12 灰の王の正義
綺麗な温室だった。色鮮やかな花々に囲まれ、円を描くように椅子が置かれていた。
「あら、アルセイン伯爵令嬢」
その声に振り返ると、以前のティーパーティーの主催者がいた。
「シャルマン公爵令嬢、お久しぶりでございます」
「よくお会いしますね。お身体が弱いと聞いていましたから、本日もいらっしゃらないかと思っていましたのに」
相変わらずの嫌味に、リディアは気にせず微笑んでみせる。
「シャルマン公爵令嬢はお優しいのですね。わたしのような者のことも心配してくださるなんて。でも、どうかご安心を。腕のいい医者を見つけたんです。おかげでこうして動けるようになって。今後は皆さまと親しくなりたいと思います」
皮肉なんて気づいていない無垢な令嬢のふりをすれば、彼女の扇子を握る手に力が入る。
「シャルマン公爵令嬢、こうしてお会いするのは何度目かになりますし、もしよければリディアとお呼びください」
あくまでもただ友達になりたいと告げると、
「……では、わたしのこともエリスとお呼びください」
と彼女は引きつった笑顔で答えた。
「家ではよく本を読んでいましたので、このような素敵な場があると聞いて、ぜひ皆様と語り合いたいと思いまして。リュセール公爵夫人にお礼を申し上げなければいけませんね」
「あら、アルセイン伯爵令嬢は本がお好きなのですか?」
そう話しかけてくれたのは、上品そうな貴婦人だった。
「えぇ。兄にわがままを言って、皇宮書庫に入ったこともあるんです。宝箱のようで、とても楽しい場所でした」
「まぁ……。とても明るい方なのね。今日のご意見も楽しみにしていますわ」
「光栄です」
噂が強い力を持つ社交界でも、そんな噂に流されない人たちはいる。そういう人たちを味方につけることで、リディアの立場を固めようとしていた。
「皆さん、集まりましたね」
そこに、主催の貴婦人が入ってきた。公爵家の女主人ということもあって、その気品は他の令嬢たちとはけた違い。優しそうな笑みの中に、いったい何を隠し持っているのだろう。
「今日はアルセイン伯爵令嬢をお呼びしました。アルセイン伯爵令嬢は古代史に明るいと息子から聞きまして」
そうか。その他のメンバーは、おそらくこの読書会の常連なのだろう。令嬢と婦人たちの視線を受け、リディアは軽くお辞儀をする。
「明るいなんて、とんでもない。ただいろんな本を読んでいましたので、少し興味を持っただけにございます。皇宮書庫で偶然古代史の物語を読んでいる時に、リュセール小公爵様はお会いいたしまして」
「素敵なことですわ」
そう言ったのは、上座に座るお堅そうな婦人だった。
「昔は、女は文字も書けない方がいい、なんてされていましたが、教養深い者こそ評価されるべきでしょう」
女性の文官が登用されるようになってまだ数年。きっとこの人は、そんな時代の最先端を行く人なのだろう。
「では、本日のテーマ、古代の文献の中でも有名な『灰の王の叙事詩』について語り合っていきましょう」
主催者の号令でその会は幕を開けた。
それぞれが順番に詩についての感想を述べていく。「素敵」だとか「正義」だとか。ほとんどが今の皇王の祖となる主人公を褒める言葉ばかり。
「この詩は、『血によって罪を洗う』と教えを書いています。王は最後に敵を滅ぼし、正義を取り戻したということ。つまり、正義には力が必要、ということではないでしょうか」
エリス、だったか。なぜかリディアを敵視しているらしい公爵令嬢が、堂々と意見を述べた後、リディアを見る。
なぜこんな敵意を向けられているのかわからない。全員に好かれようなどと大それたことは思っていないが、ここまで嫌われると逆に遊びたくなる。
「アルセイン伯爵令嬢はどうかしら」
リディアの番が回ってきた。
「はい」
小さく返事をして、リディアは口を開く。
