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2 狂気は愛する家族のために


「え……?」


 小さな声が漏れた。この家では比較的小さなシャンデリアが、頭上で輝いていた。

 なぜ、生きているのだろう。


 あの痛みは、確かに本物だった。この屋敷を包んだ火も、確かに熱かった。

 夢じゃない。そう断言できるはずなのに。

 目の前に広がるのは、いつも通りの自室だった。


「……なん、で……?」

「リディア?」


 その声に、ハッとドアの方を見た。リディアと同じ栗色の髪の毛に、優しい緑色の瞳。


「リディア!」

 兄は、妹を抱きしめた。

「目が覚めたんだね。よかった」


「おに、さま……?」

 あの時、兄は死んだのではなかったか。無残にも転がった兄の頭部は、はっきりと覚えている。


「お兄様、どうして……」

 それは、なぜ生きているのかという問いだった。

「熱が出ていたんだ。ずっと苦しんでるから、心配だったんだよ」


 しかし兄の答えは、今のリディアの状態のようだった。


「熱……?」

 身体が弱いのは昔から。だから発熱も珍しいことじゃない。

「お兄様、お母様は?」


 兄が生きているなら、母もいるかもしれない。そんな希望を抱いてかけた言葉に、兄は静かに眉根を下げた。


「リディア、忘れたの? 母上のお葬式は先月終わったばかりじゃないか」

 先月。母が死んだ翌月。


 あぁ、そうか。

 これは、夢か。それとも、天国か。誰かが願いを叶えてくれたのか。


 身を包む優しい温もりは、絶対に嘘じゃない。確かに生きている。自分たちを守ってくれなかった「神様」以外の何者かが、リディアの最後の願いを叶えてくれたとしか思えなかった。


「悲しいけど、僕らは未来を歩いていかなきゃいけないんだ。一緒に頑張ろうね」

 兄は優しく抱きしめてそう言った。

「……はい」


 小さく頷いた。その目が、ギラリと輝いた。

 あんな残酷な未来なんて歩ませない。もしやり直せるなら、守ってみせる。そう決意した。


*


 熱を出していたというわりに、身体は軽かった。それはもう、まるで生まれ変わったように。

 だから、その足で父の書斎を訪ねた。


「お父様、少しお話よろしいですか?」

「あぁ、大丈夫だよ」

 父は手を止めて頷いてくれた。


「皇后陛下が主催されるパーティーの招待状が来ていませんか?」


 リディアは今まで社交界というものにほとんど参加したことがない。社交上手だった母にデビュタントだけ付き添ってもらって、あとは不参加だった。父や兄はそもそもデビュタントすら反対だったし、母もリディアの意思を尊重してくれた。


