32 応接間の死神
父が王都に戻ってきて数日。家族の時間を作りながらも、普段と変わらない日常が戻ってきた。
兄は皇宮での仕事、父もまた領主としての仕事。時間があるのはリディアだけだった。
普通の令嬢たちのように社交界の付き合いが多いわけでもないし、たまに来る手紙の返事を書いて、それ以外は読書や刺繍で時間を潰す、いつも通りの日常。
リディアの手紙の相手といえば、文学の話で盛り上がりたいらしいジュリアンなのだが。いつも返事に困りながら、当たり障りのない会話を続けていた。
それも、なぜか最近は少し頻度が落ちた。仕事が忙しいのだろうか。彼は小公爵として将来を期待されているだろうし、いろんな仕事を任されているはずだから。だから、特に気にせず、手紙が来た時だけ返事を書く。そんな関係だった。
そんなリディアの耳に、馬車の音が聞こえた。
窓から見てみると、見慣れない馬車が見えた。
「……誰かしら」
ポツリこぼして、部屋を出る。通りかかったメイドに、
「お父様にお客様がいらしたの?」
と聞いた。
「はい。メアリウス子爵が」
「……メアリウス……」
一瞬、考えた。どこかで聞いた事のある名前。どこだっただろう。
「そう。ありがとう」
一言告げ、リディアは地下へ急ぐ。社交界で聞いたことのある名前だろうか。それにしては、いやに胸が騒ぐ。
地下室に隠した、リオからの手紙。リオの情報屋仲間で貴族に詳しい人から買った情報の資料を開く。
「どうした?」
ノエルの声は耳に入っていなかった。
目立った行動をしている貴族家だけ。そんなに詳しく書いてあるわけでもない。でも、確かにあった。
「メアリウス子爵家。これだわ」
ギャングチームと繋がりを持つ貴族のひとつ。最近もギャングと関わったという記録がされていた。さらに問題なのは、彼が貴族派の過激派ということ。敵派閥である皇帝派や派閥に属さない中立派の家門を勧誘してまわっているという。
「ノエル、これ借りるわね」
「あぁ」
木で編んだバスケットに、既に完成されていたアッシュラインを入れる。上からハンカチをかけ、地下室を出た。
父がいる応接間へ。トントン、とノックし、ドアを開ける。
「お父様」
そう呼びかけると、
「来客中だよ、リディア。後にしなさい」
と言われた。
「ですが、お兄様からお父様に伝書魔法が……。急ぎだったら大変と思って呼びに参りました」
「伝書魔法?」
父と兄が伝書魔法を積極的に使わないことは知っている。だから、兄がそれを使ったといえば、父は何か大変なことが起きたかもしれないと思うはずだ。
「しかし……」
父の視線が、向かいの席に座る子爵に向く。
「メアリウス子爵様のお話し相手は、わたしが致しますわ。ほら、おいしいお菓子も作って参りましたので、子爵様に召し上がっていただきたくて」
「あぁ……、わかった。子爵、すみませんが、少し離席します。娘は文学に詳しいので、退屈はさせないと思いますので」
「えぇ、えぇ。いつまででもお待ちいたしますよ」
父を応接間から出し、リディアはふっと息を吐く。この場にはフットマンやメイドもいるし、2人きりではない。それに、父を部屋から出したものの偽装工作はできていない。すぐに嘘だと気づいて帰ってくるはずだ。
「子爵様」
時間はなかった。
「こちら、ご覧いただきたくて」
「伯爵令嬢が手ずから作ったお菓子なんて、贅沢品ですな」
子爵の前の机にバスケットを置いて、少しだけハンカチをめくる。その瞬間、子爵の顔が強ばった。
「これ、は……」
声を震わせる子爵の耳に顔を寄せ、
「素敵でしょう? お父様にプレゼントしていただいたんです。護身用に、って」
とささやく。
「どこで……っ」
身を乗り出す彼の口に、そっと指を当てた。
「静かに。この子が驚いてしまいますわ」
「は……?」
ただの物体が驚くなんて。子爵の顔に困惑の色が滲む。
「ご存知ですか?」
リディアは小さく首を傾げた。
「これ、扱いを間違えると、……爆発してしまうそうなんです」
「……っ」
リディアの笑みに、子爵が言葉に詰まる。
「……伯爵令嬢がこれをお持ちとは」
「あら、子爵様もご存知でしたの?」
子爵の表情に余裕が戻ってきた。まるで同類を見つけたかのように。
「もちろんです。今は限られた者しか手に入れられない貴重な品ですよ」
「そうなんですね。そんな貴重なものをプレゼントしていただけるなんて、お父様に感謝しないといけませんね」
焦ってはいけない。父が戻ってくるまでにと急いでしまう。落ち着け、と自分に言い聞かせて、微笑む。
「では、これもご存知ですか?」
リディアはそっと口にした。
「最近は新しいものも出回り始めているそうですよ」
その瞬間、子爵が固まった。ゴクンと動くのどぼとけを見つめながら、続ける。
「お友達に聞いたのです。なんでも、暗器のように隠し持って、夜の闇の中、音も立てずに獲物を仕留められるとか」
「……それは、どういう意味ですかな」
「そのままの意味ですわ」
笑顔を崩さず、髪を自然と耳にかける。
「あまり目立った行動をしてしまうと、それの標的になってしまうかもしれませんね」
耳に輝くのは、あのラピスラズリのイヤリング。子爵の娘もあの場にいたから、聞いているかもしれない。
「わたしも気をつけなくては」
少し首を傾げるように微笑むと、彼は一気に青白くした。
子爵が貴族派なら、皇帝派の人間が近くにいることを示せばいい。そして、自分が喉から手が出るほどほしいものを敵派閥が持っていると勘違いさせれば、彼はそれを「誰か」に報告しなければいけなくなる。
「すみませんが、急ぎの用を思い出しました。これで失礼いたします」
「あら、残念ですわ。もっと楽しいお話をしたかったのに」
リディアの笑みに、子爵は忌々しそうに顔を歪め、早足で応接間を出ていった。
ソファに座ったリディアは、ふっと息を吐く。
「リディア?」
そこにちょうど父が戻ってきた。
「子爵は?」
「お急ぎの用を思い出したとかで、お帰りになられました」
「そっか……。シリルから伝書魔法が来たというのはどういうことだい? 執事に聞いても知らないと」
あぁ、そうだった。でも、先程の緊張感と比べれば、父を騙すことくらい容易だ。
「申し訳ありません。少しいたずらがしてみたくて」
子供っぽく笑ってみせると、父は目を丸くして、しかし次には呆れたように笑った。
「リディアには困ったものだね。いつまでも子供みたいだ」
父は疑うことを知らない。リディアの「いつまでも純粋な子ども」の影しか見ていないのだ。
「申し訳ありません」
お茶菓子のクッキーをつまみ、さくっとかじる。ジャムの甘酸っぱい味が舌の上に広がった。
*
アッシュラインを返すため、リディアは地下室に戻った。
「リリー」
リディアが入ってくるのを待っていたかのように、ノエルが声をかける。
「ガレンから」
文字のない真っ白な紙は、ガレンからノエルに宛てられた手紙。そしてその意味は、リディアと話がしたい。
「……わかったわ」
この世界はまだリディアを休ませてくれないらしい。伝書魔法を飛ばし、待ち合わせする日付と時間を知らせなければ。
「大丈夫か?」
ノエルの言葉に、
「えぇ、大丈夫よ」
リディアはそう頷いた。