「この詩に書いてある敵とは、かつて灰の王の弟であった人物です。その血を流した瞬間、王は本当に正義だったのでしょうか。弟の方についていた人々もまた、誰かの大切な人。誰かの家族を奪った時点で、灰の王は正義を得たのではなく、正義を失ったのではないかと思います」
「……まぁ」
誰もこんなことを言っていなかった。本当ならもっと当たり障りのないことを言うつもりだったのだが、挑戦的なエリスの目についいたずら心が湧いてしまった。
「アルセイン伯爵令嬢は政治的なお話がお好きなのかしら。わたくしには難しいですわ」
そう言ったのは、エリスだった。口元を扇子で隠しながら、彼女はリディアを睨む。目立つな、と言いたいのだろう。
「政治のお話なんて、とんでもない。わたしはただ詩の感想を述べただけですわ」
政治的思想のことを持ち出したのはそっちだ、とリディアは穏やかな視線を向ける。エリスの眉がきつく寄せられた。
「おもしろい解釈だわ。アルセイン伯爵令嬢は、とても教養がある方なのね」
リュセール公爵夫人が優しく微笑む。
「あぁ、そういえば、アルセイン伯爵夫人は、リュセール小公爵様の家庭教師をされた方でもいらっしゃいましたね」
誰かがそう言って、
「えぇ」
とリュセール公爵夫人が頷いた。
「お母君から教わったのかしら。きっと喜んでいらっしゃるでしょうね」
「光栄です」
母を褒められて、嬉しくないはずはなかった。でも大げさに喜んではいけない。静かに謙遜してみせるのが、立派な令嬢なのだ。
「公爵夫人、今のは政治的批判だと受け取れますが」
「エリス嬢、ここは政治のお話をする場ではありませんよ。伯爵令嬢はただ感想を語ってくれただけではないですか」
エリスの抗議の言葉も、主催者が冷静に諫める。
「……申し訳ございません」
悔しそうに唇を噛みながら、彼女は言葉を止める。
少し意地悪しすぎたか。あとで謝っておこう、なんて、リディアはどこか遠くで考えていた。
*
「今日は楽しかったわ。皆さん、お集まりいただき、ありがとうございました」
長かった読書会も、ようやく終わろうとしていた。それぞれが席を立ち、帰り支度をする。温室の扉が開いたのは、そんな時だった。
「ちょうど終わったところのようですね」
リュセール小公爵が入ってきて、母親の隣に立つ。
「ちょうどよかった。ジュリアン、皆様にご挨拶を」
令嬢たちの目が輝いている。さしずめ「憧れの王子様」といったところか。彼と会えると思って通っている令嬢も、きっと少なく無いのだろう。
もしかするとこの会は、公爵家の嫁を見定めるためのものだったのかもしれない。良家の教養ある令嬢たちが集められ、それぞれの見識を披露するのだから、格式にふさわしい令嬢を見極めるには最適な場だろう。
もし自分が選ばれたら、なんて、一瞬考えてみた。
そんなことはない。一応貴族位とはいえ、家は没落寸前。格が違いすぎる。母がいた時ならコネでなんとかできたかもしれないが、今のアルセイン家にそんな余裕はないのだ。
「そうだ。あなたが紹介してくれたアルセイン伯爵令嬢はとても素敵な方だったわ」
自分の名前が出て、リディアはハッと顔を上げる。
「お母君に似たのね。教養もあって」
「母上が好まれる方だと思ったんです。伯爵令嬢、勝手に紹介してしまって申し訳ありません」
「いえ。貴重な機会をいただきまして、お礼申し上げます。とても楽しい時間でした」
リディアがカーテシーとともにそう告げると、彼は嬉しそうに笑った。
「アルセイン伯爵令嬢、もしよかったら次回も参加してくださいね。もっと他の作品についても語り合いたいわ」
「ありがとうございます。ぜひ参加させていただければと思います」
リディアがそう答えた時、鋭い視線に気づいた。少し離れたところから、痛いほど熱い視線を向ける人。もう隠さなくなったのか。苦々しく睨む彼女に、リディアはふっと笑った。




