23 金貨の音は甘い
リディアは再び下町に出た。今度は商談のために。
質素なワンピースに、最近下町で若い女性に流行っているという革のコルセット。そして、それらを覆い隠す毒々しい深紅のローブ。
「珍しいもの、つけてるんだな」
門のところで待っていたガレンは、すぐにリディアの耳を指した。
「ただのアクセサリーよ」
青い輝きを放つイヤリングは、小さくてもそれなりの存在感を出すらしい。もちろんそれを狙ってのことだが。
「ガレン、緊張してる?」
いつもより少しだけ表情が怖いガレンに、リディアはふふっと微笑む。
「まぁな。ノワールローズは最近慣れてきたけど、グレイウルフはどんなやつらかわからない」
「これからは何度もやり取りすることになるわ。ガレンを挟むことも多いと思うけれど」
こんなに怖がっていて、よく冒険者が務まるものだ。仕事となれば別、と割り切れる人なのだろうか。
「リリー、無茶はするなよ」
心配そうにそう告げるガレンに、
「あら、守ってくれるんでしょう?」
リディアが腰を指す。ポケットのように偽装されたその中身を、リディアは知っている。
「安心して。わたしも持ってるから」
ぽん、と腰を叩いてみせて、リディアは歩き出した。
*
「平民崩れが増えましたね」
リオに探ってもらったグレイウルフのアジト、商会の建物を訪ねると、意外にもあっさりボスに通してくれた。ひょろりとした長身の綺麗な身なりの男は、裕福な商人と言われてもわからないくらいだった。
「ご安心を。わたしはただの商人ですわ」
そう言って、アッシュラインをひとつ、机に置く。大きな木の書斎机に、コトン、と小さな音がした。
「簡単にこちら側に首を突っ込むものではありませんよ。度胸だけでは生きていけない世界ですからね」
「でも、度胸も大切な資質。違いますか?」
リディアは綺麗に笑う。
「ノワールローズの根城に出入りする商人がいるとは聞いていましたが。……まさか女とは思いませんでした」
「ふふ。女ではお相手は務まりませんか? これでも度胸だけはありますよ」
グレン、といったか。男の目が、アッシュラインをなぞる。
「わたしがお取引している方々には満足していただけた商品です。おひとつ、いかがですか?」
その言葉で、彼がアッシュラインを手に取った。
「……確かに、いい商品ですね」
「光栄です。腕のいい職人に頑張っていただきました」
「ぜひご紹介いただきたい。どちらの工房ですか?」
「まぁ……。ふふ、商人が仕入れ先の情報をお話するとお思いですか?」
どこの工房でも売っていないと、この男はわかっている。わかっていて、リディアがぼろを出さないか探っているのだ。ボロを出したら、一瞬で殺すつもりで。
この緊張感。スリル。リディアの背筋をすっと上がっていく。ぞくぞくとしたそれは、おそらく快感なのだろう。
「ノワールローズとつながっていますか?」
ついに、彼が一歩踏み出した。
「つながっている、なんて。そんなこと、わたしの口からは言えませんわ。彼らに叱られてしまいますもの」
ノワールローズを後ろ盾にする気はない。ひとつのチームに依存しては、他のチームに広げられないからだ。
「わたし、怖がりなんです」
その笑顔は、強い力に怯える少女のものではない。
「……否定はしないんですね」
男の言葉に、リディアは微笑みを崩さず、耳に手を当てる。すっと髪を耳にかける、自然な動作。でも、そのひとつを、彼は見逃さない。
「ノワールローズは相当買っているようだ」
リディアの耳に光る宝石が、ノワールローズから得た資金のものだと誤解してくれたらしい。
「あら、この距離で宝石の価値を見抜くなんて。商人のような目をお持ちなんですね」
その言葉は否定も肯定もしない。
「15丁、もらいます」
一気に大口の顧客だ。それ以上のものを持っておいてよかった。
「試し撃ちはよろしいんですか?」
「使い方は把握しました。問題ありません」
「聡明なんですね。助かります。初回お取引なので、1丁につき5発、弾をおつけします。追加購入をされる場合は1発銀貨1枚になりますが」
「2000発、いただきましょう」
すごい。ノワールローズに対抗しているのがわかる。リディアは何も言っていないのに、ノワールローズの上を行く購入数だ。
「こちらを」
「ありがとうございます」
差し出された麻袋を受け取り、中身が金貨であることを確認する。
「確かにいただきました。それでは、また来月、ご感想を聞きに参りますね」
スカートを持って膝を折る完璧なカーテシーに、男は目の色ひとつ変えなかった。
*
「グレイウルフに接触したようだな」
続いてノワールローズのたまり場を訪ねると、ヴィクターが低い声で言った。
「あら、お耳が早いですね。さすが、と申し上げるべきでしょうか?」
取引の準備をしながら、リディアはさらっと答える。鞄からアッシュラインと弾を取り出していると、
