第28話 エイダの頼み事
場面は変わって、エイダとエーリン。
訳知り風なエイダはエーリンに詰め寄り、何やら頼み事があるという。
果たしてその内容は――
「そ、その代わり……?」
にじり寄ったエイダの吐息が私の耳にかかる。別人かと見紛う妖艶な仕草に、女の私でもドキドキしてしまう。動揺する私をよそに彼女は小さく微笑み、その指先を私の耳元まで伸ばし、髪の毛をそっと後ろに払った。
「あたしが言うのもアレなんだけどさ……」
エイダの言葉に、ふと我に返る。慌てて振り向けば、満面の笑みがそこにあった。己の髪に触れてみれば、結わきそこねた髪の束が、うまく耳にかけられている。借りた服に袖を通した際に解けてしまった私の髪を、うまく耳にかけてくれたらしい。続いて私の頬を撫でるように指を伸ばすと、その手を私の肩に乗せた。
「旦那の事、許してやってくれないかい」
許してくれ、というのは、ダンの先ほどの態度についてだろう。
それにしても紛らわしい態度のエイダであったが、再び彼女を見れば、今度はやや俯きながら申し訳なさそうにしている。
「あれも、妹を失くしててさ……」
「妹君を――」
ダンの過去に、思わず言葉を失う。
「でも、それがあんたらとは無関係なことだって、わかってはいるんだよ。ただ引っ込みがつかないってやつでさ」
ここでこの話題を持ち出すとことの意味。
――ダンの妹の死には、おそらく前領主が関わっている。
ダンの言葉が頭をよぎる。
『一緒だよ、ラル。貴族ってのはそういうもんなんだぜ』
ダンにしてみれば、私達は妹の命を奪った者と同類なのだ。
「――お悔みを申し上げます」
私の謝罪に、顔の前で両手を大きく振るうエイダ。
彼女も心の奥底のどこかで、夫の妹の死と領主との関係を否定できずにいるのだろう。夫の苦しむ姿を幾度となく見ているだろうし、共感もしているはずだ。
――いい夫婦だな。
そんな風に思って、心がほぐれていくのを感じた。
尻に敷いているように見えて、実際は互い信頼し支え合っているのだ。
「エイダさん」
私は彼女に正対して姿勢を正した。
「旦那様のおっしゃることは、もっともだと思います。虫のいい話をしたのは私達の方ですから。あのまま手を出されても、私達に何も言う資格はありません」
「あんた……」
「それでもこうして良くして下さることに、感謝しかありません」
そう言って私はエイダの手を取った。
「――必ずや、この恩には報いてみせます。この村を、いえ、領民全てが豊かな生活を送れるように」
この言葉は嘘じゃない。
もちろん、簡単でもないことは分かっている。だけれど、気持ちはもう止められない。
それに、私はもう一人じゃない。
――彼が、オラリオがいれば。きっとそれは、成し遂げられる。
そんな気がするのだ。
「ありがとう、ありがとう」
気づけば、エイダの瞳は滲んでいた。彼女もきっと辛い想いをしてきたのだろう。
彼女の震える肩を抱きしめると、小さい嗚咽と共に、涙が私の肩を濡らした。
■■■
居間に戻るとき、オラリオ達と出くわした。
「オラリオ様」
私の声掛けに、オラリオが振り向く。そしてすぐに私の様子に気づいたらしい。
「着替えたのか?」
「ええ。エイダさんが貸してくれました」
オラリオは表情を変えぬまま目線を上下させている。
「ど、どうでしょうか……?」
オラリオの観察眼が私の全身に向けられている。男性からの視線には慣れているつもりではあるが、こうも無遠慮に眼力を注がれると、いささか恥ずかしくもある。パーティーに行けば一人はいる軽薄な男でさえ、こういう部分はもっと上手くやるものである。
オラリオは私の後方のエイダにも目線を送り、そしていつものあまり上手ではない笑顔を作った。
