34 影竜の茶会
「いらっしゃい」
宿屋のフロントにいた女性が、読んでいた本を閉じた。本を読める、しかも持っているなんて、かなり裕福な人だ。
「シャルカさんはいらっしゃいますか?」
リディアが尋ねると、女性の顔が固まった。
「……誰だい」
その顔つきでわかった。この人もマフィアの構成員なのだと。
「ブラックリリー、と名乗っておきます」
リディアは笑みを浮かべる。本名は名乗らず、あえて通じやすい「噂の名前」を名乗る。
「わたしに会いたいという声を聞きましたので、参りました」
「少々お待ちください」
女性が奥に入っていく。リディアは少しだけ息を吐き、そばの椅子に座った。余裕を見せ続けることの重要性は、他組織との取引の時に学んだ。
「こちらへどうぞ」
女性が戻ってきて、案内してくれる。長い廊下から飾られた装飾品にいたるまで、全てが異国を思わせる造りだった。
「こちらです」
大きな扉が開かれると、強い異国の匂いがした。
「ようこそ、ブラックリリー」
中央の椅子に座っている女性は、足が見えるほど長いスリットを入れたタイトスカートを着ていた。リオの情報のおかげで、この人がボスだとすぐにわかった。
「ごきげんよう、シャルカさん」
リディアは余裕そうな笑みを作った。
部屋の隅に置かれた石の置き物から煙が出ている。このむせかえるような強い香りの元はそれだろう。
「座ってくださいな。自慢のお茶を淹れさせますわ」
「光栄です」
貴族のような丁寧な口調ながら、その目つきはヴィクターやグレンと同じく鋭い。侮れないマフィアのボスを感じた。シャルカは流暢な言葉だった。これならリディアの方が第二言語で臨む必要はないのかもしれない。
異国風の造りの椅子に座る。クッションがなくて硬い。これはあえて、なのだろうか。それとも、これがこの場の「普通」なのだろうか。
「そちらの冒険者さんも」
「……いや。俺はいい」
ガレンは軽く首を振り、リディアのそばに立つ。リディアを守るという意思を行動で示してくれる彼に、リディアはそっと感謝した。
やがて少年たちがお茶を持ってきた。独特な香りを立たせるお茶は、薄く濁っていた。
「白茶というお茶です。わたしたちの祖国では高級とされるお茶なんです」
聞いたことがない。以前リュセール公爵夫人のお茶会で見たグリーンティーよりも貴重なのだろうか。
「そのような貴重なものをいただいてもよろしいのですか?」
「えぇ。大切なお客様ですもの」
大切なお客様、か。その言葉を信じるなら、きっとこのお茶に毒は仕込まれていない。社交界なら、ここで「信頼しています」という意味を込めて飲んでみせるのが正解。しかし、ここでは違う。
「ガレン」
リディアはそのまま隣に立つガレンにカップを渡した。
「飲みなさい」
ガレンはそれを受け取り、ためらわずに飲む。
リディアは毒かもしれないものを大切な仲間には渡さない。でもこれは、シャルカから見れば「毒見」だ。
「ふふ」
シャルカが楽しそうに目を細めた。その目は、きっとあらゆる物事を計算して、全てのパターンを考えている。そのパターンにはまる人間だとわかった瞬間、きっと見下されるのだろう。
ガレンが毒見を終えてリディアにカップが戻ってくる。それを机に戻し、リディアはシャルカを見据えた。
「お話をしましょう、シャルカさん」
「えぇ、そうですね。あなたとはいいお話ができそうだわ」
その何とも言えない緊張感に、背筋がぞくぞくする。あぁ、やっぱり、この時間が好きだ。そう思った。
「ブラックリリー、あなたは珍しい武器を売っているそうですね」
「耳がお早いですね。どちらから聞かれたんですか?」
「どうでしょう。風を運んできてくれる蝶々から、だったかしら」
ノワールローズも、グレイウルフも、そう簡単に漏らすとは思えない。グレイウルフにいたっては、取引の場に下っ端の人間を入れさせないくらいだ。大勢で威圧するノワールローズのどこかから漏れたのだろうか。
「ぜひおひとつ、売っていただけませんか?」
丁寧で、どこかリディアを試すような視線に、
「まぁ、ひとつでよろしいんですか?」
リディアはいつも通り微笑む。その挑戦的な笑みに、シャルカがさらにおもしろそうに目を細める。
「ぜひ実物を見たいわ」
そう言われて、リディアは鞄からアッシュラインを取り出す。
「こちらが定番のものです」
それを手に取ったシャルカが、ゆっくり見つめる。蛇が獲物を嘗め回すようなその視線が、ぞくりと高揚感を感じさせる。
「アッシュライン。より多くのお客様にお求め頂いているものですわ」
「重いのね」
シャルカはそう告げた。
「もっと軽くて、……そう、小さいものがいいわ」
どこまで知っているのだろう。お互いが優位に立とうとするこの時間に、頭の奥がしびれる。
「こちらですか?」
次は迷わずファントムシェルを出した。
「少しお高くなりますよ」
「かまわないわ」
迷いはなかった。
「では、金貨20枚」
リディアははっきり告げる。
「のところ、今だけ15枚にします」
そして、すぐに訂正。ノワールローズには最初から15枚で売った。でも、ここでは違う。
