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5 月下に響く産声


 全身が痛い。頭が痛くて、ぼーっとする。当たり前のように熱を出した。

「過労でしょう。ゆっくり休むと回復すると思います」


 主治医はそう言って帰っていった。休んでいる暇なんてないのに。今すぐにでも動けるような薬がほしいのに。

 熱を出すことは少なくないが、そう思ったのは初めてだった。苦い薬を飲み、ベッドに横になる。

 仕方ない。いつものように数日寝込むよりはマシだ。5日後までに動けるようにならなければ。


「今日は休めるから、一緒にいるよ」

 心配しているのか見張りか。ベッドのそばで本を開く兄の横顔を見ながら、眠りについた。


*


「お父様、倉庫の鍵をいただいてもよろしいですか?」

 体力が戻ったリディアは、さっそく父の執務室を訪れた。


「体はもういいのかい?」

「はい。すっかり元気になりました。今回はお薬がよく効いたみたいで」


 いつもならあと3日は寝込むところだ。父が驚くのも無理はない。苦い薬を1日3回も飲んで、食事は無理やりにでも詰め込んで、いつも以上に頑張った。たった数日でここまで動けているのは、そのおかげだろう。


「いい子にしていたと聞いているよ」

 父もそう笑った。

「倉庫に何の用かな」


「お祖父様のコレクションを久しぶりに見たくなってしまって。それに、書庫に入りきらない本もあるのでしょう?」

「……そうだね」


 さらりと嘘をつくのは、もう慣れた。父も不自然には思わなかったらしく、

「わかった。でもあまり長居はしないように。身体に悪いからね」

「はい」

 父の許しを得て、リディアは屋敷の物置となっている倉庫に足を踏み入れた。


 探すものは決まっていた。魔法陣を書くための導魔液が保管されている。といっても、魔法陣を書くことなんて滅多にないため、この家では倉庫に押し込められているものだ。それをいくつかもらえれば。


 貴族だけが持つ魔力が、リディアには足りていない。そのせいで身体が弱い、と昔から言われていた。魔力の少ないリディアが導魔液を持ち出す理由を、家族には説明できなかった。


「……あった」


 片隅に置かれた木箱の中に、大量に入れてあった。黒光りする液体を入れた大きなガラス瓶をいくつか抱える。さすがに全部は持っていけないだろう。少しずつ部屋に持って行ければいいのだが。


「……あれ?」

 その時、物置の片隅に畳まれたローブが目に入った。

「お祖父様のかしら」


 変わったもののコレクターだった祖父のものは、ほとんどがここに入れられている。でもまだ使えそうなローブまでこんなところにしまっている理由がわからない。


 一度ガラス瓶を置いて、ローブを手に取る。頭にかぶるフードのところに、何やら魔法陣が書いてあった。なるほど、魔道具か。なんとも祖父らしい。


 ローブを羽織り、魔法陣が頭の上に来るようにフードをかぶる。すると、髪色が変わった。深い栗色から、真っ暗な夜のような黒色に。


「……これも、使えそうね」

 リディアはふっと微笑んだ。


*


 ローブを羽織って家を出た。ローブで髪色を変えてしまうと、屋敷を抜け出す前に誰かに見つかっては不審者だと通報されてしまう。だから、屋敷を出るまではフードを被らなかった。


 月の下に出てようやくフードをかぶる。じんわり熱が広がるように変化していく髪色が、毛先まで綺麗な黒色に染まったのを確認して、歩き出した。


 貴族街を出て下町へ。この前と同じ酒場が見えてくると、その扉の前に人影が立っていた。リディアの依頼を受けた、あのガレンという男だった。


「中に入らないの?」

 リディアが声をかけると、男は首を傾げる。

「誰だ、あんた」


「……忘れたのかしら」

 リディアが少し眉を寄せると、

「あぁ、リリーか」

 と男が理解する。


「髪、染めたのか?」

 あぁ、そういえば髪色が変わっているのだった。

「どうかしら」


 はっきり明言するのは避ける。魔道具を使った、なんて言えば身元を特定されるかもしれない。魔道具が買えるのなんて、きっと貴族だけだろうから。


「今日は外でいいか?」

 ガレンが聞いた。

「どうして?」


 リディアが静かに聞く。できれば人目があるところにいたい、というのが本音だった。


「特殊な依頼だろ。人に聞かれない方がいいんじゃないか?」

 古代武器のため、なんて言わなければ、素材の取引くらいは問題ないだろう。そう思ったが、

「俺が取ってきた素材がどう使われるのか、知りたいしな」

 ガレンがそんなことを言い出した。


「それは……」


 断りたい。古代武器の密造なんて、人に見られてろくなことはない。でも、苦労して得た素材の使い道を知りたいというのは、人間として当然の主張のような気がする。依頼主として尊重するべきなのか。冒険者を雇った経験なんてなくて、何が正解かわからない。


