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3 華やかな魔窟の洗礼


 王都の中央に位置する巨大な皇宮。その大広間で、きらびやかなパーティーが開かれた。年に一度、皇后が主催する社交界だ。


 大きなシャンデリアの下に、国内の貴族のほとんどが集う。華やかな装いに今の流行りの香水なのかフローラルな香りが重なり、装飾たっぷりの扇で口元を隠した笑い声が上品に響く。

 どこか懐かしい。そんな言葉が浮かんだ。


 でも、それは決して心地のいいものじゃない。かつて感じた不快感をそのまま体現したかのような懐かしさだ。


 その不快感は、いつのものだったか。デビュタントで母のそばに立っていた時だったか。それとも、動かない父と兄の姿を前に、男たちが発した冷たい笑い声を聞いた時だったか。屋敷を包んだあの火が、男たちの下卑た笑い声が、喉を焼き尽くすようなあの痛みが、まざまざと思い出される。


「リディア」

 兄の声が、彼女の意識を繋ぎとめてくれた。

「大丈夫?」


 心配そうな顔。自分たちに向けられる冷たい視線に気づいていないかのように。


 いや、きっと気づいている。そのうえで気にしていないのだ。仕事のため皇宮に出入りすることの多い兄にとって、この視線は日常なのだろう。


「大丈夫です」

 リディアは微笑んだ。ここで負けてはいられない。


 父や兄は出席だけして社交なんてする気はなさそうに会場の隅で足を止める。これでは埒が明かない、とリディアはひとりで一歩踏み出した。


「ごきげんよう、お会いできて嬉しいですわ」

 まずは同じ年頃の女性たちが集まっていたところへ。


「ごきげんよう」

 彼女たちは一言だけ挨拶を交わして、そそくさと去っていく。


 大丈夫。これくらいは想定内。既にできあがったグループに簡単に入れるわけがないのだ。それが年頃の娘たちなら尚更。


 それなら、と再び笑顔を作り、今度は談笑する貴婦人たちのグループに近づいてみる。


「楽しそうですね。何のお話をされてるんですか?」

「あら……」

 彼女たちはリディアに目を向けて、一瞬眉を寄せる。


「アルセイン伯爵令嬢には少し難しいお話ではないかしら」

 そんな言葉が返ってきた。虚弱で教養も弁えない無知な令嬢だと言いたいのだろうか。

「少し思い出話をしていましたの。去年のパーティーでのことを」


 ほとんど出てこないのだから、と馬鹿にされている気がした。いや、実際そうなのだろう。


「珍しいな。病弱と聞いたことがある」

「顔は綺麗じゃないか。誰かダンスに誘えばいいのに」

「没落寸前の伯爵家だからな。関係を持っても意味がない」


 ヒソヒソと交わされる言葉は、嫌でも耳に入ってしまう。


 あぁ、忘れていた。上品な笑い声の下で、下品な噂話と陰口が飛び交う。社交界とはそういう場所だった。


 母がいる時から陰口はあった。外交的で華やかだった母でさえ、「なぜあんな力のない伯爵家に嫁いだのか」「侯爵家の令嬢だから格上なら誰でもよかった」などと言われていた。


 そんな陰口の中にあっても、母は微笑みを絶やさなかった。堂々と胸を張り、姿勢を崩すことなく、綺麗に笑っていた。


 それなら、リディアもそれを真似するだけだ。すっと背筋を伸ばし、周囲をじっと観察する。誰があのギャングを買ったのか。そう見定めるように。この場でわかるはずはないのだが。


「アルセイン伯爵令嬢」

 その時、声をかけてくれる人がいた。

「もしよろしければ、1曲、お相手願えませんか?」


 手袋をしていない手。騎士ではない。

 誰でもいい。選んでいる場合ではない。


「喜んで」

 その手に重ねて、リディアは笑みを浮かべた。


 ダンスは覚えていた。ダンスの記憶は過去に一度だけ、デビュタントで踊ったくらいだが、それまでにたくさん練習したからか。母に褒められるのが嬉しくて、体を壊すまで頑張った記憶もある。


