36 復讐者は微笑む
あの時の目を、今でも忘れられない。ひどく冷たくて、こちらを人間として認識していないかのような、あの目たちを。あの目に映る、動かなくなった大切な家族の姿を。
その夢を見た日の目覚めは、最悪だ。怖くて、不安で、一刻も早く家族の姿が見たくて、いつもより早く部屋を出る。ダイニングで待っていた家族の顔を見て、ようやく安心できるのだ。
*
「顔色が悪いな」
下町に出たリディアに、ガレンが言った。
「……目覚めが最悪だったのよ」
ガレンの真っ直ぐな目から逃れるように、リディアは目を逸らす。
「じゃあ別日にしてもよかったのに」
「商談よ。バカ言わないで」
商談に穴はあけられない。既存の顧客でも、新しい顧客でも、それは変わらない。こういう商売において、信頼こそが何よりも大事だとリディアはわかっている。
「ガレン、ポーションを持ってる?」
「持ってるけど?」
「ひとつ買い取らせて」
「別にやるけど、どうするんだ?」
ガレンが差し出した瓶に入ったポーションを、リディアは迷わずに飲んだ。ふっと息をつき、唖然とするガレンに、
「顔色、戻ったかしら?」
と聞く。
「まぁ……、さっきよりは」
ガレンから見て一目で顔色が悪いとわかる状態で商談に臨むのは、相手に悪い。舐められるかもしれない。だから万全の状態にしておきたかった。
「無理しなくても」
「楽しいの」
心配するガレンの言葉を、リディアが遮る。
「楽しいのよ、取引って」
力のある男たちを口だけでねじ伏せる瞬間。暴力を交渉で押さえつけるあの時間が、大好きだった。家族のためという綺麗な言葉に包まれたその本音を、無視できなくなっていた。
市場でルノワールと合流する。
「リリーさん、今日も綺麗っすね!」
「ありがとうございます」
リリーに惚れているらしいルノワールに綺麗な笑顔を向け、
「では、案内をお願いしますね」
と告げる。
「任せてください!」
彼は意気揚々と歩き出した。
「リリーさん、ギャングにも売るんすね」
「お客様になってくださるのでしたら」
「気をつけてくださいよぉ。あいつらほんと危ないんで」
「ふふ。ルノワールさんが守ってくださるのでしょう?」
「それはもう! リリーさんには指1本触れさせないっす!」
そんな軽い会話をしながら路地に入る。その奥の奥、物置とも言えない廃材が乱雑に転がった空き地が目的地だった。
「ハルド! いるんだろ!」
その空間にルノワールが呼びかける。すると廃材の影から男が出てきた。
「女連れたぁ珍しいな。オレらに売ってくれんのか?」
その目に見覚えがあった。
「バカなこと言うなよ。お前らのためになると思って連れてきたんだ」
忘れたことはない。忘れるはずがない。血で汚れたあの顔を。
「ねぇ、リリーさん?」
「……ぇ」
小さな声が漏れ出た。
「リリーさん?」
ルノワールの驚いた顔が映った。
しまった。商談中。しかも初めての取引相手だ。
「ごめんなさい、慣れない匂いに驚いてしまって」
慌てて作った笑顔は、いつも通りだった。
「ごきげんよう、ハルドさん。ブラックリリーという名前はご存知ではないですか?」
今すぐにでもポケットに手を入れて、ファントムシェルをかまえたかった。引き金を引きたかった。手足に銃弾を打ち込んで、苦痛に歪むその顔を父と兄に見せたかった。
でも、その記憶は前世のもの。今の彼らは、リディアに恨まれる罪は犯していない。
ここで激昂しても意味が無い。父と兄の命を奪ったのは彼らだが、奪うように命じた人たちもいることを忘れてはいけない。リディアの今の目的は、その上にいる人間たちに地獄を見せることなのだから。
「へぇ、あんたが噂のブラックリリーか?」
「ふふ。ご想像にお任せいたします」
声は落ち着いていた。心臓は耳に響くほどに脈を打っているし、今にも吹き出しそうなほどの強い怒りが身体中を駆け巡っているというのに。
「最近流行りの武器、ご入用ではありませんか?」
「へぇ〜。ルノワール、お前らが持ってるやつ、オレらが買ってもいいのか?」
「別に俺に決める権利はないだろ。それを決めていいのはリリーさんだし」
