第27話 密約
ラルの所業を言い当て、取引を持ち掛けるオラリオ。
その内容は果たして――
壁に寄りかかり、うなだれるラルの目前に、オラリオが静かに立膝をついた。薄暗い倉庫内で、二人の視線は確かに交錯していた。
「君が今までに記録した村に関わる全ての書と、最新の情報をこちらに提供すること。――それが先の金貨一枚の価値だ」
「な――!」
ラルの瞳孔が大きく左右に揺れ動いた。オラリオは立ち上がり、ラルを見下ろしながら続けた。
「さらに、情報の月一度の更新と、私が依頼した調査に協力すること。それを満たす限り、追加でさらに一枚、年度毎に手配しよう」
ラルは思わず息を呑んだ。
「――不足か?」
「い、いえ、少し、考えさせてください」
ラルはそう言って顎に触れ、瞳を閉じた。
今、彼の脳内には二つの異なる考えがある。
前提として、オラリオが提出を望んでいる物の性質を整理する。
この村がいくら小さいとはいえ、その全てを記憶するとなると、人の記憶力では困難な量となる。ラルは商人の性から、彼がこの村に入ってから行動を起こすまで、そして起こしてからの仔細を手記にまとめており、それは数冊という量になる。
考えの一つは、これを渡すことでのしかかる責任と重圧だ。
ラルの手記は記号や数字が羅列されており、多くの者にとっては無価値であるが、しかし知識ある者が読み解けば、文字通り、村の実態は丸裸になる。数時間の相対ではあるが、それを成し遂げるだけの学をオラリオが備えているのは明らかだった。
これが領主の手に渡るということは、今後一切、領主を出し抜くことや不正をすることはできないということである。領主の機嫌一つで吹いて飛んでしまいそうな村において、これは退路を断つことに他ならない。それほどの信頼を、今日出会ったばかりの男に持てるのかと問われれば、答えはノーである。
現在、村人の多くは、ラルの知見に頼り切っている。彼はそれをよく自覚していた。加え、責任感も持ち合わせている。もし新領主がやはり悪人だった時、たとえ他の誰もがラルの背徳行為に気づかなかったとしても、彼は己の処遇について自分で始末をつけることになるだろうと思った。
そしてもう一方。
これを渡すだけで、大金が手に入ってしまうという甘美な誘惑。
金の力は大きい。地方において、金は時に命よりも重いものだ。そんな大金が、簡単に手に入るのである。
そして、彼には金が必要な理由があった。
「――ひとつ、ご質問してもよろしいでしょうか?」
ラルは地面に視線を落としたまま尋ねた。
「かまわない」
「この取引の証明書は作成されますか?」
その言葉に、オラリオの眉尻がわずかに上がった。
「取引である以上、契約書に準ずる書の作成は当然だろう」
「ではそこに、『この村を陥れない』と明記することはできますか?」
ラルの言葉の真意を察したオラリオは、瞳を閉じると共に息を吐き出した。
「君は私が信用できないか」
「商人が信じるのは、常に対価ですよ」
ラルの挑戦的な視線と、ひきつった笑顔がオラリオに送られている。オラリオは腕を組み、頷いた。
「わかった。明記しよう。ただ、『陥れる』という抽象的な表現では、君が懸念している事態において齟齬が生じる可能性がある。『経済発展と生活水準および出生率の向上』など具体的にすることが望まれるな」
「できれば、数字も記してください」
ラルは間髪入れずに付け加えた。オラリオが今一度ラルを見れば、その瞳からはすでに恐怖や動揺は消え去っていた。
「私からもいいか?」
「はい」
オラリオは喉を鳴らして言った。
「……契約書に具体的数字を記すことは承知した。当然私もそれを遵守するよう努力しよう。しかし現実には、予見できない事態が起こり得る。ある改善を目指した施策の際、一時的に締結した数字を割り込むことも起きうるかもしれない。本人の意図とは無関係に」
ラルはオラリオが説明する最中から、再び考えこんだように顎を触っていたが、オラリオが話し終えると同時に尋ねた。
「罰則規定が必要だということですね?」
「双方において、な」
オラリオはこの時、自身の中でラルという少年の評価を改めていた。
契約とはそもそも双方対等であるかのように見えて、実際には明確な上下関係が生じている。オラリオは貴族という立場と金で、ラルに対して抗うことのできないアドバンテージを突きつけた。提示した金はオラリオにとっては貯蓄の一部であるが、ラルにとっては生涯で手にする機会があるかどうかという大金だ。これは明らかに平等ではない。そしてオラリオはそれを利用して、ラルの備える能力を手中に収めようとしているのだ。
しかしこの少年、頭の回転もさることながら、その胆力も目を見張るものがある。自身の置かれた状況と所有する価値を正確に把握し、臆することなく立ち向かってくる。これはまさしく、契約の本懐である「対等」を体現しようとしているのだ。
オラリオは、再び湧き上がってくるものを感じていた。
まさかこの僻地で、こんな思いができようとは。
「……では、こうしましょう」
ラルは立ち上あがり、拳を握りしめ、目を見開いた。その覇気はすでに、狩られる者のそれではなかった。
「――命です」
その瞬間、オラリオの瞳は確かに揺れた。
「相手が規約を反故にした場合、それを説明できない時には、命を持って証明すると」
この時のオラリオの表情について、後にラルはこう振り返っている。
――想像してみてほしい。あの冷徹で能面のような顔が、恍惚に満ちて歪んでいるところを。僕は忘れることが出来ないよ――と。
「……一蓮托生、ということか」
オラリオは小さく呟いたあと、手袋を外して右手を差し出した。それは間違いなく契約成立を示していて、その表情は確かに、普段と変わらないものであった。
「明朝、家まで来てもらえるか。契約書と対価を用意しておく」
「では、水を汲んでお持ちしますよ。記録と一緒にね」
二人は熱く手を握り合った。この薄暗い倉庫の中で、村の行く末を決める重要な取引が行われていたことを、他の者は知るよしもなかった。
「では出よう」
オラリオは食料の入った麻袋を片腕で抱えると、先ほどまでのやり取りがまるでなかったかのように、颯爽と扉に向かって歩き出した。オラリオが扉に手を触れ振り返ると、立ったまま床を見つめるラルの姿があった。
「僕は地獄に堕ちるのでしょうか?」
それは思わず零してしまった言葉だった。
我にかえり、オラリオの方を見れば、色のない目線を送っていた。
「堕ちるのは私一人で十分だ」
オラリオはそう言ってドアを開けた。
暗がりに慣れた目に、外の明かりが差し込んでくる。
その光はオラリオを後光のように縁取っていた。
ラルとオラリオの間に結ばれた契約。この契約が村にどんな影響を及ぼすのか。
そしてラルの今後は――?
引き続き、お楽しみ頂けますと幸いです!




