44 魔女の吐息
赤いローブをかぶると、栗色の髪が黒く変化していく。完全に変わったのを確認して、リディアは門をくぐった。取引のためのいつもの鞄も一緒に。マフィアが何を買うかわからないため、あらゆるものを詰め込んだその鞄は、魔力を持つ者しか使えない特殊なもの。だからガレンに預けるわけにはいかない。
「リリー」
ガレンが駆け寄ってくる。
「今日もいつものところか?」
「えぇ」
取引に行くところは決まっている。酒場から商会、そして宿屋まで。いつもの通りに回るだけ。
「イレーヌがあとで会いたいって。新しいの、できたらしい」
「そう」
新しい薬か。以前言っていた、あの赤い花を使ったものだろうか。新たな商売の兆しが見えて、リディアは微笑んだ。
*
「以前のお薬、またもらえる?」
最後の取引現場、宿屋にいくと、相変わらず異国の香りがした。
「えぇ」
リディアは頷き、鞄から商品を取り出す。武力よりも情報に強いシャドウドラゴンは、武器よりも薬の方を買うことが多い。
「ベルセルクアッシュだったかしら。あれ、いいわね」
「光栄です」
リディアが直接試せなかった危険な薬も、積極的に使えるのはマフィアだからだろう。
「使った後はひどく疲れるけれど、使い捨てにはちょうどいいわ」
ボスのシャルカ自身も使ったことがあるらしく、使用感を聞きたいと思った。
「あら、大切なお仲間が壊れたりはしませんでしたか?」
もし安全だとわかったら、ガレンに渡すこともできる。
「そんなにやわな駒は持っていないわよ。でもまぁ……、壊れた人はいるかしら」
やっぱりそう安全なものではないらしい。そんな薬を作ったイレーヌには感謝だ。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
お茶を出したのは、綺麗な顔の少年。あどけないはずなのに、どこか妖艶な雰囲気さえ感じられる。
「遠慮しなくていいのよ、ブラックリリー。うちの自慢の子だから」
「……そのようですね」
他2つのマフィアと比べて、やっぱりここだけは様子が違う。毎回違う少年がお茶を持ってきて、リディアのそばでお酌してくれる。そんなもの、必要ないのに。
「たまにはゆっくりお酒でもいかが? 目の保養になる子をそばにつけるわ」
「せっかくのお誘いですが、この後も商談の予定がありまして」
にこやかな笑みは、いつもと違ってややぎこちない。
「つれないのね」
しかし、付き合いの薄いシャルカに、リディアの小さな変化は気づかれない。
「たまにはゆっくりお喋りに来てちょうだい。あなたのお話も聞きたいわ」
こうしていろんな人から情報を抜いているんだろう。それがわかっているから、リディアは余計に気をつける。
「あぁ、そうだわ。リクエストは受け付けているのかしら」
「お話は聞きます。お望みのものができるかはわかりませんが」
「自白剤がほしいの。祖国にはあったんだけど、取り寄せるのは難しそうで。ブラックリリーの商品なら安心して買えるわ」
「光栄です。職人に相談してみますね」
注がれたお茶に、リディアは一度も手をつけなかった。
*
宿屋を出たリディアの頭に、ガレンが手を置く。
「相変わらずだな」
「……本当にね」
シャルカがそういう世界で生き残ったからだろうか。リディアには通じないとわかっているはずなのに、何度もこれではさすがに疲れてくる。
「イレーヌさんのところに行くわ」
「あぁ」
気にしてはいられない。下町にいられる時間が短いため、やれることは全てやっておきたかった。
*
「ごきげんよう、イレーヌさん」
「入って」
出迎えてくれた彼女は、「待ってて」と言って部屋に入っていく。散らかった部屋は、きっとイレーヌの好きなものがたくさん詰まっているのだろう。それは、リディアの自室よりもずっと「お城」のようだった。
「あなたがこの前言っていた薬、一応できたんだけど」
「助かるわ」
花瓶のような形のデキャンタと、紫色の液体が入った小瓶。2つの薬が机の上に並べられた。
「まずはこっち。強い多幸感を与えて依存させる薬ね。とりあえずエデンネクターと名付けたわ」
大きな瓶。このままでは売れないが、小瓶に分ければそのままでも売れそうだ。
「センスがいいのね。そのままの名称を使わせてもらうわ」
「お好きにどうぞ。依存させる薬っていう依頼だったから、とにかく依存性を高めたわ。解毒薬も作ったけど、いる?」
「えぇ、一応ね」
解毒薬を使うつもりはない。でも万が一のために持っておいて損はないだろう。
「それと、これ。ウィッチブレス」
「魔女の吐息? おもしろい名前ね」
紫色の毒々しい色に、リディアはその小瓶に手を伸ばす。
「貴族を殺す薬でしょ。それくらい覇気がある名前じゃないと」
「どんな薬なの?」
リディアの手の中で、その液体がゆらりと揺れる。
「魔力を蝕む薬。命までは奪わない。ただ自我を奪う。最悪廃人ね」
イレーヌが不敵に笑った。
「怖いわね」
その笑みがあまりにも綺麗で、リディアも笑みをこぼす。
「そう? 簡単に死なないようにしたのよ。繰り返し何度も摂取することで、少しずつ人間らしさを失っていく、っていう」
こういうのが作りたかった、と言わんばかりの楽しそうな笑顔。
「いいわね」
彼女のそういうところを求めていた。
「納得してもらえた?」
「えぇ。とてもいい薬だわ」
リディアの笑顔に、イレーヌは満足そうに微笑んだ。
「エデンネクターの方は量産してほしいわ。できるだけたくさん。今後の商品にしたいから」
どこで売れるだろうか、とさっそく考える。
「あら、ウィッチブレスの方は?」
「そっちは、わたしが個人的にほしかったお守りだから。解毒薬も作らないでほしいの」
これは商品にはしない。リディアだけが持つ、とっておきのお守りだ。
「解毒薬を? どうして?」
薬師であるイレーヌにとって、一定の効果が出る薬と、その効果を消す薬を作るのは、きっと当たり前のこと。だから、止めておきたかった。
「貴族は怖いのよ。解毒薬があると一瞬聞いただけで、何としてでも手に入れようとするの。どうせ使わせないのだから、作る必要はないわ」
「……そう。わかった」
リディアの説明に納得してくれたのか、イレーヌは頷いた。
小瓶の蓋を開けて、軽く匂いを嗅ぐ。むせ返るような甘い匂いが、リディアの脳裏に強く焼き付いた。




