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龍の国にて  作者: しし
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3-6 麓の村


3-6 麓の村


麓の村は、龍の村よりもずっと賑わっていた。

街道が交わるこの場所には、冬の只中であっても人が行き交い、熱気すら漂っている。


私は本通りを避けて裏路地へ入り、商家の裏口から中へ入った。

割符を見せると、無言で奥の部屋へ案内される。

そこは、龍の村が表には出さずに運営している取引所だった。


荷をほどいて品を取り出し、代わりに受け取った荷を整える。

分量は増えていたが、行きに使った食料のぶんだけ余裕があった。少しなら──買って帰れそうだ。


湯気の立つ湯飲みを受け取り、隣室から微かに聞こえる帳簿をめくる音に耳を傾けながら、一息つく。


この村は人通りが多いぶん、顔を見られる危険もある。

外へ出るのは避け、商家の中だけで必要なものを揃えることにした。


そのついでに、贈り物もいくつか荷に加える。


──清空には、細く長く、丈夫な組紐。

髪に飾れば美しく、いざという時には身を守る助けにもなる。


──アズールには、革製の縄跳び。

人の身体能力に興味を持つ彼にとって、跳ね、回すという単純な動作もきっと新鮮に映るはずだ。


──野兎には、香りの良い茶葉。

山の香が混じる、やわらかく穏やかな味。

身体が弱っている彼に、少しでも安らぎを──それで十分だった。


それぞれを荷に収めたとき、村で見知った男が声をかけてきた。


「ご苦労さん」


馬甫──たしか、長の側近だったはずだ。

彼は袋をひとつ差し出してくる。中には、小さく個包装された菓子が詰まっていた。


「村の女や子どもにばらまいとけ。悪く思われるより、よっぽどいい」


一瞬だけ胸にためらいがよぎる。

けれど、彼の意図は明白だった。


私が余所者ではなく、共に歩む者だと印象づけること──

こうした細やかな気配りは、村で立ち位置を築くうえで確かに意味を持つ。


私は黙って袋を受け取り、頷いた。


必要な支出だった。自分のための何かを買う余地は、これでなくなった。

けれど、それで困ることはない。

自分のことは、後でいくらでもどうにでもなる。


冷めた湯飲みに口をつけながら、馬甫が荷を分けていく様子を眺めた。

鉱石、玉の原石──どれも、村でしか手に入らぬ貴重な品だ。


それらがどこへ流れ、誰の手に渡るのか。

ふと、そんなことが気にかかる。


馬甫は手紙の束を取り出し、ひとつひとつを確認し始めた。

やがてその手が、ある封筒で止まる。

何度か封を見返し、指先でなぞる。


「……これだけ、長に返してくれ」


差し出された手紙を受け取ると、自然と視線が滑った。


──差出人:梨花。

宛先:帝都、桂花お姉様。


桂花──

あの夜、崖の上に向けられた殺意。その意思が彼女のものであったことは知っている。

だが、この手紙に記された名が、私の知る桂花と同じ人物かどうか──確証はなかった。


桂花という名は珍しくない。

けれど、偶然とは割り切れない重さがある。


それでも、封を開けるには証が足りない。

内容を確かめぬまま、長に渡す──それが、次善の策と判断した。


ただ、その名を見た瞬間に、胸の奥にうっすらと冷たいものが沈んでいく。

まるで、封筒の紙越しに、かすかな殺意の余韻が滲んでいるかのように。


その夜は、商家に泊まることになった。十日ぶりの屋根と床。

けれど、眠気は訪れなかった。


部屋は静かで、暖かかった。

それでも思考は止まず、ただ夜が深まっていく。


翌朝。人通りの少ない道を、顔を隠して歩く。

白み始めた空の向こう、皇降崖の山並みが遠くにそびえている。


初めてあの崖を見たとき、烈鋭空の死を悼むことしかできなかった。

だが今は──少し違う。


弟の死は、今も胸に残っている。

けれど最初に浮かぶのは、あの空色の龍の姿だ。


もし誰かがアズールを捕らえたら──

帝都の中庭に繋がれていたボレアルの姿と、重なって見える。


──あの龍に、鎖など似合わない。


もし、鎖があるのなら。

断ち切るしかない。

それは祈りに似た、静かな決意だった。


霧の立ちこめる街道を、合流地点へ向けて歩き出す。


荷の隙間に紛れた手紙の存在が、じんわりと胸に刺さる。


大切なものが少しずつ増えていく。

そのぶん、変わってしまった自分がいる。


強くなった。

けれど、脆くもなった──そんな感覚。


ただ、ひとつだけ確かなことがある。


帝都は、もう自分の居場所ではない。


……そう思っているはずなのに、心が揺れるのは、翡翠空がまだ、あの場所にいるからだ。


あの冷たい帝都に義母を、ただ一人で置いてきた。

見送ってくれた彼女の姿が、脳裏に焼きついている。


今の自分に、義母に何ができるのか。

たとえ、それが裏切りになるのだとしても──それでも、選ぶしかない。


広い街道沿いを歩いたおかげか、帰り道では野盗に遭わずに済んだ。

「弱ければ、群れろ」──誰が言ったのだったか。そんな言葉を思い出しながら、滝壺を目指して山道へ入る。


ここから先は、誰にも見られぬほうがいい。


慎重に登り、半日早く合流場所に着いた私は、滝壺の見える岩陰に身を潜めた。

落ち葉をかぶせ、じっと、息を潜めて待つ。


冷え込む大地。鳥の鳴き声。風が落ち葉を転がしていく音。


そして──空を裂いて降りてきた、あの龍の姿。


アズールが滝壺へと舞い降りる。私を見つけるなり、無邪気な笑みを浮かべた。


その笑顔に、私は思う。


──ここに、私の居場所があるのだと。


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