3-7 村の掟
3-7 村の掟
私が持ち帰った一通の封筒によって、集会所は怒号の飛び交う場と化した。
結論が出るまで家に戻ることは許されず、私は狭い一間にとどめ置かれた。
薄い板一枚を隔てた向こうの部屋から、長の荒れた声が響く。
「手紙は必ず私の元を通すんだよ――何度言わせるつもりだい」
おそらく、長の手にあるのは、馬甫から私に託された梨花の手紙だ。
村から出る荷に巧妙に紛れ込ませたつもりだったのだろう。
だが、馬甫はそれを見抜き、送り返してきた。
きっと、長と彼にしかわからぬ符丁や印があるのだ。
この村がどれほど外界を恐れ、どれほど異常なまでの統制を敷いているのか――
その現実が、胸の奥をじわじわと冷やしていく。
梨花は、長の屋敷で炊事を手伝っていた女に小銭を握らせ、荷物袋に手紙を忍ばせたという。
女は長の前に引きずり出され、あっさりと白状した。
「見過ごせぬ」
そう言い放った長の声は、酷薄で、よどみなかった。
かつては帝都宛の手紙も、長を通じてなら問題なく届けられていた。
だが今は違う。
野兎が村に戻ってからというもの、帝都との往来は完全に断たれてしまったのだ。
「この手紙は、もう出せぬ」
長の言葉は冷ややかで、揺るぎがなかった。
それでも、梨花は諦めきれなかったのだろう。
麓の村からならば、手紙が届く――そう信じたかっただけなのかもしれない。
梨花はこの日を境に雑務を外され、長の厳しい監視下に置かれることとなった。
だがその目には、悔しさと……消えない哀惜の色がにじんでいた。
静かに、けれど確実に。
村の内側で、“派閥”という名の火種が芽吹き始めていた。
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月明かりだけを頼りに、私は集会所を出て家路をたどる。
薬草が効いたらしい野兎は、すでに帰宅していると聞いた。
やはり、あの桂花なのだろうか。
文のやりとりの仲介役が野兎だったのなら、桂花の暗殺計画を知っていたことにも筋が通る。
だが、納得はできなかった。
桂花は、龍を狩ろうとする者だ。
龍の村は、龍を守るために存在する。
この二つが交わるはずがない。
思想として、成り立たない。
穏健派――もっとも争いを好まぬように見えて、
その実、何を狙っているのか。
どこまでが策略で、どこまでが偶然なのか。
それはまるで、月に照らされた森のようだった。
明瞭には見通せないのに、確かに“何か”がそこにある。
ようやく家の扉を開けると、かまどの前に清空と野兎の姿が見えた。
野兎の体つきは、もうすっかり元に戻っているように見える。
火の爆ぜる音が響き、私を抱きしめる野兎のぬくもり。
清空も駆け寄ってきて、涙目で私を見上げた。
このぬくもりだけは、信じていい。
そう思えた。
夜も遅く、清空はそのまま泊まることになった。
私の寝台を貸そうとすると、慌てて遠慮される。
野兎が「今夜は二人で語り明かすつもりだ」とやさしく宥めると、
清空は少しだけ躊躇ってから、「おやすみなさい」と笑った。
その横顔に、ほんのわずか、孤独の影を見た気がした。
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かまどの火を挟んで、野兎と向かい合って座る。
彼は、お土産に買った茶葉を嬉しそうに取り出し、湯を沸かし始めた。
「薬草、ありがとう。よく効いたよ」
明るく笑う彼の姿に、私もようやく肩の力を抜いた。
私は、梨花の手紙の件を淡々と語った。
帝都宛の文を密かに託し、それが問題となったこと。
そして今、梨花が監視下にあることも。
湯を注いでいた野兎の手が、ふと止まる。
「……そうか」
低くつぶやいた声に、かすかな翳りが差した。
「なあ、野兎、ひとつだけ聞かせてくれ」
私は、ずっと胸の奥に引っかかっていた疑問を口にした。
「なぜ、お前が桂花の私への暗殺計画を知っていた?」
しばらくの沈黙ののち、野兎は湯を急須に注ぎながら、静かに語り始めた。
「覚えてるか。俺が、お前のもとに来る前に、一族の女たちを探して保護していたって話。
梨花は、そのときにここへ連れてきた娘だ」
「梨花の父親は村の者だった。
帝都で下級貴族の娘を嫁にして、商人をしていた。
だが、“龍の村のことを外部には伝えてはならぬ”――それが掟だった。
そしてその掟は、村の外で家庭を持った者にも適用される。
妻であろうと、子どもであろうと、例外はない」
野兎は、茶を注ぎ終えた湯飲みを見つめたまま、しばし言葉を選んでいた。
湯気がその横顔をかすかに曇らせる。
「梨花は三人きょうだいの真ん中でな。
末の弟は……粛清で殺されていた。
龍の村のことなんて何も知らない、ただの子どもだったのに」
差し出された湯飲みの茶は、ほのかに香る温もりを含んでいた。
「姉の桂花は、その頃すでに帝都で貴族の妾になっていた。
夫を粛清で失い、二人の娘と共に生き延びていた。
子どもたちは、まだ十にも満たなかった。
“田舎で静かに暮らさないか”という提案も、桂花は断ったよ。
もうその頃には、男なんか信用していなかった」
「そのあと貴族は、桂花を後宮に献上して功を立てた……」
ふっと、野兎が目を細める。
「第二夫人の桂花も、一族の女だ」
かまどの火が、ぱちんと音を立てる。
「10年ほど前に気づいた。
あの桂花が、梨花の姉だったと。
雰囲気が変わっていたし、最初はただの貴族の女としか思わなかった」
「桂花のほうから話しかけてきたんだ。
“梨花は無事に暮らしているか”ってな」
「それから年に一度くらい、手紙のやり取りを仲介するようになった。
長としては、最初は桂花を取り込めないかという思惑もあった。
だが……途中でその計画は打ち切られた」
「桂花は龍を憎んでいるのかもしれん。
心ってのは複雑だ。
親も、夫も、帝国に殺された、だが…
“龍さえいなければ”と、そう思っているのかもしれない。
だから、引き込むのは無理だと判断された」
「その時点で、手紙のやりとりも止める案はあった。
だが梨花にとって、桂花は生き残った唯一の身内だった。
掟に従い、桂花にすら本当の居場所も明かさずに生きてきた。
……それでも、生きているとだけでも伝えたかったんだろう。
長も、なにか思うところがあったのかもしれない。
頼み込まれて、ずるずると……来ちまったな」
野兎の声は淡々としていたが、その奥にある痛みに、私は言葉を失った。
桂花には娘がいる。
だが、後宮には連れてきていなかった。
桂花の手で、どこかに“しまわれた”のか。
それとも――貴族に、母とは別の場所に売られたのか。
帝国による粛清の影響は、私一人に降りかかったものではなかった。
龍の村の人々すべてに、その影は覆いかぶさっていたのだ――
燃えるかまどの火だけが、私たちの間を、静かに照らし続けていた。
……私たちは何を守り、何を捨てるべきなのだろうか。
炎の揺らめきの向こうで、誰かの名もなき涙が、確かに燃えていた。




