカさん」
いつもの余裕を持った笑みに、シャルカが微笑みを返す。
「座ってちょうだい。お茶をいれるわ」
「必要ありません。お礼を伝えにきただけですから」
彼女のペースにはのらない。自分の行動が人の命を奪ったという事実に動揺する気持ちは、あの日の夜に置いてきた。
「あら、つれないわね。お酒でもいいわよ?」
「あいにくお酒は嗜みませんので」
そう言って、小さな小銭入れのような革袋を机に置く。
「シャルカさんなら、上手に使っていただけると思って」
そう微笑んだ。
「何かしら」
シャルカがそれを手に取って中身を確認する。彼女の手のひらに、サラサラした赤い粉が出てきた。
「マリオネットという新薬です。その言葉通り、これを服用した者は操り人形になります。餌に混ぜて魔獣に服用させることが可能です」
「あら、おもしろいわね。人間にも効くの?」
その質問に躊躇いはなかった。マフィアには、同類への情というものはないらしい。
「まだマウスでしか試していませんから、ぜひシャルカさんがお試しください」
自分の手は汚さない。それは、リディアの最後の一線だった。そこを侵してしまえば、きっと自分は人間ではなくなる。そんな感じがした。
「そうね。試してみるわ。ちょうどお人形がほしかったのよ」
何のための人形だろう、というところは聞かないでおいた。それはきっと知らない方がいいものだ。
「それはプレゼントです。偽物を消していただいたので」
「まぁ……。ふふ、情報が早いのね。お抱えの情報屋は腕利きなのかしら」
「シャルカさんには負けますわ。ぜひいい情報屋を紹介していただきたいです」
これは建前。シャルカもそれはわかっている。リリーの正体を探られそうな信頼できない人間なんて必要ない。
「でも、残念ですわ。彼らがいれば、捜査の撹乱ができたかもしれないのに」
勝手に動いたことでこちらの計画が崩れた、ということを一言だけ付け足しておく。
「余計なお世話だったかしら?」
シャルカが綺麗に目を細める。
「いいえ、そのようなことは」
マフィアを責めてはいけない。一線を超えれば、明日には海に浮かんでいるだろう。だから、言葉は慎重に選ぶ。
「こちらはお礼です。もしまたご入用でしたら、その時は正規のお値段をいただきますわ」
消してくれたお礼を渡しながら、それが最善策ではなかったことを仄めかす。これだけで、聡いシャルカには伝わるはずだ。
*
続いてノワールローズの酒場を訪れた。いつものようにざわついた酒場は、リディアが入るだけで一気に静まり返る。まるで、ボスの商談を邪魔してはいけないというルールがあるかのように。
「ごきげんよう、ヴィクターさん」
その中で、リディアは怯まずに笑顔を作った。
「お礼に参りました」
「……お礼だと?」
「えぇ。わたしのために動いてくださったと聞きましたので」
ヴィクターは一瞬だけ意外そうに鼻を鳴らした。
「消してほしいと言ったわけじゃない。そう言いそうだと思ったが」
「あら、ご期待に添えず、申し訳ございません」
わざとらしく会釈してみせて、
「ですが、貸し借りを作るのは商人ではありませんから」
と微笑む。
「ですから、これで貸しはなしということで」
そう言って、リディアは革袋をヴィクターの前に差し出す。
「なんだ」
「お薬です。マリオネットといいます」
「操り人形か」
「えぇ。お人形、ほしくありませんか?」
具体的な説明はいらない。きっと彼はこれだけで察するから。
「それはプレゼントさせていただきます。お礼ですから。もしまた必要でしたら、次は正規の値段をいただきますわ」
あくまでも商人に徹する。彼らの敵になると思わせてはいけない。
「ボス、お待ちください」
その時、そばのテーブルから男が立ち上がってずかずかと歩み寄った。
ヴィクターと同じ体格のいい、いかにも暴力が全てといった感じの男は、リディアの前に立ち、リディアを見下ろす。
「飲んでみろ」
そして、リディアに言った。
「これが毒じゃないというなら、お前が飲めるだろう」
いつもこんなことにはならない。なぜだろう。ノワールローズの中で何かあったのだろうか。
「毒ですわ」
その中で、リディアははっきりそう告げた。
「魔獣を使役するための毒です。人間が飲めば、自我を保っていられなくなる。毒じゃないとは、一言も言っていません」
「うちのボスに毒を売るつもりか?」
リディアの意識は、目の前でリディアを睨みつける男よりも、後ろで殺気立つガレンの方に向かっていた。リディアの意図を汲んでか、彼は動かない。でも何かあればいつでもすぐにアッシュラインを抜ける体勢にしているのがわかる。
「ヴィクターさんが飲むものではありませんわ。使役したい者に飲ませるものです。聡いお方なら、わかってくださると思いましたが」
リディアのわかりやすい挑発の言葉に、男はピクっと眉を寄せ、そのまま短剣を抜いた。冷たい刃が、リディアの首に添えられる。
その横で、ガレンが銃口を男に向けていた。
「殺しますか?」
リディアは怯えてはいなかった。
「わたしがいなければ、困るのはヴィクターさんかと」
その瞳で、男を冷静に見据える。
「自惚れるな。お前はただの商人だ。代わりはいくらでもいる」
「ですが、アッシュラインを売れる人は、他にはいませんよ」
「お前が雇っている職人を探し出して作らせればいい」
「どこにいるか目星はついているのですか?」
男の返答に一瞬迷いが出た。当然だ。武器を作れる職人は、リディアの家の地下室にいるノエルしかいないのだから。
「……別にアッシュラインに頼る必要はないだろう。他にもいい武器を作るやつはいる」
「そうですね。そう思われるなら、わたしから買わなければいいだけのことです」
リディアの淡々とした口調に、
「ゲルハルト」
ヴィクターが口を開いた。
「お前の手におえるやつじゃない。諦めろ」
ヴィクターの言葉には逆らえないらしく、彼は短剣をおさめ、忌々しそうにリディアを睨む。そんな視線など気にもとめず、リディアはヴィクターに微笑んだ。
「そんなじゃじゃ馬みたいに言わないでください。か弱い女商人ですわ」
「……ふん」
か弱いなんて、と鼻で笑われる。
「それでは、また参りますわ」
綺麗なカーテシーをしてみせて、リディアは酒場を後にした。