 しかし、このままではいけない。社交界に出ない弊害を、リディアは痛いほどわかっていた。


「来ているけれど、リディアには関係ないことだよ。今回も私とシリルで行くからね」

「いいえ、お父様」


 いつも通りの返答に、リディアは首を振った。


「今回はわたしも連れて行ってください」

 その言葉に、父は意外そうに目を丸くした。

「珍しいね。リディアがそんなことを言うなんて」


 かつてのリディアは、父や兄と同じく、社交界に興味なんてなかった。行かないでいいなら行かない方がよかったし、虚弱を理由にして欠席するのが普通だった。


「お友達がほしいんです」

 ただ参加したい、だけでは父は納得しない。しかし、これならどうだろう。娘を愛してくれる父だからこそ、この願いは退けられないはずだ。


「友達か」

 父がそっと呟いた。

「そうだね。リディアもそういう年頃だ。同年代のお友達がいてもいいかもしれないね」

「はい」


 家で兄相手におままごとをするような年齢ではない。社交もまた、必要なスキルだ。


「わかった。ドレスを新調しないとね」

 父は頷いてくれた。

「まだ着ていないドレスがあるので、大丈夫です。ありがとうございます、お父様」


 リディアはそう微笑んだ。


*


 さて、どうしようか。リディアは書庫で考えた。


 皇宮の書庫ほどではないが、本を愛する父が趣味で集めた本たちが多いこの場所は、考え事に耽るにはいいところ。

 アルセイン伯爵家の悪評を振りまく人々をあっと言わせられるようなものはないのか。


 リディアが知識として知っているのは、中央の政治は腐敗していること。犯罪組織の後ろ盾となっている貴族も少なくない。

 しかし、そんなものは暗黙の了解。それだけで没落させられるものではない。もっと、何か。いっそ家門ごと破滅させられるような、何か。


 そんな時、とある本を見つけた。それは創世記のようなものだった。


『古代武器』


 かつてこの国を救ったとされる人間が持っていた武器があったと。

 もしこれが作れるなら。きっと、この国を壊せるかもしれない。


*


「お兄様、お仕事ですか?」

 翌朝、朝食の後に出勤する兄に駆け寄った。


「おともしてもよろしいですか?」

「リディアが? おもしろいものでもないよ」

「お城の書庫を見てみたくて。お父様が持っていない本もあるかもしれませんから」


 兄の仕事は、皇宮の書庫の管理。一応責任者という役職持ちではあるが、実質的な閑職。他の有力貴族の息子たちは政治を学べるような部署に配属されているのだ。しかし、父に似て出世に興味のない兄は、文句ひとつ言わずに通っていた。


「体調は大丈夫?」

「はい。もうすっかり良くなりました」

 身体が弱いリディアのことを心配してくれる。


「わかった。たまには外出も気分転換になるかもしれないね」

 兄は認めてくれた。虚弱体質の令嬢の暇つぶしなんて読書くらいしかないと、兄はわかっているのだろう。


 馬車に揺られながら、

「リディア、社交界に参加するって聞いたよ」

 軽い会話を交わす。


「はい。お父様にお許しをいただきました」

「楽しいものじゃないんだよ。気分を悪くするかもしれない」

「それでも、必要なことですから」


 兄の顔はそれでも晴れない。心配そうな兄に、

「わたし、いつかお母様みたいになりたいんです」

 リディアはそう微笑んでみせた。


 病弱な娘が、亡くなった母の面影を追って頑張る。こんな綺麗な物語のようなストーリーがあれば、兄は納得してくれる。


「……わかったよ。僕も同行するから、気分が悪くなったらちゃんと教えてね。もちろん、今日も」

「はい。お兄様を頼ります」


 リディアの言葉に、兄は安心したように、そして嬉しそうに微笑んだ。


 書庫について、リディアは真っ先に古代史の書棚に向かった。兄は仕事に取り掛かり、部下たちと会話を始める。だからリディアも気にせず探せた。


「……あった」

 古代史の中、古代に使われた武器を作るための魔法陣の書き方。


 貴族しか持たない魔力を必要とする武器だった。普通の令嬢よりも魔力が少ないリディアにも作れるだろうか。


 それに、素材もかなり特殊だ。魔獣の毛皮に、魔獣の肉を焼いた灰、そして魔獣が持つ核。そんなもの、簡単には集められない。魔獣と闘う冒険者に依頼するしかないのか。どれくらい金を積めば内密に動いてくれるだろう。


 伯爵家とはいえ貯蓄は多くない。父にもらえるお小遣いで足りるだろうか。そんな計算をしていると、


「リディア?」

 兄の声がした。

「大丈夫?」

 心配してきてくれたらしい。


「大丈夫です」

 リディアは微笑んだ。


「一応掃除はさせてるけど、埃っぽいだろう?」

「本の匂いがして落ち着きます。お兄様と同じですね」

 妹を心配する兄に、リディアはわざとらしく微笑んでみせる。


「歴史が気になる?」

 書棚を見て、兄はそう尋ねた。


「えぇ。家庭教師に教わるより、こうして物語のような本を読んだ方が興味深いですね」

「あはは。リディアは勉強をすると熱を出すからな。無理はしないでくれよ」


 いつの話だろう、と言いたいところだが、あながち間違いでもない。


「もう少し勉強をしてもいいですか?」

「好きにしていいよ。椅子を使いたかったら言ってね」

「はい」


 そうして兄は仕事に戻っていく。正直集めたい情報は集められたのだが、まだ他にもあるかもしれない。お昼近くになって兄が帰る時間までは自由に探そう。そう決めた。


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