24 聖域の毒針
「リディア、外出かい?」
家を出る直前、兄に声をかけられた。
「最近は外に出ることが多いみたいだけど、大丈夫?」
「えぇ。動けなくなることも減って、体力がついたみたいなんです。もうすっかり元気ですわ」
「それならいいけど。無理はしないでくれよ。苦しそうなリディアを見るのは嫌だからね」
「わかっています。お兄様にご心配をおかけする真似はしませんわ」
くすっと笑って、リディアは外の馬車に目を向けた。
「教会に行こうと思っています」
「教会?」
「えぇ。もうすぐバザーが開かれるんですって。古着を寄付しに行こうと思って」
チャリティーバザーへの寄付も貴族の務め。お金や高価な品物などを教会に寄付する。
「そっか。大事なことだね」
兄はそう微笑んだ。
「無理はしないで、今日は早く帰りなさい」
「あら、お兄様はお仕事なのでしょう? ひとりでお屋敷にいても、退屈なだけですわ」
「じゃあ僕もできるだけ早く帰るから。急ぎの仕事もないからね」
「ふふ。わかりました。お待ちしていますね」
リディアの笑みに、兄も嬉しそうに微笑み、頭に手を伸ばす。しかし、それはリディアが止めた。
「やめてください。これからお出かけなんです。髪が崩れたら困ります」
「あぁ、そうか。じゃあ、ハグならいいかな」
そう言って手を広げる兄に、リディアは迷わず飛び込む。優しい香水の匂いは、小さい頃からそばにいた兄の匂い。大好きな匂いをいっぱい吸い込んで、
「では、いってきます」
と馬車に乗り込んだ。
*
多くの貴族が集まっていた。それぞれがいろんなものを持ってきているのだろう。
荷物持ちに連れてきた下働きの男に古着を入れた箱を持たせ、リディアは順番を待つ。
「あら、リディア様、いらっしゃっていたんですね」
そこに声をかけてきたのは、エリスだった。今日もたくさんの取り巻きをつけている。
「こういうところにいらっしゃるのは初めてでは? 少しでも寄付をすると教会は助かるって聞いていますから、リディア様も寄付されるのでしたら喜ばれますね」
「……えぇ」
あぁ、面倒な人たちに絡まれた。順番を待っているから逃げるわけにもいかないし、腰につけたウィスパーを取り出して脅すわけにもいかない。
そんなリディアの目に、エリスの隣で胸を張る令嬢が見えた。
「あぁ……」
いいことを思いついた。すっと手を口元に持っていき、目を細める。
「わたしも動けるようになったので、家に眠っていたものを持ってきたんです。あいにくお金ではありませんが、バザーのために借金をするわけにはいきませんから」
貴族の多くは直接お金を寄付することが多いということはリディアも知っていた。きっとエリスもそうなのだろう。
すっと視線を逸らした先で、余裕そうだった令嬢は、目が合った瞬間顔を青白く染める。
「あら、バルザック伯爵令嬢。ご気分が優れないのかしら。どこかで休まれては?」
「え、えぇ……」
ついこの前、ノワールローズに借金していると聞いたバルザック伯爵家の令嬢。
「ご無理はなさらない方がいいですよ」
体調を心配している風に見せかけて、その実体調ではない。借金の存在が知られるというのは、貴族にとっては何よりも屈辱だ。
「バルザック伯爵令嬢、どうかされたのですか?」
青白い彼女を心配して、リディアから注意が逸れる。
「それでは、ごきげんよう」
リディアは軽く会釈して、先に進んだ。
「アルセイン伯爵令嬢、何をご寄付いただけますか?」
教会の担当者がそう尋ねる。
「古着を少しだけ」
「ありがとうございます」
あぁ、いい気分だ。晴れた空の下、空気をいっぱい吸い込んで、リディアは暖かい息を吐いた。
*
約束通りいつもより少し早く帰ってきた兄と、それぞれ本を開いてくつろぐ時間。同じ空間にいるのにそれぞれが読書をしていて会話もない。それなのに、不思議と落ち着く。
「お兄様」
リディアが一声かけると、兄は顔を上げた。
「お仕事は大変ですか?」
「……いや。そうでもないよ」
兄の仕事が忙しくないことなんて、リディアも知っている。他の貴族家の子息たちは、政治や経営を学ぶための部署に配属されているのに、兄は書庫の管理という閑職だ。
「では、今度お出かけしませんか?」
「お出かけ? どこに?」
「最近のお気に入りは、下町の市場なんです。いろんなものが売ってあって楽しいですよ」
それを聞いて、兄は一瞬だけ眉を寄せる。貴族が下町でお買い物なんて、という感情だろう。
「それに、いろんなお話が聞けるんです。どんなことが楽しいとか、どんなことに困っているとか。そういう声に耳を傾けるのも、大切なことでしょう?」
「……そうだね」
この言い方をすれば、兄は否定できない。いつか領主を任されれば、領民のそういう声を聞くことも増えるだろうから。
「お嬢様、リュセール公爵家よりお手紙が」
その時、メイドが持ってきた。じっと中身を読んでいると、
「リディア、招待状かい?」
兄が聞いてくる。
「いえ。小公爵様からのお手紙です。最近流行りの物語のお話ですが……」
何のために、というところがわからなかった。何を言いたいのだろう。隅々まで読んでみても、やっぱりわからない。ただ文学の話をするための手紙なのだろうか。
「……小公爵様は、リディアがお気に入りみたいだね」
兄の声が、静かに落ち着いていた。
「お目をかけてもらえるのは嬉しいことです」
一応格上の人間。失礼なことは言えない。返事をどうしようかと頭の中で組み立てていたため、兄の言葉への返答はどこかそっけなかった。




