20 赤花の自戒
王都の南の外れ。集合住宅が隙間なく敷き詰められた片隅の小さな家。
リオから聞いた場所は、都会の中にあるのに、どこか置いてきぼりにされたような空間だった。
「隠れ家って感じだな」
いつものようについてきたガレンも、その様子に少し戸惑う。リディアはローブをしっかりかぶり、髪の色を確認した。大丈夫、今日も綺麗な黒。
それを確認したリディアは、その家の玄関に立ってドアを叩いた。反応はない。
「留守じゃないか?」
「いいえ」
リディアは首を振る。
「いるわ」
リディアの耳には、室内の呼吸の音すらも入っているようだった。
「もぉ、だれぇ?」
何度目かのノックでようやくドアが開く。
「ごきげんよう」
ボサボサ頭を乱暴にひとつにまとめただけの頭に、薄汚れた衣服。だらしない人、というのが第一印象だった。
「誰?」
彼女は眉を寄せて聞く。
「イレーヌさんでしょうか?」
「そうだけど」
「ポーションを買いたくて。少しお話しませんか?」
彼女が警戒してるのはわかった。警戒の前の綺麗な笑顔は、どこかうさんくさく見えるはず。でも、笑顔は崩さなかった。それは、リディアの鎧なのだ。
「どうぞ」
彼女は中に入れてくれた。
「ポーションね。どれがいいの」
「上級はありますか?」
「ちょっと待ってて」
彼女がポーションを取りに行っている間に、室内を観察してみる。乱雑に置かれた専門書に、いろんな薬草の匂いが充満する。想像通りの薬師の家、という感じがした。
そんな時、部屋の片隅に置かれた赤い花に目がいった。
「何本いる?」
大きな木箱を抱えて彼女が戻ってくる。
「では、それを全て」
「は?」
リディアの答えに、彼女は驚いて固まる。
「家族が冒険者なので、できるだけたくさん持っておきたくて」
「いいけど……。上級だから安くないわよ」
「もちろんお金はありますわ」
金貨を数枚並べるだけで、彼女は納得した。
「それならいいけど」
でも、どこか興味がありそうに見えない。きっとこの人は、薬を作ることにしか興味がない人だ、と思った。
「珍しいのね。個人でポーションを買うなんて。冒険者ギルドにも卸しているから、普段はそっちから買うんでしょ?」
「ギルドは信用できませんから。確かな腕を持つ人とつながりたいだけですわ」
「まぁ、そうか」
冒険者の内情には詳しくないのか、それとも興味ないのか、イレーヌは軽く視線を泳がせた。
「あの花、どうされたんですか?」
リディアは薬品に漬けられた赤い花を指す。
「あぁ……」
彼女は少しだけ視線を向け、でもどこか諦めたように視線を逸らした。
「若気の至りってやつね。師匠に止められたのよ。あの花だけは使っちゃいけないって。だから、ただ置いてるだけ。自戒も込めてね」
薬師じゃないリディアでも知っている。あれは強い依存性を持つ甘い匂いを持つ。そのせいで随分前に国から採取さえも禁じられた。見つけた時は国に報告し、衛兵に焼いてもらわなければいけないものだ。そんなものを、隅とはいえ家の中に飾っているとは。
「残念ですね。素敵な花なのに」
リディアがそう答えると、彼女の目が戸惑いに揺れる。
「本気で言ってるの?」
戸惑いか、呆れか。どちらにしろ珍しいものを前にした時の目だった。
「だって、もったいなくありませんか? あの花も、きっと誰かに見てもらいたいはずなのに。イレーヌさんはそう思いません?」
「そ、れは……」
イレーヌの目が揺れる。本当のことを言っていいのか迷っているようだ。
「もしあなたに少しでも好奇心があるなら」
リディアは静かに続ける。
「その好奇心、わたしが買います」
ハッと見開かれたその目に、リディアのうさんくさい顔が映った。
「……何を言っているか、わかってる?」
まだ警戒と戸惑いを示すイレーヌに、リディアはさらに金貨を並べる。
「これは、口止め料、とでも言っておきますね」
誰にも聞かせられない話をする。そんな隠れた意味に気づいたのか、それとも戸惑いで動けないのか。イレーヌは金貨に手を伸ばさなかった。
「何を作らせる気?」
挑戦的なその目に、リディアは微笑みを崩さない。
「なんでもいいのです。ただ、あなたの気の赴くままに研究していただければ。その結果、わたしが求めているものができるかもしれないでしょう?」
うさんくさいものを見るかのようなその目の中で、リディアはさらに続ける。
「たとえば……、そうですね。痛覚を麻痺させる薬、発光せずに傷を治すポーション。記憶を消したり、絶対的な忠誠を誓うもの、なんてものがあってもおもしろそうですわね」
明らかに普通の薬じゃない。普通の用途で使われるものじゃない、ということはわかったはずだ。
だから彼女は何も言わなかった。ただ、その目に少しずつ光が宿っていく。
「もちろん資金は提供しますわ。野に自生するものだけでは難しい場合もあるでしょう? 天国のもの、というわけでもなければ、闇市で買えるかもしれませんね」
「……ハハッ」
イレーヌの乾いたような笑い声の下で、小さな野心のような強い意思が動く。
「おもしろい人ね」
「光栄です」
綺麗に微笑みながら、軽く頭を下げる。
「また来ますね。何かあれば、冒険者のガレンに言ってください。わたしに伝えてくれるはずですから」
隣に立つガレンを紹介すると、彼は無言で頷く。マフィアとの商談の場では無言で威圧を出すガレンも、今日だけは必要ないと思ったのか、どこかいつもより柔らかい。
上級ポーションがたくさん入った木箱を持ち、2人はイレーヌの研究所を出た。
「どうすんだ? このポーション」
「任せるわ。全部ガレンにあげる」
「は?」
さすがに量が多すぎたのか呆れるガレンに、リディアは明るく言い放つ。
「いいのか?」
「わたしは使わないもの」
リディアの家にはまだたくさんのポーションがある。使えば家族に知られてしまうようにはなっているが、それでも使えないわけではない。それよりも、冒険者業で危険なところに行くガレンの方が、きっと入用だろう。
「他の冒険者たちに安く売ってもいいし、ガレンの家に置いておいて使ってもいい。好きにして」
「まぁ使うけど」
そう言いながら、市場の方に戻る。
「イレーヌさんからでも、取引先からでも、わたしにつないでほしいって人がいたら、ノエル宛てに手紙を送って」
「手紙って。俺、字はかけないんだけど」
「あぁ……」
そうだ。字が書けるのは、ちゃんと勉強する時間がある貴族くらいだった。
「白紙でもいいわ。ガレンからだってわかれば、わたしが下町に出てくるから」
日時の指定はリディアが飛ばす伝書魔法で伝えればいい。ガレンが呼んでいることさえわかればいいのだ。
「わかった」
ガレンが頷くのを見て、リディアは市場に視線を映す。
自分がしていることは、この市場で笑っている人たちを助けるのだろうか。それとも、この平穏を壊すのだろうか。
どちらかというと後者が近いということを、リディアはわかっていた。リディアの敵は貴族。でも、その下には領民たちがいる。それがわかっていても、止められなかった。




