31 天使の休日
「また実験してるの?」
リディアが顔を上げると、ノエルがまだ魔法陣と向き合っていた。
「あぁ」
リディアを見ることもなく頷く彼の前には、大量の失敗作。素材はガレンが冒険者たちから買って送ってくれたものがたくさんあるが、こんなに無駄なものを作っていて大丈夫なのだろうか。
「心配しなくても、ファントムシェルは売れたわよ。石を撃つシルバーグレイスはまだ売ってないけど」
「もっと使えるやつを作る」
「……無理はしないでね」
止められない。でも、壊れるようなことは望んでない。定期的にガレンを介して送られてくるイレーヌの薬はほとんど使っていないようだが、それでもここまでの熱量は少しだけ不安だった。
手元の本を閉じ、そっと地下室を後にする。あの集中を邪魔したくなかった。
自室に戻って本を読んでいると、
「お嬢様」
侍女が呼びに来た。
「旦那様がお戻りになられました」
「え?」
その言葉に、リディアは耳を疑った。
「お父様が?」
「はい」
珍しい。まだ社交界シーズンでもないのに。何かあったのだろうか。
すぐに部屋を出て、父の部屋へ。長旅終わりの父がくつろいでいた。
「リディア、来てくれたのかい?」
リディアに気づいて、父は両手を広げる。その腕に収まると、柔らかい父の匂いがした。お酒も煙草もしない父は、強いコロンで匂いを隠す必要がない。上品なコロンの香りをいっぱい吸い込み、
「お父様、お身体でも悪いのですか?」
と心配する。北部の領地では身体がきつくなったとか、何らかの不調で腕のいい医者が多い王都に来たのか。どちらかしか考えられなかった。
「違う。大丈夫だ」
父はすぐに否定してくれた。
「私の天使に会いに来たんだ」
「……もう」
ぎゅっと抱きしめる父の手は、「天使」が誰のことをさしているのかを示す。
「随分健康的になったね」
父の言葉に、リディアは唇を尖らせる。
「……太ったってことですか?」
「いいことだよ。前のリディアは心配になるくらい痩せていたからね」
「頑張って食べてますから。お散歩も」
体力も今ほどなかったし、ベッドから動かないからお腹も空かなかった。それからしたら、随分な進歩だ。
「聞いているよ。下町に行くことが多いんだってね」
「下町の市場を回るのが好きなんです。りんごとか甘くておいしくて。……怒りますか?」
「怒らないよ。リディアが元気にしていてくれるなら、それだけで十分だ」
下町を毛嫌いする貴族も多い中、父の心はやっぱり広かった。領民を大切にする父が、下町に暮らす人々を差別するはずがない。
「その代わり、今度私ともお出かけしてくれ」
「お父様と、ですか?」
「あぁ。最近王都で流行っている舞台を見に行ってもいい。それに、少し奮発してレストランに行ってもいいね」
「いいのですか?」
領民のために無駄遣いしない。それが父のモットーだった。余計な税収を減らし、領民の負担にならないようにしていた。だから、借金をするほどお金に困っているわけでもないのに、アルセイン伯爵家はいつも質素倹約だった。
「リディアが元気ならね。シリルも誘おう。たまには家族3人でゆっくり時間を過ごすのもいいと思ってね」
「お兄様はお仕事がお忙しいかもしれませんわ」
「帰ってきたら誘ってみよう」
兄の仕事が忙しい時なんてない。兄が任されているのはそういう仕事だ。
嬉しかった。久しぶりの家族の時間。何よりも愛すべき大切な時間なのだから。
*
「なかなかおもしろい演目だったね」
お昼すぎのカフェテリア。貴族街にあることもあって、カルテットの上品な音楽が流れるレストランの片隅で、家族はお茶を囲んだ。
「えぇ、とても」
リディアが頷くと、
「リディア、途中泣きそうになっただろ」
と隣から笑われた。
「まぁ、お兄様、嫌ですわ。そういうのは気づかないふりをするのが紳士というものです」
どこにでもある恋愛ストーリー。いろんな困難に立ち向かって、最後にはハッピーエンドを迎える素敵な物語だった。
「ハンカチでも差し出した方がいいかなって悩んだんだ」
「お兄様もそんな気遣いができるのですね」
じゃれあうように軽い調子で交わされる言葉を、父が目を細めて見守る。
リディアがティーポットに手をかけて紅茶を注ぐと、兄が砂糖の容器を近づけた。
「子供扱いしないでくださいませ」
わかりやすく膨れてみせると、
「甘い方が好みなんだろう。家族だけなんだ、気にせず5個でも6個でも入れればいい」
とバカにするような笑みを向けられる。
「3個で十分です」
「それも多いけどな」
角砂糖を3個、カップに入れた。普段のお茶会ではこんなに入れない。家族だからこそできることだ。
「懐かしいね。クラリッサも甘い方が好みだった」
父の口から出たその名前に、リディアの手が一瞬止まった。
「……お母様も、ですか?」
数ヶ月前、病気で命を落とした母。リディアもしっかり覚えている、大好きな母だ。
「さすがに3個は入れなかったけれどね」
「まぁ、お父様まで」
娘をからかう父に、リディアは唇を尖らせる。
「でも、お母様と一緒なら、よかったです」
「よかった?」
「はい。わたしの目標ですから」
大好きな母。愛する人を振り向かせるために努力した母の背中を、リディアはいつも思い浮かべてみる。今のリディアに「愛する人」というのはいない。でも、復讐という目的を持つリディアにとって、それは忘れてはいけない背中だった。
「あとでお墓に行ってみようか」
父が言い出した。
「いいですね。母上が好きだった花を買っていきましょう」
兄も賛同した。
母に会いたいのは、きっと家族みんな同じ。でも、その悲しみを抱いて、未来を歩いていくのだ。




