16 傲慢な守護
「母上、お呼びでしょうか」
公爵夫人と話していた時、外から声がした。立っていたのは、リュセール公爵家嫡男だった。
「小公爵様、ごきげんうるわしゅう」
「アルセイン伯爵令嬢……」
彼も知らなかったのか、驚いていた。
「ジュリアンも座りなさい。今リディア嬢と楽しいお話をしていたのよ」
そんな驚く2人をよそに、公爵夫人が椅子を勧める。
「楽しいお話ですか。私も興味がありますね。アルセイン伯爵令嬢、ご一緒しても?」
「も、もちろんです」
余裕なんてなかった。何を求められているかもわからず、ただ淑女を演じるだけで精一杯。公爵夫人と次期公爵を相手に無礼なことをしないよう、気をつけるだけだった。
「母上、アルセイン伯爵令嬢を随分お気に召したようですね」
「そうね。リディア嬢は落ち着いていて聡明ですから。娘にしたいくらいだわ」
「もったいないお言葉でございます」
落ち着いている? そんなわけがない。落ち着いているように見せるのが上手いだけだ。頭の中はさっきから騒がしいくらいなのに。
「奥様、急ぎの使者が参っております」
「あら」
公爵家の侍女が公爵夫人を呼びに来る。
「少し席を外すわ。2人で話していてね」
「は……」
リディアの方が驚いてしまった。
「もちろん。いってらっしゃいませ、母上」
小公爵は落ち着いていた。これもよくあるのだろうか。
「すみません。母があなたを困らせませんでしたか?」
2人きりになった温室で、しばしの沈黙の後、彼から口を開いた。
「とんでもございません。とても楽しい時間でした」
「それならよかった」
その笑顔が、ふわりと優しくて、どこか公爵夫人の面影を感じた。
「随分気に入ったようです」
「光栄です」
軽く会釈しながらその言葉を受け取り、
「ですが、期待に応えられたかは、わかりません」
静かに返す。
「応えられていたと思いますよ。母の顔が、評価ではありませんでしたから」
「評価、ですか?」
「えぇ。あれは、評価ではなく、興味という表情でした」
よくわからない。この人は、母親の表情を観察し、分析しているのか。
でも、言われてみれば似たようなことをリディアもしているかもしれない。父と兄を失望させないために、完璧な令嬢を演じているのだから。
「ご令嬢」
その声は、どこか堅かった。
「私に、あなたを守らせていただけませんか?」
一瞬、告白かと思った。交際を申し込まれているのかと。
でも、リディアはその表情を観察した。視線の向き、揺れ、動き。そして、纏う空気さえも。
「どういう意味ですか?」
好意を向けられているのはわかった。でも、それは「恋愛」ではない気がした。
「そのままの意味です」
彼の視線が、真っ直ぐにリディアに向けられる。
「アルセイン伯爵家は、今非常に難しい立場だ。それはご存知ですか?」
「……いいえ」
小さく答えた。
「政治のことはわかりません。父と兄で話していますから」
知らないはずはない。派閥争いを繰り広げる貴族社会において、中立派の家はどちらからも狙われる。争いを嫌ってこの立場にいるのに、争いを招いてしまうのだ。
「もし貴女が困っていたら、私は助けたいと思います」
守りたい、なんて。そんなの、傲慢な感情だ。ただのエゴだ。父と兄と同じ、リディアを「守るべき対象」としてしか見ていない。
そんな感情を向けられても、ただ不快なだけだった。
「ありがたいお申し出ですが」
リディアは笑った。
「小公爵様に守っていただくような身分ではございません。まだ関係も浅いではありませんか」
特別な関係でもない男に守ってもらうほど、弱い女に見えるのか。その小さな苛立ちを笑顔の下に隠す。
「では、関係が変わればいいのですか?」
「そういう問題ではございません」
わずかに身を乗り出す彼に、リディアは少し引いて首を振る。
「これはわたしの家の問題です。よそのお家を巻き込むつもりはありませんわ」
ただ守られるだけの存在にはなりたくない。家を、父と兄を守るのは、他でもないリディアだけなのだ。
「私が知らないだけで、貴女は強いのかもしれない。でも、この世界は強いだけではやっていけない。強さだけで足りない瞬間が必ず来る。それは貴女もよくご存じでしょう」
「……では、足りない時が来たら、その時にお願いいたしますわ」
しっかり線を引きなおすように、リディアはナプキンを置いた。
*
「おかえりなさいませ」
お茶会を終えて帰宅してリディアは、その足で地下へ向かった。
扉を開けると、彼は床の上に仰向けに転がっていた。
「何をしているの?」
リディアが上から顔を覗き込む。
「回復」
ノエルが短く答える。
「魔力切れだ」
「あぁ……」
リディアにもなじみのある感覚だった。
「珍しいのね」
「やりすぎた。朝からずっと魔法を使ってたから」
ノエルほどの魔力を持っていても、切れることがあるのか。きちんと休めば回復する体力のような感覚とはいえ、やはりあの瞬間の身体がおもだるくなる瞬間は嫌いだ。
「なぁ、魔力を増やす薬とか、お貴族様は持ってないのか?」
「魔術師の家門にならあるかもしれないけど、聞いたことはないわね。そういう文献もなかったはずよ」
リディアの知識に魔力そのものを増強するものはない。
「あぁ、でも、ポーションで回復を早めるのは聞いたことがあるわね。冒険者もよくやる手段だって、ガレンも言っていたわ」
「へぇ。リリーは持ってないのか?」
「管理してある場所は知ってるけど、使ったことはないわ。魔術師でも冒険者でもないもの。騎士団を持っているわけでもないし、質のいいポーションなんて使わないのよ」
確かに家のポーションを持ち出せれば、もっと効率よく武器を作り出せるかもしれない。でも、正直それほど切羽詰まっているわけでもなかった。
「開発も製造も、ゆっくりでいいわ。まだマフィアひとつにしか卸していないし、今後増えたとしてもそんな急に大量に必要になるものでもないんだから。今あるだけでも充分よ」
「そんなものか」
「えぇ」
リディアはそばの椅子に座る。
「また本を読むのか?」
「そうね。いろんな本の話題に答えられるようにしておきたくて」
「お貴族様も大変なんだな」
本好きという噂が広まってしまったおかげで、読書の時間も増やさなくてはいけない。そんな時間はないのに。
再び魔法陣を描きはじめるノエルの様子を視界の隅に留めながら、リディアは本の世界に入った。