「随分忙しいな」
とさらに低い声が返ってきた。どうやら警戒されているらしい。
「わたしは商人です。求められれば可能な限り応じるのが務めですわ」
「求められれば、か。信頼は二の次か?」
「まさか。信頼は大切です。信頼のできる情報屋から情報を買い、信頼できる相手に商品を売る。ただそれだけです」
いつもは寡黙で声を出さずに威圧を出すのに、今日はやけに多弁で声に威圧が乗っている。それだけ苛立っているのだろう。
「誤解のないように申し上げますが、ヴィクターさんは大切なお客様です。でも、それ以上でもそれ以下でもありませんわ。独占契約とお約束はしておりませんでしたでしょう?」
取引相手に、一度でもへりくだってはいけない。常に堂々と。そうすることで、対等な位置に立てるのだ。
「口が立つ女だ。我々が保証したもの、忘れたとは言わせない」
「もちろんご恩は忘れていませんわ」
商品を並べ、リディアは鞄を閉じる。
「少しだけ勉強させていただきます」
さて、商談だ。リディアの綺麗な笑顔に、ヴィクターはやや呆れたように息を吐いた。
*
酒場を出てしばらく歩き、リディアはガレンを振り返る。
「ガレン、お使いを頼んでもいいかしら」
「あぁ」
ガレンは当たり前のように頷く。
「リオに報酬を届けておいて。こっちはガレンの分ね」
「俺に任せていいのか? リオの分も盗むかもしれないぞ」
「あら、ほしいの?」
試すようなガレンに、リディアは微笑む。
「ガレンに任せるわ。信じているもの」
その言葉に、ガレンがくすぐったそうに笑う。
「あぁ、それとイレーヌさんにも進捗を聞きに行かなきゃ」
「リリーさん!」
その時、後ろから元気な声が聞こえた。それは、見慣れない男だった。
「お家まで送ります!」
「……どこかでお会いしました?」
「あ! 俺です! ノワールローズのルノワールです!」
名乗られてもわからない。ノワールローズとの取引には、ボスのヴィクターのほかに複数人の構成員がいることが多いが、その中のひとりなのだろう。
「失礼いたしました」
リディアはすぐに商人の顔に戻り、穏やかに微笑む。大事な客のひとりだと判断した。
「送りますよ。家、どこっすか?」
どう答えようか。この人はリディアが貴族だと気づいているのだろうか。
「護衛はいますから」
そう断ろうとしたが、
「じゃあ大通りの市場まで!」
とルノワールはさらに身を乗り出す。
「じゃあ……市場まで」
客を雑に扱うこともできず、リディアは苦笑とともに受け入れた。
「リリーさんって、マジで女神みたいっすよね。めっちゃ綺麗で」
「光栄です」
うわべだけの会話。そんな社交界のような無駄な時間にはしない。好意を向けられていると判断したリディアは、さっそくしかける。
「ノワールローズの方って、どんなお仕事をされているんですか?」
「えー、仕事っすか? オレは、取り立てとかっすかね。借金してる人のところにお金もらいにいったり」
「大変そうですね」
「いやまぁ、厄介な人はいますけどね。意外と貴族とかも借金してるんすよ」
その言葉に、リディアの目がキラリと光る。
「貴族って、どんな?」
それは、明るく、それでいてどこか暗い、落ち着いた声だった。そんなリディアの真意など知らないルノワールは
「えー、この前オレが行ったのはー」
と答えてくれる。
「あぁ、そうだ。バルザックだ。伯爵なのにマフィアに借金するなんて、終わってるっすよね」
バルザック伯爵家。知っている家だ。
「お貴族様が借金なんて、おかしなお話ですね」
「本当に。リリーさんくらい気品のある人の方が貴族っぽいっすよね」
アルセイン伯爵家は借金はしていない。正しさこそが全てで、借金するほど無理をする思想はないから。
「ふふ、わたしが貴族なんて」
ガレンはどんな気持ちで聞いているのだろう。リディアとのやり取りのためにアルセイン伯爵家という場所は知っていて、調べようと思えばリリーの正体がリディアということまで簡単にわかる立場だ。もう知っているのかもしれない。
西通りの酒場から市場まではすぐだった。
「では、この辺りで。ルノワールさん、ありがとうございました」
「いやいや。じゃあ、また!」
彼が嬉しそうに手を振るのを背に、リディアは離れていく。
「犬みたいなやつだな。マフィアっぽくない」
「そうね」
呆れるようなガレンに、リディアも同意する。底抜けに明るく懐いた犬のような男が、マフィアの末端とはいえ構成員なんて。
「じゃあ、あとは頼んだわね」
「あぁ」
ガレンにはいつも門まで送ってもらい、リディアは貴族街に戻った。
馬車の中で金貨が入った袋を取り出す。ガレンとリオに報酬を渡した後なのに、ずっしりとした重さ。自分の命をかけて得たもの。その重みが、じゃらじゃらとした音が、心地よかった。