「さすがは元マクワイヤ家のご令嬢、着こなしを心得ている」
期待外れ、かつ微妙なニュアンスの回答に、思わず私の首は傾きそうになった。
「ありがとうございます……?」
そこは、『よく似合っている』でよかったのではないか、と不満がよぎる。
オラリオはすっと興味を無くすと、エイダに向かい、右手のひらを自らの胸元にかざした。
「妻へのご配慮、感謝する。返却は明日で構わないだろうか? 礼もしたい」
「落ち着いたらでいいですよ。それと、礼ならウチの旦那に」
エイダは物怖じなく、からっとした笑顔である。先ほどまでの湿っぽさは微塵も残っていない。
「――それで足りるかい?」
エイダはオラリオの左腕に抱えられた麻袋を指さす。その時、私は初めてオラリオが荷物を持っていることに気が付いた。よく見ればなかなか重そうではあるが、オラリオは平気なようだ。
「ああ。これだけあれば当面はなんとかなりそうだ」
「困ったらまたおいでくださいな。そんときゃ旦那がイノシシでも狩ってきますから」
「ほう、イノシシが捕れるのか?」
オラリオはその言葉に興味を持ったようだ。
「ええ。山の方に行けば、いくらでも。ああ、そういえば」
そういってエイダは居間へと続く扉を勢いよく開けた。
「ねぇ、ダン!」
彼女が声を上げた先には、座り込んだダンの背中があった。先ほどまでと全く変わらず、居間の床に胡坐をかいて項垂れているその様は、なんとも言えない悲壮感がある。子供たちはそんな父の頭と膝の上に、置き石をして楽しんでいる。
「ほら、今朝のイノシシ! どこある?」
エイダは容赦なくダンに詰め寄る。
「ああ?」
ダンは覇気なく返事をするが、エイダは続ける。
「ああ、じゃないよ、もう。くれてやりなよ、イノシシの肉」
エイダはそう言ってダンの前に回り込んで仁王立ちした。エイダはどうやら、私達にイノシシの肉を持たせてくれようとしているようだ。私はオラリオの顔を見たが、彼は半眼になるだけだった。流れに任せておけ、ということらしい。
「ほら、言ってくれれば渡すからさ」
エイダの陽気に対し、ダンは依然として暗いまま、静かに零した。
「ああ、アレはだめだ」
それに対し、エイダは特大のため息をつく。
「あんた、まだそんなこと言ってんのかい? 男らしくないねぇ!」
エイダがダンの軽く背中を叩くと、頭の上の石がコロンと落ちた。子供の一人が絶望の表情に変わる。
「ちげぇよ、そういう事じゃねぇ。まだ血抜きが終わってねぇんだよ」
ダンは重たそうに体を持ち上げ、立ち上がるやいなや溜息をついた。彼の膝上に置いてあった石も転げ落ち、もう一人の子供の表情も絶望に染まった。
「……明日、取りに来い。イノシシの肉はクセがあるからな、食い方はそん時エイダに聞いてくれ」
彼はそう言い残すと、倉庫に向かって歩き出した。その背中に、オラリオが言った。
「イノシシは村で飼育しているのか?」
「いや。山の方から来て、たまに村の作物を荒らすこともある、厄介なやつさ」
「そうか」
オラリオの返答に、ダンは首だけ振り返って凄んだ。
「――止めときな。日陰もんの手にはおえねぇよ」
しかしオラリオは気にも留めてない。
「――なに、狩猟には少々心得がある」
二人の間に、謎の緊迫感が走る。やがてダンは興味を無くしたように溜息をつき、
「……勝手にしろ」
と言い残し、倉庫の奥へと消えていった。
エイダとも良好な関係を築き、食料も分けてもらえた二人。
しかしダンとオラリオの間には引き続き不穏な雰囲気が漂っている。
今回の訪問でオラリオはいろいろ気づきを得たようだが、果たして――?
次回もお楽しみくださいませ!




