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46 リンゴと鈴蘭


「は、ぁ……っ」


 口から漏れ出た息は震えていた。意識して深呼吸をしていないと、浅い呼吸で苦しくなる。頭がズキズキ痛んで、手の先が震える。


 これがエデンネクターの症状なのか。それとも無理やり解毒した作用か。どちらにしろ、気持ちのいいものではなかった。


「リディア」

 額に触れた手の重みを感じて、重い瞼を押し上げる。


「大丈夫?」

 兄の顔だった。声を出す気力はなくて、無言のままコクンと頷く。

「最近は調子がいいと思ってたのに……」


 心配そうに顔を歪める兄に、心の中で「ごめんなさい」と謝る。悲しそうな兄の顔に手を伸ばすこともできない。家族を守るため。それなのに、その家族を悲しませているという矛盾。苦しかった。


「きっと疲れたんだ。しっかり休むんだよ」

 兄の優しい視線を感じながら、リディアは目を閉じる。頭を撫でる兄の手は、リディアが眠りにつくまで離れなかった。


*


 なんとか起き上がれるようになったのは3日後のことだった。こんなに寝込んだのは久しぶりだった。


「お兄様」

 仕事を休んでつきっきりだった兄に呼びかける。


「すっかりよくなりましたし、明日はお出かけしてもいいですか?」

「ダメだよ」

 返ってきた言葉は、予想できていた。


「病み上がりなんだ。しばらくはお茶会もダメだからね」

「でも……」


 取引の日が近づいている。月に一度しかないその日に穴を開けたくはなかった。


「ダメなものはダメ。招待状は僕からお断りしておくから。お散歩もしばらく行っちゃダメだよ。何かほしいものがあるなら、使用人に頼みなさい」

「……はい」


 兄のこんなに怖い顔なんて、小さい時に叱られた時以来か。遊んでくれなかったのが悲しくて、兄の本を破いてしまった時の記憶を思い出した。


「読書係を読んで」

「かしこまりました」

 侍女に伝え、リディアは天井を見つめた。


「いい子にしてるんだよ」


 兄は頭を撫でて、仕事に行くと言って出ていった。兄にとってはいつまでもかわいい子どものような妹なのだろう。その妹が毒を飲んだ、なんて、絶対に言えなかった。


*


 ノエルが部屋に来て、使用人たちを出し、リディアは彼をベッドのそばに呼んだ。


「おつかいを頼みたいんだけど」

「あぁ」


 誰もいないということで、彼は砕けた口調で頷いた。


「ガレンに今月の取引を取りやめるって伝えて。弾は売ってもいいけど、わたしは行けないって」

「わかった」

「次に会える日は連絡するわ。しばらく未定ってことにしておいて」

「あぁ」


 ノエルは「大丈夫か」とは言わなかった。屋敷の中にいる彼なら、リディアが体調を崩していたという話も聞いているはずなのに。なぜそうなったか気にならないのだろうか。


「弾は届けた方がいいか?」

「そうね。頼んでもいい?」

「あぁ」


 指示を終えたリディアは、ふっと息を吐いた。


「じゃあ」

「えぇ、よろしくね」


 彼は何も言わずに部屋を出ていった。


 疲れた。たった数分喋っただけなのに。やっぱり体力が落ちているのだろう。ちゃんと体力が回復するまで、しっかり休むことにした。そうでないと、みんなに迷惑かけるのだから。


*


「これ」

 おつかいから帰ってきたノエルは、リンゴを持っていた。


「ガレンから、お見舞いだって」

「ありがとう」

 リディアが受け取ろうとすると、ノエルはそばの果物ナイフを取る。


「切ってくれるの?」

「あぁ」


 読書係として雇っているとはいえ、本当に本を読んでもらったり代筆してもらったりなんて仕事はさせていない。武器作りだけを任せていた彼は、丁寧にリンゴを切り分ける。


「ん」

 フォークが刺さったリンゴを差し出され、リディアは受け取った。


「ありがとう」

 しゃくっと音がして、甘酸っぱい味が広がった。


「おいしいわ」

 市場で買ったリンゴをガレンと2人でかじったあの日を思い出す。


「心配してた」

「取引のこと? 何かあった?」

「いや。リリーのこと」

「あ、そっち。もう大丈夫よ」


 ガレンも心配させてしまったのか。取引をやめるなんて今までなかったし、過剰に心配させてしまっているかもしれない。


「早くよくならないとね」

「あぁ」


 ノエルがそう頷いた時、

「お嬢様」

 メイドが入ってきた。


「リュセール公爵家からお見舞いが届いております」

「公爵夫人から?」


 体調を崩したことは誰にも言っていないが、どこから広がったのだろう。隠すものでもないため、噂が広められたところで不満はないのだが。ただ悪い噂は広がらなければいいな、とどこか遠いところで考える。


「いえ、小公爵様からでございます」

「小公爵様が……?」


 公爵夫人なら交流はあるし、母の旧友という繋がりもあるから、わからなくはない。しかし、その息子からというのは、わからなかった。


 なぜだろう。何度かお手紙のやり取りをするくらいの関係で、花を送り合う仲でもないのに。


『ご体調を崩されたと聞きました。どうか無理をなさらず、ゆっくりお休みください。またお元気な姿でお会いできる日を楽しみにしております』


 そんな特別でもなんでもないお手紙が添えられていた。


「かわいい」

 かわいらしい鈴蘭の花に、リディアはポツリとこぼした。

 

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