29 鋼を秘めた刺繍針
リュセール公爵夫人に誘われて、刺繍会に参加した。
狩猟大会が近づき、貴婦人たちは夫や息子へ、令嬢たちは意中の人へ、刺繍を入れたハンカチをプレゼントする。その刺繍をみんなでお喋りしながらしよう、という会だ。
リディアはというと、父や兄は狩猟大会に参加しないし、意中の人もいない。だから刺繍入りのハンカチは必要ないのだが、これも社交界の交流の一種だと参加することにした。
「アルセイン伯爵令嬢は刺繍もお上手なのね」
隣から声をかけてくれた貴婦人に、
「ありがとうございます。夫人も素敵な刺繍ですね。鷹ですか?」
と答える。
「えぇ。狩猟の象徴だもの。夫にも頑張ってほしくて」
「素敵ですね」
刺繍は慣れている。令嬢の嗜みとして母が教えてくれたし、ベッドから出られないくらい体調が悪かった時の暇つぶしだったくらいだ。屋敷から出られない世間知らずだったかつてのリディアにとって、読書と刺繍は数少ない娯楽だった。
「どなたにあげるの?」
「え、それは……」
くすくすと笑いながら内緒話を繰り広げる令嬢たちに、
「先日のオペラは見ました?」
「えぇ、もちろん。素敵なお話でしたね」
と世間話をしながら針を動かす貴婦人たち。
派閥問わず力を持つリュセール公爵夫人が主催ということもあって、かなりの人数だ。
「アルセイン伯爵令嬢は、どなたにお渡しするんですか?」
その時、そばにいた令嬢が話しかけてきた。
「……そう、ですね。兄でしょうか」
「まぁ、今回は参加されるんですか?」
「どうでしょう。まだ聞いていませんが」
父は領地にいるから不参加だろうし、参加するとしたら兄か。武力よりも知識が多い兄のことだ。きっと参加しないだろうな、とも思う。
「ふふ。イザベラ様、あまり意地悪なことは仰らないで。アルセイン小伯爵様は書庫のお仕事で忙しいのですから」
それを聞いて、エリスが離れた席から声をかけた。相変わらず敵意を向けられる。いったいなぜだろう。そんな嫌われるようなことをしただろうか。
「そうですね。兄は本が好きですから。大好きな本に埋もれて楽しそうに仕事をしているので、わたしも応援しているんです」
まともに取り合うのはやめて、さらっと流してみた。
「あら? でも、以前のパーティーでリュセール小公爵様と踊られて……」
そう言った令嬢を、エリスがすごい目で睨む。が、彼女は気がついていないようだ。
「お優しい方ですから、ひとりでいたわたしを気にかけてくださっただけですわ」
「でも、そういうところから関係が始まることもあると聞きます。以前見た演劇なんて」
「イザベラ様」
エリスが彼女の言葉を遮った。その固く強い声で、彼女が怒っているのがわかる。イザベラはなぜ怒られているかもわからず、不思議そうに、でも申し訳なさそうに黙り込む。これでは彼女がかわいそうだ。
「最近始まったモンテリオ歌劇団の演劇ですか?」
少し考えて、エリスに媚びを売るよりも彼女と話すことを優先した。
「あ、え、えぇ。よく見に行くんです」
「素敵ですね。わたしも今度見に行ってみますわ」
「えぇ、ぜひ。特にヒロインの」
大好きな演目だったのか、彼女は楽しそうに語り始める。それを軽く相槌を打ちながら、そっとエリスの方を見ると鬼の形相で睨んでいた。何も悪いことはしていないのに。
そっとドレスの小さなスリットに手を入れる。腰に下げた革袋の中身に触れ、ファントムシェルの冷たい銃身を指でなぞった。まだこれの出番はない。でも、この冷たさが、リディアに確かな自信をくれた。
「リディア嬢」
その時、リュセール公爵夫人に声をかけられた。
「もしあなたが意中の殿方にハンカチをプレゼントするなら、何を刺繍するのかしら」
突然なんの話だろう。何を期待されているのだろう。この場合の正解はなんだろう。
一瞬で頭を働かせたリディアは
「ペガサス、ですかね」
と答えた。
「まぁ、どうして?」
ペガサスは狩猟には関係ないし、どちらかというと女性同士の友情を深める意味合いがあるとされている。確かに男性にプレゼントするのには不釣り合いだ。
「無事に帰ってほしい、という気持ちを込めて」
狩猟大会なのだから命をかけることはないし、怪我をすることも珍しい。怪我くらいならポーションですぐに治せるし、それは狩猟大会のプレゼントととしては少し風変わりだ。
「……そう。確かに、それも大事ね」
それなのに、公爵夫人はそれを認めてくれた。
「リディア嬢に支えられる方はきっと幸せね」
「そうでしょうか。一般的には活躍を祈った方がいいとされますから」
「確かに狩猟大会でより強い獲物を取って優勝することも大事なことです。でも、何よりも相手の無事を願う。それこそ本来の私たちの役目ではないかしら?」
公爵夫人の言葉に、数人がうんうんと頷く。隣の令嬢は手を止めて、
「素敵……」
とうっとりしていた。
「でも」
その静寂を破ったのはエリスだった。
「リディア様のハンカチは……ねぇ? 子爵家や男爵家のご令息なら喜んでいただけると思いますが……」
ニヤニヤと周囲の令嬢たちと笑い合うエリスの手には、最高級のシルクのハンカチ。リディアのワンランク下げたハンカチをバカにしてるらしい。
「そうですね」
リディアは微笑んだ。
「このハンカチを喜んでくれる優しい方と出会えればと思いますわ」
リディアは小公爵は「優しい方」と表現した。そこを繋げることもできる言い方だった。
「エリス様はハンカチを受け取ってくださる素敵な方がもういらっしゃるのでしょうね」
その言葉に、エリスの顔が引き攣る。彼女が思いを寄せる人は、きっと受け取ってくれる人ではないのだろう。かわいそう、などと思ってみた。彼女の厳しい視線を、リディアは全く気にしていなかった。




