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59 薔薇を捨てた日


「お嬢様、お手紙が届いております」

 外出の支度をしている時、メイドが手紙を持ってきた。


「誰から?」

 軽く視線を向けて尋ねると、

「リュセール小公爵様からです」

 と答えが返ってくる。その瞬間、心臓がドクンと鳴った。


 もしリリーを問い詰める手紙だったら。一瞬だけ、そう警戒した。


 でも、そんなわけがないと持ち直した。リリーの姿は誰にも知られていないのだから。


 ペーパーナイフで封を開け、手紙を取り出す。いつも通りの他愛もない文学の話だった。リディアがおすすめした本の感想を送ってきてくれたらしい。


 その手紙に添えられた花を見つめる。無意識にその視線が睨むように厳しくなってしまう。


 何のためにブラックリリーを探っているのだろう。アッシュラインが違法になったという話は聞かないし、憲兵に押収されているという話も聞かない。国の中枢に関わる彼が、先頭にたってブラックリリーを追う理由は。


 わからない。わからないから、怖かった。


「お花は飾りましょうか」

 いつものように聞いてくる侍女に、

「……捨てておいて」

 と小さく返す。


「え?」


 驚く侍女に、リディアは視線も向けずに吐き捨てる。


「その花、嫌いなの」


 何が仕組まれているかわからない。そんな疑心暗鬼さえ、彼の手のひらの上のように感じてしまう。ピンクの薔薇さえも許せないほどに。


 兄を騙す時とは違う、ズキズキとした胸の痛みの理由は、探そうとはしなかった。


*


 下町に出たリディアは、いつもより少しだけ周りを警戒した。ガレンと合流する前から、誰かにつけられていないか後ろを確認する。


「リリー、どうした?」

 その様子を見たガレンに心配されてしまうほどに。


「心配なのよ。尾行されていないか」

「尾行されてる可能性があるのか?」

 リディアの返答に、ガレンはきょとんと答える。


「ストーカーなら、ノワールローズが怪しいと思うけど」


 なぜかリディアに懐いている、ノワールローズの構成員ルノワール。ストーカーするなら彼だろうと、ガレンはなぜか断言する。


「違うわ」

 そんな単純なものじゃない、とリディアは首を振った。


「武器商人なんて、追われるものでしょう?」

「そうなのか?」


 国に認められていない武器の製造と販売。法律によっては極刑だってありえる。


「お貴族サマだってほしがるんだぞ。誰が罰するんだよ」


 ガレンの言い分はもっともだった。本来取り締まる側の人間が、裏社会とつながって高額で買っているのだから。


「……それでも、気をつけなきゃいけないのよ」

 リディアだって前は考えていなかった。捕まったらその時に考えようと思っていた。


 しかし、なぜだろう。彼にだけは知られたくないと思ってしまう。派手な装飾品がついたドレスじゃない。高級なシルクで仕立てられたドレスじゃない。裕福な層とはいえ平民が着ていそうな服なんて、見られたくなかった。


「あぁ、そうだ。リオから報告があるって」

「そう」


 ガレンには緊張感が伝わらないらしく、彼の言葉に頷くことしかできなかった。

 いつもの市場の片隅。リオの店の前に膝をつく。


「何かあった?」

 リディアが尋ねると、

「いい話だよ」

 とリオは得意げに告げた。


「何かしら」

「ブラックリリーの偽物が殺されたよ」

「は?」


 予想外の言葉だった。


「捕まった、ではなく?」

「アジトが襲撃されたんだよ。ノワールローズにね」


 どういうことだろう。なぜ彼らが動くのだろう。


「すごかったよ。爆発みたいな大きな音が何発も聞こえてね。ノクターンだったかな。連射式の武器が活躍したみたいだよ」


 それはノワールローズとグレイウルフしか持っていないはず。確かにブラックリリーの顧客が動いたのだとわかった。


「末端は散り散り。トップはこの前海からあがったよ」

「……どうして、そんなこと」


「シャドウドラゴンが情報を売ったみたいだね。あそこは情報網がすごいから。偽物のアジトを突き止めることくらい簡単だったんじゃないかな」


 まさか命を奪うなんて思っていなかった。確かにシャルカに挑発されて、もし何か打撃を与えてくれたらお返しをすると言った。それは、殺して欲しいという意味ではなかったのに。


 動揺する心を、ふうっと息を吐くことで落ち着かせる。


「リリーさん、これはよくなかったの?」

 リオが不思議そうな顔をしていた。


「……いいえ」

 そうだ。武器商人リリーは、そんな弱さなんて見せない。


「お礼をしなきゃね」

「うん、そうだね」


 リディアの返答を聞いたリオが、嬉しそうに笑う。その笑みがあまりにも無邪気で、これがリリーとして正解の態度だと感じた。


「ガレン、ノワールローズやシャドウドラゴンは何か言ってきてる?」

「いや、今のところは何も」


 ガレンには来ていない。恩を売ったつもりはない、ということだろうか。

 貸し借りの関係性はよくない。対等に立つために。


「新薬でも売ろうかしら」

 リディアはそう言って、リオに金貨を渡した。


「ありがとう」

「まいど〜」


 彼は嬉しそうに手を振った。


「気にするなよ」

 リオの店を離れて歩く中で、ガレンが言った。


「お前が殺したわけじゃない。ノワールローズが勝手に動いただけだ」

「わかってるわ」

 勝手に動いたのはノワールローズ。リディアが指示をしたわけじゃない。


 でも、ヴィクターの中には、リディアに恩を売ろうという感情があるはず。その感情を、無視できない。


「大丈夫よ」

 リディアは呟いた。

「わたしは、大丈夫」


 この程度で怯んではいられない。マフィア相手に商売をすると決めた時から、命のやり取りは前提にあったのだ。


 この世界で、殺されないために。そのために、リディアは赤いローブを被る。貴族にも、マフィアにも、侮られないために。


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