表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
龍の国にて  作者: しし
21/42

3-7 村の掟

3-7 村の掟


私が持ち帰った一通の封筒によって、集会所は怒号の飛び交う場と化した。

結論が出るまで家に戻ることは許されず、私は狭い一間にとどめ置かれた。


薄い板一枚を隔てた向こうの部屋から、長の荒れた声が響く。


「手紙は必ず私の元を通すんだよ――何度言わせるつもりだい」


おそらく、長の手にあるのは、馬甫から私に託された梨花の手紙だ。

村から出る荷に巧妙に紛れ込ませたつもりだったのだろう。


だが、馬甫はそれを見抜き、送り返してきた。

きっと、長と彼にしかわからぬ符丁や印があるのだ。


この村がどれほど外界を恐れ、どれほど異常なまでの統制を敷いているのか――

その現実が、胸の奥をじわじわと冷やしていく。


梨花は、長の屋敷で炊事を手伝っていた女に小銭を握らせ、荷物袋に手紙を忍ばせたという。

女は長の前に引きずり出され、あっさりと白状した。


「見過ごせぬ」


そう言い放った長の声は、酷薄で、よどみなかった。


かつては帝都宛の手紙も、長を通じてなら問題なく届けられていた。

だが今は違う。

野兎が村に戻ってからというもの、帝都との往来は完全に断たれてしまったのだ。


「この手紙は、もう出せぬ」


長の言葉は冷ややかで、揺るぎがなかった。


それでも、梨花は諦めきれなかったのだろう。

麓の村からならば、手紙が届く――そう信じたかっただけなのかもしれない。


梨花はこの日を境に雑務を外され、長の厳しい監視下に置かれることとなった。

だがその目には、悔しさと……消えない哀惜の色がにじんでいた。


静かに、けれど確実に。

村の内側で、“派閥”という名の火種が芽吹き始めていた。



---


月明かりだけを頼りに、私は集会所を出て家路をたどる。

薬草が効いたらしい野兎は、すでに帰宅していると聞いた。


やはり、あの桂花なのだろうか。

文のやりとりの仲介役が野兎だったのなら、桂花の暗殺計画を知っていたことにも筋が通る。


だが、納得はできなかった。


桂花は、龍を狩ろうとする者だ。

龍の村は、龍を守るために存在する。


この二つが交わるはずがない。

思想として、成り立たない。


穏健派――もっとも争いを好まぬように見えて、

その実、何を狙っているのか。

どこまでが策略で、どこまでが偶然なのか。


それはまるで、月に照らされた森のようだった。

明瞭には見通せないのに、確かに“何か”がそこにある。


ようやく家の扉を開けると、かまどの前に清空と野兎の姿が見えた。

野兎の体つきは、もうすっかり元に戻っているように見える。


火の爆ぜる音が響き、私を抱きしめる野兎のぬくもり。

清空も駆け寄ってきて、涙目で私を見上げた。


このぬくもりだけは、信じていい。

そう思えた。


夜も遅く、清空はそのまま泊まることになった。

私の寝台を貸そうとすると、慌てて遠慮される。


野兎が「今夜は二人で語り明かすつもりだ」とやさしく宥めると、

清空は少しだけ躊躇ってから、「おやすみなさい」と笑った。

その横顔に、ほんのわずか、孤独の影を見た気がした。



---


かまどの火を挟んで、野兎と向かい合って座る。

彼は、お土産に買った茶葉を嬉しそうに取り出し、湯を沸かし始めた。


「薬草、ありがとう。よく効いたよ」


明るく笑う彼の姿に、私もようやく肩の力を抜いた。


私は、梨花の手紙の件を淡々と語った。

帝都宛の文を密かに託し、それが問題となったこと。

そして今、梨花が監視下にあることも。


湯を注いでいた野兎の手が、ふと止まる。


「……そうか」


低くつぶやいた声に、かすかな翳りが差した。


「なあ、野兎、ひとつだけ聞かせてくれ」


私は、ずっと胸の奥に引っかかっていた疑問を口にした。


「なぜ、お前が桂花の私への暗殺計画を知っていた?」


しばらくの沈黙ののち、野兎は湯を急須に注ぎながら、静かに語り始めた。


「覚えてるか。俺が、お前のもとに来る前に、一族の女たちを探して保護していたって話。

梨花は、そのときにここへ連れてきた娘だ」


「梨花の父親は村の者だった。

帝都で下級貴族の娘を嫁にして、商人をしていた。

だが、“龍の村のことを外部には伝えてはならぬ”――それが掟だった。

そしてその掟は、村の外で家庭を持った者にも適用される。

妻であろうと、子どもであろうと、例外はない」


野兎は、茶を注ぎ終えた湯飲みを見つめたまま、しばし言葉を選んでいた。

湯気がその横顔をかすかに曇らせる。


「梨花は三人きょうだいの真ん中でな。

末の弟は……粛清で殺されていた。

龍の村のことなんて何も知らない、ただの子どもだったのに」


差し出された湯飲みの茶は、ほのかに香る温もりを含んでいた。


「姉の桂花は、その頃すでに帝都で貴族の妾になっていた。

夫を粛清で失い、二人の娘と共に生き延びていた。

子どもたちは、まだ十にも満たなかった。

“田舎で静かに暮らさないか”という提案も、桂花は断ったよ。

もうその頃には、男なんか信用していなかった」


「そのあと貴族は、桂花を後宮に献上して功を立てた……」


ふっと、野兎が目を細める。


「第二夫人の桂花も、一族の女だ」


かまどの火が、ぱちんと音を立てる。


「10年ほど前に気づいた。

あの桂花が、梨花の姉だったと。

雰囲気が変わっていたし、最初はただの貴族の女としか思わなかった」


「桂花のほうから話しかけてきたんだ。

“梨花は無事に暮らしているか”ってな」


「それから年に一度くらい、手紙のやり取りを仲介するようになった。

長としては、最初は桂花を取り込めないかという思惑もあった。

だが……途中でその計画は打ち切られた」


「桂花は龍を憎んでいるのかもしれん。

心ってのは複雑だ。

親も、夫も、帝国に殺された、だが…

“龍さえいなければ”と、そう思っているのかもしれない。

だから、引き込むのは無理だと判断された」


「その時点で、手紙のやりとりも止める案はあった。

だが梨花にとって、桂花は生き残った唯一の身内だった。

掟に従い、桂花にすら本当の居場所も明かさずに生きてきた。

……それでも、生きているとだけでも伝えたかったんだろう。

長も、なにか思うところがあったのかもしれない。

頼み込まれて、ずるずると……来ちまったな」


野兎の声は淡々としていたが、その奥にある痛みに、私は言葉を失った。


桂花には娘がいる。

だが、後宮には連れてきていなかった。

桂花の手で、どこかに“しまわれた”のか。

それとも――貴族に、母とは別の場所に売られたのか。


帝国による粛清の影響は、私一人に降りかかったものではなかった。

龍の村の人々すべてに、その影は覆いかぶさっていたのだ――


燃えるかまどの火だけが、私たちの間を、静かに照らし続けていた。


……私たちは何を守り、何を捨てるべきなのだろうか。

炎の揺らめきの向こうで、誰かの名もなき涙が、確かに燃えていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