5-7 錯綜
5-7 錯綜
皇帝による立太子宣言が行われた夜。
静かに閉ざされたはずの後宮の桂花の自室から、苛立ちを帯びた男の声が響いていた。
「なぜ、立太子宣言など許した、役立たずどもめが」
部屋の正式な女主人であり、皇帝の第二夫人である桂花と、彼女の隣に長男の尚玄を立たせ、ふんぞり返って怒鳴るのは柘榴家の当主、劉玄の声だった。
贅を尽くした椅子に、老年を迎える男が座る姿が、
抑えられた蝋燭の光の中で浮かんでいた。
「親父殿、夜分です。
誰かに聞かれているかもしれません」
「俺に楯突く奴がこの後宮の棟にいると思うか、尚玄。
そんな奴は殺せ。
翡翠空は別棟だろうが」
劉玄はまるでこの部屋の主のように振る舞い、
劉玄は手にしていた盃の中身を桂花に浴びせかけた。
「お前もだ。
もう少し役に立つ女かと思っていたぞ。朱映は生きているではないか」
怒りにまかせて振る舞う劉玄に、桂花は膝を折って、ただ謝罪の言葉を口にした。
豪奢な服に身を包んではいたが、その姿はまるで叱責に怯える侍女のようだった。
尚玄はため息をつく。
(怒りは隠したほうが相手に余計な情報を与えないと思うがな)
だが、冷静に報告を続けた。
「整理してお伝えします。皇子の龍は皇帝の龍よりずっと小さかったです。
確かに皇子の手の甲の痣は正式なものでしたが。
正式に皇太子となったあと、皇子の龍が皇帝の龍を本当に倒せるかと訴え、立太子の儀式を遅らせる案を出すことは可能だと思います。」
劉玄は小さく鼻を鳴らす。
「わかっておる。そんなことはな」
「それから、皇子が連れてきた女は美しかったですが、
洗練されていない田舎の少女でした。
騙すことができるかもしれません。
魔法の学書を求めているようです。」
「魔法?」
「使うところを直接は見てはいませんが、彼女は魔法を使うそうです。
学士か別の目的かはわからないですが、
儀天家の蔵書には頼めても、昴烈家の蔵書は現状の状況では蘇枋家に頼めないでしょう。
だから私を頼る可能性があると踏んでいます。」
「……その女には優しくしろ。
必要ならば昴烈家の蔵書を、全てくれてやれ。
近付けたら、女本人から親兄弟がいるか探り出せ。
縁者がいれば呼び寄せて王宮に上げろ。
縁者にも優雅な暮らしをさせてやれると信じ込ませ、情で縛り上げろ。
最後には脅せ。」
尚玄の言葉を聞きながら、視界の隅で膝を震わせる桂花を捕らえていた。
かつて劉玄が彼女に行い、今なお支配を強いていることを思い、なおさら冷ややかな感情が胸をよぎった。
(相変わらず容赦ないな……だが、直接人質を取るのは時代遅れかもしれん)
尚玄は父親の命令に表面上は従い、静かに頷いた。
◆◆◆
立太子の儀式の執り行いについての議会は、
すでに議会としての役割を果たしてはいなかった。
「皇太子殿下の龍は、陛下の龍に比べて小さすぎる。権威を保つのは難しいだろう」
と反対派閥は何度も繰り返し、細かい検証を口実に議題を先送りにした。
蒼識空殿下が成人して龍の捕獲に成功するまで、この時間稼ぎを続けるつもりだった。
立太子宣言から二日後の最初の一斉謁見で、皇帝はこの遅延を見逃した。
しかし、更に一週間後の一斉謁見にて、皇帝は通告した。
「次の一斉謁見までに立太子の儀の議題を出せ。
できなければ、蘇枋の案を採用する」
この宣告は推進派の勝利を意味し、反対派には最後通告となった。
次の一斉謁見までの一週間で、現状を変えることなど誰にも出来ないと思われた、そのはずだった。
しかし反対派はこれまでの穏健な抵抗を捨て、強硬な行動へと舵を切り始めていた。
◆◆◆
尚玄は自身の父親の強硬な態度に少し戸惑いを覚えながら好機と見ていた。
現状の時政を見れば、桂花や蒼識空を切り捨てないまでも距離を置き、
朱映派閥にも擦り寄るべきだと思われたからだ。
(蒼識のおぼっちゃまが龍を捕らえて帰還するまで、どれだけの時間がかかるのか──。
現皇帝もかつて同じ旅に出て、帰還までに約二年を要したという。
しかも、龍の姿すら見ずに命を落とす者も少なくない。
成功確率は極めて低い。
ただ待つだけで次の策も持たず、夢見ているだけでは愚かだ。
かつて“柘榴の全て”と言われた親父も、老いを隠せなくなったか──。
そろそろ動く時も近いか)
桂花の自室の一部を占領し、
尚玄すら入室を許可せずに昴烈家との会合を頻繁に行う父親に憐れにも似た感情を抱き、
紗鶴から聞き出した音漏れが聞こえる場所に身を滑り込ませた。
柘榴家の進退、つまり自身に火の粉が降りそうならば、止めなければならない、
そのつもりだった。
「そ…か、朱映を大広間から出すこと……成…したか」
「はい、…帝の正妃に……て不遜……ると…し…し……た」
聞き取りにくいが、父と昴烈家の声が聞こえる。
朱映の防衛は、
女官長 練と空色の龍 アズールによって完璧に引かれており、
大広間に、2人のそばにいる限り、朱映には手が出しようがないと紗鶴が報告してきたのを思い出した。
(翡翠空への挨拶を狙うか……三年越しの親子の対面を狙うとはえげつない。
いや流石というべきか?)
「実…犯は…こちら…用意…いたします。
柘…殿に…後宮へ…入室の…許可を…もらうのを…手伝っ…たい」
「そ…な人数が…本当に…必要か、
毒を盛…しても…殺すのは…不味…
体調不良に…させて、身体の弱…い皇子…印象…けるのが目…だろう」
「実行す…女官の…監視…
圧力…かけた…」
「くれぐれも…刃…引か…ぬことだ。
私は…何も…知ら…
そう…ば桂花に…日…花を…贈る…だ。
柘…の者は…忙し…てな、
花を後…に送る…女官を…采配…できるか?」
「は…、もち…です」
「で…、明日…花を…烈家に送…ゆえに…それを…桂花に…渡し…れ。
そ…女官がつい…何を桂…頼もう…わしは…関与…ん。
桂花は…しい女…
花を…てきた…女官の願…は何でも…叶え…ろう」
(聞き取れた言葉から考えると、
毒を盛る、それも命までは取らない、実行は昴烈家、
それに柘榴は一切関与しない…といったところか。
まぁ毒を盛ることすら賛成しないが、
現在の段階では親父殿と争ってまで止めるほどのことではないな……
機はまだ来ていない)
尚玄は漏れ聞こえる話から推測による判断を下した。
そして自身の思い違いをこのあと、痛感するのだった。




