第16話 派遣領主の懸念
作物を分けてもらうために領民に頼みに行く必要があるが、オラリオはそれにエーリンを同行させたくないという。
聞けば、アトラ領地は大変な状況のアトラ領民を置いて逃げ出した過去があるらしく――?
領主が領土から逃げ出す? そんな話は聞いたことがない。
「誰も話したがらないさ」
私が口にしていない疑問に、オラリオは予想していたように答えた。
「それ以来――つまりこの二年間、このアトラ領は領主不在で放置され続けていた。治安管理、医療の提供、首都との物流を含めた全ての交流が停止したアトラは、陸の孤島となっていた訳だ」
なんとひどい話だろうか。
「まぁある意味、それは彼らにとって良いことだっただろうが。なにせ、苦しめていた税徴取がなし崩し的に中断されていたのだから」
だがこれで、オラリオが言っていたことの意味が分かった。
――領主館には入れない――
――二年前から領主が不在――
領主が逃げ出すほどの財政難であったらなら、本来領主が提供すべき行政はまともに機能していなかっただろう。領民からすれば、貴族はまさに百害あって一利なしの存在だったに違いない。
そんな領主不在の現状は、彼ら領民にしてみれば楽園と言えるだろう。
「私たちがここにきたということは、再び徴税が始まるという事を意味する。アトラ領民の貴族に対する反感は、他地方より厳しいものになるだろう」
――そこに食料を貰いに来た、となれば――
「そんな状況だ。素直に応じるかどうかはなんとも言えない。暴力沙汰になることも覚悟しなければ。暴力で済めば、ましな方かも知れないが」
最悪の事態が脳裏に浮かび、思わず唾を飲んだ。
そして私の中で全ての事象が紐づいた。
「もしかして、私たちがここに送り込まれたのは――」
アトラ領は本国外縁に位置する辺境だが、こと政治の範疇となればその価値は大きい。隣国の国境の維持、流民の越境の阻止、異国からの揚陸作戦へのけん制。首都部から離れているからこそ、その管理維持はきちんと行わなければならない。
とはいえそこに新たに就任する辺境伯には危険が伴う。領民の反乱により命を失うかも知れないと聞けば、そこに喜んで向かう貴族はいないだろう。
だったら、死んでも問題ない貴族であれば――?
「――そういうことだ」
なるほど。死んでも問題ない罪人貴族を辺境に送り込み様子見、うまく行けば御の字――そんなところなのだろう。
「そういう事情だ。だから、私は貴方を連れて行きたくない」
新婚生活二日目。領民から殺害される――確かに最悪の展開だ。オラリオもそれを警戒しているのだろう。
けれど私はオラリオの態度に矛盾を覚えるのだ。
「待っていろ、とは言わないのですね」
オラリオと目が合う。
「それは、私を連れていくメリットを捨てきれないから、ではありませんか?」
図星を突いたのか、私の言葉に、彼は静かに視線を落とす。
「食料を分け与えてもらうなら、女性の私が同席した方が印象は良い。彼らとしても、いくら憎き領主とは言っても、さすがに女に手をかけるのは気が引けるでしょうし。むしろ、女の私が甲斐甲斐しくお願いをした方が、同情を誘えてよいのでは――と、そうお考えなのではないですか?」
オラリオは深くため息をついてから、「その通りだ」と言った。
「――行きます」
私は身を乗り出して言った。
「そもそもお願いをするのに、本人が行かないなんて誠意がありません。そういう態度で領民を落胆させてしまえば、後々に響きます。何より私はオラリオ様の妻です。夫の危険をただ家で待つなんて、私にはできませんわ」
夫を支えること。それがマクワイヤ家に生まれた女の矜持である。仮にもしオラリオが殺されてしまったのなら、私は己を生涯許せないだろう。
しばしの沈黙のあとだった。
「……ふ、ふふふ」
オラリオが不気味に笑い始めた。
一体なにがおかしいのだろう?
私の決意を笑うとは……なかなかにいい度胸をしている。
不満の視線を向ければ、オラリオはモノクルを直しながら言った。
「いや失敬。悪意はないのだ」
「本当ですか?」
「ああ。少しうれしくなってしまってな」
そういうとオラリオは意地悪そうな笑みを浮かべながら立ち上がった。
「頼もしいパートナーだ、貴方は」
オラリオは手を差し伸べている。窓から差し込む光が彼の美顔をより輝かせている。
「失望させないよう、励みます」
私はその手を取って、立ち上がる。
「行こう」
二人は互いの意思を確かめるように見つめた後、並んで玄関まで向かった。
■■■
アトラ領は本国最南端に位置する半島である。
その形状は先が欠けた▽であり、突き出した南側全土が海に面する格好となっている。欠けた先端部分はわずかに内陸側に食い込む形となっていて、美しい海岸線とごく小さな港を備えている。そこから内陸に向けて穏やかな丘陵地帯が続いており、ちょうどその丘を登り切ったあたりにアトラ領主館がある。
つまりアトラ領主館から南方を見れば、水平線まで続く景色を一望できるわけだが――
「わぁ、綺麗」
これが大変美しい。
遠景の海岸線は陽光を乱反射させ、まるで宝石のようにキラキラと光り輝き、人の手が入り整えられた農地と手つかずの自然が景色にグラデーションを作っている。海から吹く風は丘陵を駆け上がる道中で草木の香りをふんだんに蓄え、それが頬を撫でていくのがなんとも気持ち良い。
「のどかな所だな」
隣に立つオラリオが眩しそうにして言った。いかにも都会育ち風情のオラリオには、この景色があまりにも似合っていないのが面白い。もちろん口には出さないが。
「こういうのも悪くありませんね」
私がそういうと、オラリオはその能面をわずかに崩して笑った。
「この景色を愛おしいと思えるように、精進しなければなるまいな」
「ふふ、そうですね」
オラリオがゆっくり歩きだし、私もそれに続く。
私たちの新居は、領主館からわずかに丘を下ったところにある。新居は領主館の敷地に隣接されていて、庭師は使用人に気を遣わずに早朝から作業ができるようになっている。領主館から見た景色はより格別なことだろう。
その新居を出て、道を下っていく。道、と行っても、農作物と雑草の境目として人に踏み固められただけの簡単なものだ。油断するとヒールが石をはじき飛ばして足をくじきそうになる。その足取りを不安に思ったのか、オラリオが手を差し伸べてくれたので、そっと取る。畑道をエスコートされるのも、悪くない。
――季節は春。暖かな日差しと風が気持ちよい昼下がり。未だかつて、こんなに穏やかな散歩はあっただろうか。
そうして少し歩いたところで、オラリオは急に足を止めた。
「麦だな。これは――小麦か?」
話を終え領民への挨拶に向かう道、オラリオは麦を見つけて何か考え込む。
貧困ときいていた地域に豊富な小麦があるというのは、果たしてどういうことか――
次回、村人との接触! 徐々にアトラの実態が明らかになると共に、村民との協力と開拓がはじまっていきます。
次回もお楽しみに!