「……誰にも言わない?」

 リディアはそう確認した。

「あぁ。口は硬いぞ」


 その返答に迷いはなかった。信じてみてもいいか。どうせ魔力のない平民に古代武器を作ることはできないのだ。


「そうだ。どうせなら、これ、預かっておくか?」

 彼は剣を差し出した。


 冒険者の世界に詳しくはないが、剣を大事にしているのはわかる。それを預けるというのは、きっと大きな意味があるのだろう。


「わかったわ」

 迷いや動揺は見せたくなかった。


「人目がないところに行きたいわ。案内してちょうだい」

 彼はその言葉を待っていたかのように歩き出した。


 街から外れ、路地を抜けて森の中へ。貴族街からどんどん離れていくことに不安を覚えながらも、ここで引き返せないとついていく。


「ここらでどうだ?」

 そこは、森の中にある拓けたところ。木々がなく、月光が妖しく降り注ぐ。まさに幻想的な場所だった。

「いいわ」


 落ち葉を軽く手で払い、持ってきておいた導魔液の瓶を傾ける。ぽとと、と落ちた液を木の枝でなぞって、魔法陣を描いた。その上に素材を置き、魔法陣に手をかざす。


 赤黒い血の塊のようなコアに、真っ黒な毛皮、そしてざらざらとした灰も。これがどうなるのか。そんな不安を振り払い、魔力を注いだ。


 魔法陣が青く光り、素材を包み込んでいく。

 魔力が出ているのだろう。身体の中から血が流れていくような不快感は、リディアの体力を奪っていく。


「……っはぁ」

 もう無理だ、と魔力を止めた。


 いくつか残った素材と、2丁の銃、そして10発の弾。これが、古代武器だった。

「なんだ、これ」

 ガレンが魔法陣に手を伸ばす。止める気力はなかった。


「武器よ」

 その場に倒れそうなのをなんとか堪えているのが精一杯で、腕ひとつ動かせない。こんなに魔力が枯渇したのは、初めて魔法の練習をした時以来だ。


「使ってみてもいいか?」

「好きにして」


 これくらいは報酬の範囲だろう。実際、それがどれほどの威力を持つのか、リディアも知らないのだから。


「これを入れる、のか?」

 何も説明はしていないのに、ガレンは弾を銃身に入れ、銃口を木の幹に向ける。冒険者の感覚だろうか。見知らぬ武器も、簡単に感覚を掴んでいく。


 パァンッ


 鋭い音に、思わず耳を塞いだ。あんなにだるかった手が勝手に動くほど、それは強い音だった。


「すっげぇ」

 ガレンの声が、どこか遠くで聞こえた。

「すげぇ! なぁ、これすげぇよ!」


「……そうなの?」

 リディアにはよくわからなかった。


「ほら、見てみろよ。1発で木に穴が空いてる。このでかい木にだぞ」

 確かに、少し離れたリディアの位置からでも、ひどく傷ついた木の幹が見える。


「これは、人を殺せるかしら」

 リディアはそう聞いた。


 一瞬、ガレンが固まり、そして、ふっと笑った。


「あぁ」

 確かに頷いた。

「殺すどころか、死ぬ方が楽だと思わせるくらいに痛めつけることもできると思う」


 その言葉が、ゆっくりと胸に染み込んでくる。まだ実感は湧かない。でも、命を奪うことに慣れた冒険者としての言葉が、信じたいと思わせてくれる。


「あんたは、殺したい人がいるのか?」

 ガレンが聞いた。

「……どうかしら」


 そこまで明かす気はなかった。


「これ、かなり反動がくるぞ。手が痺れるし、耳も痛いし」

「そうね」

 そんなもの、死の恐怖に比べたらなんでもない。


「なぁ、俺を使わないか?」

 眉を寄せた。


「素材は集められる。これを使わせてくれるなら、あんたに従うぜ」

「……従う?」


 冒険者の仲間か。荒事に強い仲間は、正直ほしい。貴族の権力なんて通じない世界に入ろうとしているのだから。


「例えば、護衛とか。今ひとりで出歩いているのも、無事なのが不思議なくらいだ。俺が護衛役をしてもいい」


 父や兄に内緒にしている以上、屋敷の騎士や執事を使うわけにはいかない。素材を集めてくれて、作る時には見張りや護衛をしてくれる人。願ってもない人材だった。


「あんたの監視下でしか使わないって契約してもいい。ただの冒険者業では使わない。あんたが撃てと言った時だけ撃つ」

 真っ直ぐな目に、嘘はないように見えた。


「わかったわ」

 だから、リディアは頷いた。


「冒険者業で使わないでとは言わない。でも、目立つ使い方はまだしないで」

「了解」

「護衛も任せるわ。わたしひとりで行動する危険はわかっているもの」

「そうだな」


 彼の返答に迷いはなかった。本当にリディアに従う気でいるようだ。


「じゃあ、今日からだな。家まで送ろうか?」

「……」


 家を知られるのか。護衛を任せるとは言ったが、偽名を名乗っているのだから家門を知られるのは困る。


「一応言っておくけど、あんたがどっかのお貴族様ってことはわかってるからな」

 リディアのわずかな間をついて、彼が続けた。


「言葉や所作でそれくらいはわかるものだろ。俺は貴族に詳しくないから、どこの家かまではわからないけどな」


 つまり、貴族に詳しい人がもしいれば、家門まで特定される危険があるのか。それは困る。やはり髪色だけでも変えて変装する意味はありそうだ。


「……じゃあ、貴族街の入口までお願いするわ」

「りょーかい、ボス」

「ボス?」

「なんだ、マスターがいいか?」

「リリーでいいわ」


 軽い口調ながら、彼から差し出された手に支えられて、リディアは立ち上がった。


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