ヴィクターは嫌がるだろうな、と思った。ルノワールの上司であり、正統派マフィアといわれるノワールローズのボス。裏社会の秩序を守る彼なら、確実に悪用することがわかっている販売を許可しないはず。
ルノワールがこの程度の男でよかった。ボスに確認しないと、と答える冷静な男だったなら、きっとこんなに上手くはいっていないだろうから。
「必要ないならかまいませんわ」
そう振り返った時、後ろに剣を持った男たちが並んでいた。知らない間に囲まれていたらしい。
「……まぁ」
隣でアッシュラインを抜くガレンの殺気を感じながら、リディアはふっと微笑む。
「わたしを脅すんですか?」
「どうだろうな。オレらは、マフィア様なんかよりお行儀が悪いからな。あんたらから身ぐるみ剥がすことなんて簡単だぜ」
「いい機会ですね。あなた方が持っている剣と、わたしたちの商品、どちらの性能がいいかお試ししましょうか」
怯えてはいけない。殺気立った空気は感じられるが、きっと本当に命を奪うことはないはずだ。
「ただ、ご用心を。完全に仕留めないと、どうなるかわかりませんよ。わたし、怖がりなので」
「へぇ、どうなるって言いたいんだ?」
ニヤリと笑うハルドに、リディアは少し考えて続ける。
「……そうですね。たとえば、あなた方が武器を買っている工房を買い取って、お客様を選別させていただく、とか」
小さな宝石でも、赤いローブに隠されていても、髪を耳にかけるだけで、その存在感は光を放つ。品質の差までは感じ取れなくても、それが本物か偽物かくらいは、彼らもわかるはずだ。
「貴族のバックでもついてんのか」
「その辺りはお答えしておりません」
「別に珍しいことじゃないぜ。オレらだってそうだ」
まるで犯罪組織の後ろ盾に貴族がいるのが当たり前と言わんばかりに。そんなの、許されることではないはずなのに。
「あら、どちらのお家の方ですか?」
「そりゃあ、あんたらのバックを聞いてからだな」
証言を得て密告する手段もあったが、まだ信頼関係が築けていない今は、そこまでうまくいかないらしい。
「では、かまいません。こちらの武器、買うか買わないか。それだけお答えいただけませんか?」
ガレンが持つアッシュラインを指して言った。
「気に入った」
ハルドが手を打った。
「50丁。正規の値段で買う」
「お買い上げ、ありがとうございます」
リディアはそう微笑んだ。
*
「いやぁ、やっぱリリーさん、さすがっす!」
空き地を離れてから、ルノワールが目を輝かせて言った。
「当然のことですわ。商人ですもの」
「いや、リリーさんだけですよ! ギャング相手にあんな堂々と交渉できるの! 普通の女の子は、絶対怯えて逃げ出しますって!」
大興奮のルノワールに、リディアはそっと向き直った。
「ルノワールさん、ひとつ、お願いがあるのですが」
「なんすか?」
リディアの「お願い」に、ルノワールは疑うこともなく無邪気に尋ねた。
「ブラッドハウンドの方々がアッシュラインをどう扱われるのか、少し気をつけて見ていてはいただけませんか?」
「いいっすよ! やっぱ気になりますよね! あいつらのことだからどっかに売ったりしそうだし!」
返事は軽かった。
「えぇ。普通に使ったり転売する分にはいいんです。ただ、ギャングの方々がどんな方面で使われるのか、情報がほしくて。今後の売り方にも影響するんです」
「ですよね! いやぁ、やっぱリリーさんって商人としてかっこいいっす!」
「光栄です」
「あ、じゃあ、また!」
「はい。また」
ルノワールが去っていくと、リディアはすぐに踵を返した。
「リリー」
「言わないで」
ガレンの声を、リディアは遮った。
「わかってるから」
自分の感情の動きがわからないはずはない。きっとひどい顔色をしているはずだ。
「リオに依頼したいの」
「俺が伝えておくから。リリーは帰れ」
「でも」
「いいから。仲間なんだろ。頼ってくれよ」
ガレンは何も聞かなかった。元から顔色が悪かったのはあるが、明らかに彼らに会ってからおかしくなったことに気づかないはずはないのに。
「……じゃあ、ブラッドハウンドの動向に注意して、と伝えて」
「わかった。門まで送る」
「ありがとう」
疲れた。嫌な記憶を思い出して、精神が大きく削られたかのような、異様な疲れ方だった。