「大丈夫?」

 その時、耳元で彼の声がした。


 社交界の住人にとって、ダンスは日常動作のひとつでしかない。踊りながら会話を交わすことなんて、きっとなんでもない動作なのだろう。


 リディアは意識しないと踊れないが、ここでそんな余裕のない姿は見せたくない。


「何がですか?」

 だから、笑ってみせた。

「困ってるかなって」


 その目は、深い海のようだった。ラピスラズリ、だったか。母が持っていた宝石に、こんな色のものがあった気がする。


「何のことでしょう」

 社交界で弱いところを見せてはいけない。それは家門の弱みであり、恥になるから。

「助けてほしいなら、言って。私なら君を助けてあげられる」


 それはそうだ。ここには、没落寸前の伯爵家よりも力を持った人がたくさんいる。この人も、そのひとりなのだろう。


 そんな格上の人物がなぜリディアに声をかけたのか。疑問に思わなくもないが、ただの気まぐれと言われればそれまで。


「お気遣い、ありがとうございます」

 曲が終わり、リディアはその人の手を離す。


「お誘いいただき、ありがとうございました」


 丁寧にお辞儀をして、その場を離れた。


 ダンスは体力を使う。人一倍体力のないリディアには、かなりの激しい動きになってしまった。

 少し休憩しようと、テラスに出る。


「あら、アルセイン伯爵令嬢では?」

 すぐに令嬢が入ってきた。偶然を装ってはいるが、明らかに後を追ってきたのだろう。


「よかったですわね。リュセール小公爵様はお優しいお方ですから、アルセイン伯爵令嬢がおひとりでいらしたのが寂しく映ったのではないかしら」


 リュセール公爵家。この国でも強い権力者じゃないか。

 いや、そんなものに驚いているところではない。


「えぇ、本当に。ダンスの間もずっと気にかけてくださったんです。お優しい方でした」


 心を奪われたかのように目を細めてみせれば、彼女の顔が引き攣った。


「ぜひご令嬢にも彼と踊ってみてほしいわ。優しくリードしてくださるので、とても踊りやすかったですから」


 その瞬間、彼女はパチンと音を立てて扇を閉じる。


「そうですわね」

 そして一言残し、テラスを出ていった。


 ホッと息をつく。プライドの高い令嬢なら、自分からダンスを申し込むことはない。それも相手は公爵家の嫡男だ。


「リディア、大丈夫?」

 続いて兄までやってくる。これでは休まらない。


「大丈夫ですわ、お兄様。少し外の空気を吸っているだけです」

「それはそうだよ。リディアの身体にこの場所の空気は悪すぎる」


 皇宮だというのに、そんなことを言ってもいいのか。誰もいないテラスだからだろうか。


「ダンスは久しぶりだったから疲れただろう? もう帰ってもいいんだよ」

「いいえ。少し休めば動けますから。せっかく来たのに、すぐ帰ってはもったいないでしょう?」


 ふふ、と笑いながら会場を見る。


「お兄様は、先程の方をご存知ですか?」

「リュセール公爵令息のこと?」


 リディアを牽制しにきた令嬢のことをさしたのだが、どうやら兄はその場面を見ていないらしい。それならわざわざ言うことでもないか、と

「えぇ」

 と頷く。


「リディアがかわいいから声をかけていただいたんだろうけど、彼はダメだよ、リディア。格が違いすぎる。将来、リディアが苦労するのが目に見えてるからね」


 まさか結婚相手に考えていると思われたのか。確かに社交界は未婚の令嬢にとっては出会いを探す場であり、兄の反応もあながち間違いではない。


「そうですわね」

 わざわざ訂正するのも面倒で、リディアは小さく笑うだけにした。


 彼のような人を後ろ盾につければ、それはもう頼もしいだろう。しかし、それは同時に彼がいないと何もできない状態になってしまう。


 そんなものは、嫌だ。この魔窟で生き残るためには、力が必要だ。


 リディアの脳内には、あの古代武器の魔法陣が浮かんでいた。やはり、あれしかない、と。


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