39 社交界のダンス
「なんかバタバタしてるな」
地下室で、ノエルが言った。
「そうね。明日が社交界だから」
いつものように本を読んでいたリディアが顔を上げる。
「いつもじゃないのか」
「いつものはお茶会。今度のは……、舞踏会ね。皇后陛下が主催する年に一度の特別なイベントなのよ」
ノエルからすれば、家でゆっくりしている時もあれば、出かけている時もある。その中には社交界の付き合いもあるわけで。何が何なのか、何のためのものなのか、ちゃんと勉強していなければわからないはずだ。
「どっちを持っていくんだ?」
「え?」
一瞬、何を言われているのかわからなかった。しかしすぐにわかった。武器のことを言われているらしい。
「明日は必要ないと思うけど?」
社交界は皇宮が会場だから警備もしっかりしているし、家門と名前がわかる場所で暗殺のような危険は起きないだろう。
「ダメだ。ちゃんと持っていけ」
しかしノエルは首を振った。
「ウィスパーは音を消してある。脅しに使うには充分だろ。それとも、ファントムシェルが小型で持ちやすいか?」
「別に社交界で暗殺する気はないわよ」
外出する時に持っていくファントムシェルも、社交界では必要ないだろうと思っていた。道中も父と兄が一緒だし、危険な目に合うと思えなかったから。
しかし、ノエルはそうじゃないと言う。
「わかったわ。ファントムシェルを持っていくから」
ノエルを安心させるために、リディアはそう答えた。
いつものように腰にまきつけたポケットにいれてスリットの入ったドレスを着れば、ドレスの形が崩れる心配もない。
「ごめん。もっと小型にする」
ノエルはそんなことを言い出した。
「別にいいわよ。ファントムシェルでも困ってないわ」
「でも持っていきたくないんだろ。もっと小さくすれば、持ち歩きやすくなるか?」
「わたしを基準にする必要なんてないわ。隠す必要がない場合がほとんどなんだし」
リディアの顧客であるマフィアは、武器を見せて牽制する意味でも持ち歩く。リディアのように隠して持つことなんて、かなり限られた需要だろう。
それでもリディアのために武器を作りたいらしいノエルは、どこか不満げに視線を逸らした。
最初は自分と母を捨てた貴族への復讐のために手を組んだはずだった。それなのに、いつの間にか別の形になっているらしい。それが忠誠なのか親愛なのか、リディアは深く考えなかった。
*
緑色のドレスを選んだ。瞳の色と同じ緑色のアクセサリーを身につけ、リディアは馬車に乗り込んだ。
「リディア、本当に大丈夫?」
「大丈夫ですわ、お兄様」
何度も確かめる兄に、リディアはうんざりしながらもちゃんと答える。
「困った時は、お兄様を頼りますから」
その言葉で兄が安心することを、リディアは知っていた。
きらびやかなシャンデリアが輝く会場は、前回よりも居心地がよかった。この1年、社交界の集まりに積極的に顔を出したおかげだ。
「アルセイン伯爵令嬢、またお会いしましたね」
特に中立派の家門の令嬢たちは、リディアに快く声をかけてくれた。家の方針に振り回されるかわいそうな彼女たちは、身を寄せ合って他派閥から自分たちを守るしかないのだろう。
「ダンスには誘われましたか?」
「えぇ、ファーストダンスを踊ってほしいと」
「まぁ、素敵」
「どちらの方ですか?」
そんな話で盛り上がる令嬢たちを横目に、リディアは静かに周囲を観察する。
早々に会場の隅を陣取る父と兄は相変わらずで、彼らを気に留める人はいない。社交下手とはよく言うが、それにしてももう少し興味を持ってほしいところだ。
以前教会でリディアが牽制したバルザック伯爵令嬢の姿もあったが、今日はいつもより装飾品が落ち着いている。ノワールローズからの借金も底を尽きつつあるのだろうか。
そして、エリス。彼女は両親に従うように離れない。以前は自由に動いていたのに。貴族派に何か動きがあるのだろうか。
「そろそろダンスの時間ですね」
誰かがそう言った。リディアは誰からも誘われていないし、興味がないと、特に気にも留めていなかった。
しかし、そんな彼女に歩み寄る影がひとつ。
「アルセイン伯爵令嬢」
それは、あの小公爵だった。
「ファーストダンスのお相手をお願いできませんか?」
また目立つではないか。エリスに睨まれるのももうさんざんなのに。そんなことを思いながらも、自分に向けられる深い青に引き込まれるように、リディアは手を差し出した。
「喜んで」
格上の人間の誘いを断れないだけ。そう言い訳した。
彼の手が腰に触れ、音楽とともにダンスが始まる。1年前よりまともに踊れるようになっている。これといってダンスの練習をしたわけではないが、ほとんど家から出ていなかった1年前より、下町を歩き回っている今の方が体力があるからだろう。
「ポケットに何か入れているんですか?」
彼の声が聞こえた。腰につけたポケットに触れてしまったのか。
「香水です」
リディアの笑みは崩れなかった。
「お兄様からプレゼントしていただいたものを、お守りとして持ち歩いているんです」
「そうなんですね」
彼は穏やかに微笑んでそう言っただけだった。その笑みが、なぜか寂しそうに感じた。
「どうかされたんですか?」
だから、リディアの方から聞いた。
「いえ。兄君と仲がいいのですね」
「まぁ、そうですね。ごく普通の兄妹かと」
兄の過保護も、リディアにとっては日常のこと。それだけ兄に大切にされているのだと感じ取っていた。
「私も、あなたのお心の隅に、置いていただけませんか?」
ダンスのせいで接近した時にそう言われ、その言葉が、耳のすぐそばで聞こえた。熱い吐息がかかりそうな距離で。
「……お戯れを」
リディアはすっと離れた。
「小公爵様にはずっとお似合いのご令嬢がきっといらっしゃいますわ」
「貴女以外嫌だと言ったら?」
それでも彼は引き下がらない。リディアの手を支える彼の手に、ほんの少し力が入る。離さない、と言うように。彼の息に、かすかなアルコールの匂いを感じ取った。
「……酔っていらっしゃるのですね」
リディアはふっと目を細めた。
「そういう素敵なお言葉は、ぜひお酒の力を借りていない時に聞きたいですわ」
ちょうどダンスが終わり、リディアは彼の手を離す。綺麗なカーテシーを決めて、
「それでは」
とその場を離れた。彼の視線を、ずっと背中に感じながら。




