15 勝者の歴史と敗者の物語
今回はパーティーじゃない。他の令嬢たちもいるとはいえ、ただのお茶会だ。アフタヌーンドレスの中でもよりシンプルなものを見に纏い、リディアはリュセール公爵家を訪れた。
「いらっしゃい。よく来てくれたわ」
先日と同じ温室にいたのは、公爵夫人ひとりだった。
「本日はご招待いただきありがとうございます」
カーテシーにも気合が入る。ほんの一瞬の乱れも許さないほど完璧なお辞儀に、
「ふふ……やっぱり、素敵だわ」
と公爵夫人が笑った。
「あなたのお母様とは昔から知り合いだったの。お父様と大恋愛をされていた時からね」
「は……」
思わず固まってしまった。父と母のなれそめは知らない。ただ、なぜあんなにも完璧な淑女だった母が、優しさだけが取り柄のぼんくらな父に嫁いだのかと不思議に思っていた。
「公爵夫人は、父のこともご存知なのですね」
「えぇ。ゆっくりお話しましょう。いい茶葉を買ったのよ。それも自慢したいわ」
どうやら、このお茶会、招待されたのはリディアひとりらしい、ということにようやく気付いた。
公爵夫人の意図が読めない。何を求められているのかわからないから、リディアは言われるがまま椅子に座る。
「グリーンティー、ですか?」
カップに注がれたお茶の色を見て、リディアはつぶやいた。
「あら、知っているのね。さすがだわ」
「文献で見たことがあるだけです。本物を見たのは初めてですわ」
東方の文献を翻訳したものだったか。その国には緑色のお茶があると言っていた。
「このお茶には甘味の少ないお菓子があうのよ。本来はアズキっていう特殊な豆がいいらしいんだけど、さすがに手に入らなくてね。その代わりにナッツを用意させたわ」
「お気遣い、ありがとうございます」
こんな貴重なものを飲んでいいのか。こんなものでもてなされる身分でもないはずなのに。
「リディア嬢、とお呼びしてもいいかしら?」
「はい。お好きにお呼びください」
珍しいお茶の苦味が舌の上に広がる。いつもの紅茶にはない味に、口の中が不思議な感覚を覚える。
「リディア嬢は確か読書がお好きとか」
「はい」
ひとつ頷いて、落ち着いてティーカップを机に戻す。
「寝込むことが多かったので、本を読むくらいしかすることがなくて。父が集めた書物がお友達でした」
「素敵なことだわ。伯爵夫人も博識な方だったから、きっと娘にもそう教えたのでしょうと思っていたのだけれど」
「そうですね。社交界に出られなくてもいいから本を読んで知識をつけておきなさい、とは母に言われていました」
そんな会話をしながらも、リディアの頭の中は、「なぜ?」という疑問符でいっぱいだった。なぜ自分だけが呼ばれたのか。公爵夫人は何を意図しているのか。わからないことだらけで、会話に集中できない。
「最近流行りの物語は知っているかしら。『悪女と呼ばれた王妃』っていうタイトルだったかしら」
それは大衆小説の部類ではなかったか。公爵夫人が読むようなものだとは思わなかった。
「とても人気があるようですね。近々演劇になるとお聞きしました」
「そうね。リディア嬢はもう読んだの?」
「兄がプレゼントしてくれまして」
「そう。どう思ったか、聞かせてもらっても?」
ぴりっと空気が締まる音がした。
よくある大衆小説とはいっても、その主人公はかつてこの国の皇后だった女性をモデルにしているという噂もある。ある事件を企てたとして、皇后から廃された女性を。
「……主人公は本当に王を裏切ったのか、疑問に思いました」
リディアは慎重に言葉を紡いだ。
「あなたには裏切ったように見えなかったの?」
「というよりも、裏切ったという証拠が多すぎたんです。まるで、勝者が残した歴史の資料のようだと思いました」
勝敗がついた物事の多くは、勝者に有利に記録されていく。それは物語の中だけではない。
「もし彼女が王国を守るために密約を結んだのなら。……きっと、物語の結末は違ったものになったと思います」
政治批判に聞こえてはいけない。令嬢が政治思想を語るのはご法度だ。あくまでも「物語の感想」という型にはめて答える。
「やっぱり、あなたは賢いわ」