「あら、そんなにお安くしてもらってもいいの?」
「えぇ。お得意様になっていただけそうですから」
その笑みに続いて、
「その代わり、こちらのお菓子、作り方を教えていただけませんか?」
テーブルに置かれたスイーツを指した。
「あら、気に入っていただけました?」
「えぇ。珍しい匂いが気になっていたので。ぜひお土産にいただきたいです」
「もちろん。包ませますわ」
これは使える。そう判断した。
「では、50丁いただきましょう」
すごい買い物だ。一気に大金が手に入る。構成員全てに与える気だろうか。
「かしこまりました。準備いたしますわ」
魔法鞄でよかった。普通の鞄なら、そんな量は入らない。机の上に並べていると、
「ブラックリリー、あなた、目の保養はお嫌い?」
とシャルカが聞いた。
「え?」
一瞬、その問いの意味がわからなかった。シャルカの視線を動きをなぞるように、周りを見る。
あぁ、そうか。まるで娼館のように、顔が綺麗な少年たちがリディアのそばに立っていた。
「一度も見ないものですから、気になって。興味はないのかしら」
「……そうですね。確かに綺麗なものは好きですが、今回は商談の場でしたから。次の機会がありましたら、またぜひ」
接待されていたのか。気づかないうちに。全く見ていなかった。
「おもしろい方だわ。またいらっしゃい」
「お呼びいただければ、いつでも」
リディアの返事に、シャルカはおもしろいおもちゃを見るかのように目を細めた。
*
じゃら、とした重み。新しい顧客にしては一番の買い物だ。
「よかったな」
リディアの上機嫌を見破って、ガレンが笑う。
「えぇ、本当に」
もう緊張はしていなかった。
「ガレン、あのお茶、おいしかった?」
「いや。普通にエールの方がおいしい」
高級茶と言っていたが、なじみのないガレンからすれば、そこらの酒場で飲める安いエールの方が好みらしい。そういうものだ。
「で、お菓子の作り方ってなんだ?」
「使うのよ」
「どこに使うんだよ。今度は菓子屋でも始めるのか?」
「あら、それもおもしろそうね」
くすくすと笑うと、ガレンが呆れる。さすがに冗談だとわかったらしい。
「ガレンには関係ないところよ」
その言葉で、ガレンには伝わった。ガレンがついてまわる下町ではないところ、だと。
「リリーさん!」
その時、聞きなじみのない声がした。
「よかった! 会えた!」
見たことがある。確か、ルノワールと名乗ったか。ノワールローズの下っ端構成員だったはずだ。
「こんにちは、ルノワールさん」
「うわ、覚えててくれたんすか! めっちゃ嬉しい!」
汚れた手でリディアの手を掴み、ぶんぶん振り回すように握手をする。
「当然ですわ。大切なお客様ですもの」
リディアの綺麗な笑みの深い意味に、彼は気づかない。そっと手を離し、
「どうかされましたか?」
と声をかけた意図を聞いた。
「いや、たまたま見かけたんで」
返ってきたのはそれだけだった。
「リリーさん、なんか知りたいことないっすか? なんでも教えるっすよ!」
そうだ。こういう人だった。
「では……、貴族とつながっている犯罪者、とか」
少し迷ったリディアは、そう言ってみた。
「ご存知ないですか?」
知らないなら知らないでいい。時間をかければ、いつかはたどり着けるはずだ。
「あー……、ブラッドハウンドっていうチーム、知ってます?」
ルノワールはあっさり告げた。
「マフィアっていうよりギャングって感じの、犯罪者たちをただ集めただけのようなチームなんすけど」
「そこが、何か?」
「オレたちは貴族とつながってる、とかなんとか、よく言ってるっすよ。本当かどうかはわかりませんけどね」
貴族とつながっていると豪語する犯罪者。関係があるかもしれない。
前世で家族を奪ったやつらじゃなかったとしても、どこの家とつながっているのかわかれば、それを弱点としてその家門に揺さぶりをかけることもできる。
「ありがとうございます。助かりますわ」
「いやいや、こういうことくらいなら、言ってください! なんでも言うんで!」
それはマフィアとしてどうなのだろう。ヴィクターは下っ端にまで細かい指示はしないのだろうか。
「次回の取引の時には少し勉強させていただきますわ」
「うす! ボスに言っておくっす」
「えぇ」
「じゃあ、また! オレ、取り立ての途中なんす!」
「頑張ってくださいね」
彼はバタバタと去っていった。
「嵐みたいなやつだな」
ガレンがぽつりこぼす。
「そうね」
ハンカチを取り出し、軽く手を拭った。
「あいつの言葉、信じるのか?」
それは、どこか寂しそうな、心配そうな声。
「信頼はしないわ。でも、信用はする。ノワールローズとはそういう関係だもの」
個人的な付き合いを持つつもりはない。ただの商人ブラックリリーと、取引先の下っ端構成員。ただそれだけの関係だ。
「リオにブラッドハウンドについて調べてって言っておいて。今日はもう帰るわ」
「あぁ、わかった」
ガレンにそう指示を出し、リディアは貴族街に戻っていった。