公爵夫人は「ふふっ」と微笑んだ。
「戦術論などもお読みになるの?」
それは令嬢の読むものではないとされているのではないか。しかし、公爵夫人がこう言うということは、それも教養のひとつと思っているのかもしれない。
「少しだけ」
だから、リディアは正直に答えた。
「難しくて、全て理解することはできませんでした」
あくまでも「男性」をたてるように。
「戦場に立つのは騎士や戦士でも、勝敗を決めるのはそれぞれのリーダーの才覚、というのがとても印象に残っています」
「そう。わたしも読んだことがあるのだけれど、リーダーというのは難しいわよね。息子にも偉大なリーダーになれと教えているけれど、わたしもまだ正解はわからないわ」
リュセール公爵家は私用の軍隊を持つことが許されている家柄のはずだ。戦場で先頭に立つことも、きっとあり得るのだろう。
「あなたはどう思う?」
公爵夫人の目が、キラリと光った気がした。
「……『見えない力』を想定するべきかと」
まるで蛇の巣のようだ。じわじわと締め付けられるような緊張感に、リディアは落ち着いて背筋を伸ばす。
「魔法ということかしら」
「まぁ、そういう解釈もありますね」
見えない力。そう聞いて、おそらくほとんどの人が思いつくのは「魔法」だろう。しかし、それ以外の選択肢を、リディアは持っている。
「今もまだ、女は政治に興味を持つべきではないと言われるけれど、あなたを見ていると、有能な女性こそ中央に必要だと思わせられるわ」
公爵夫人がそんなことを言い出した。
「ねぇ、リディア嬢はどう思う?」
さすがに政治的な話に本音を出すわけにはいかない。今の体制を批判すると取られてはいけない。少なくとも公爵夫人は、「中央」のひとりなのだ。
「女には女の戦い方があります。政治に関わるも関わらないも、それを見た方々が判断されるかと」
「女の戦い方? 例えば?」
「……誰とお茶を飲むか。それだけで、変わることもあるかと」
それを聞いて、公爵夫人は目を丸くする。そして、次には笑い出した。
「おもしろいことを言うのね。確かにその通りだわ」
公爵夫人こそそういうところには気を使っているのだろう。皇帝派の筆頭貴族の夫人という立場でありながら、敵派閥とも上手に渡り合うような人だ。
「伯爵夫人がよく言っていたわ。あの時はまだ侯爵令嬢だったけれど。お茶を飲んでいて楽しい人とだけ仲良くしたいって」
「楽しい人、ですか?」
「えぇ。一番楽しかったのが、当時アルセイン伯爵家の令息だったあなたのお父様なんですって」
母の方が身分が上だったのか。それさえも、リディアは初めて聞いた。あんな父のどこをおもしろいと思ったのか、ぜひ母に聞いてみたいところだ。
「公爵夫人は、わたしの両親のことをよくご存じなんですね」
「えぇ、それはもう。伯爵夫人からよく相談されていたもの。どうしたら意中の殿方を振り向かせられるのか、とか」
それを聞いて、リディアは不思議に思った。
「……母が父を振り向かせたのですか?」
「えぇ、そうよ」
公爵夫人が昔を懐かしむように目を細める。
「あなたのお父様は、昔から本にしか興味がない人でね。だから、随分苦労していたわ。令息が……いいえ、今は伯爵ね。若い頃のアルセイン伯爵が手に取った本は、伯爵夫人も全て読んでいたわ」
母が本を読んでいた記憶はほとんどない。小さい頃に寝物語として童話を読み聞かせてくれた時くらいか。そんな母が、好きな人を射止めるために本を読んでいたのか。
「最後は、伯爵の根負けね。その時の伯爵夫人の得意げな顔といったら……。もう、おもしろかったんだから」
そこまでして結婚して、母は幸せだったのだろうか。
「でも、不思議ね。伯爵夫人が結婚するために身につけた知識を信頼して、わたしは息子の教育係を任せたのだから。本当に不思議な巡り合わせだわ」
公爵家の教育係まで任された母の才覚は、きっと素晴らしいものだったのだろう。あの完璧な淑女の姿は、父と結婚するために努力して得たものだったのだろうか。
「母上、お呼びでしょうか」
その時、声がした。
「あぁ、来たわね。入って」
「え……」
リディアは慌てて席を立った。




