櫻木双葉1
はい、続きです。
―――私は死んだ。死んでしまった。
通勤途中、電車を待つ駅のホームから転落して電車に撥ねられて死んだ。ううん、私は突き落されたんだ、あの男に。あの男に……殺されたんだ。
―――何がいけなかったのだろう?
高校では何も問題は起こさずいい子でいた。後輩からは慕われ、先生方の期待に応えて優等生を演じて来た。部活も学業もちゃんと取り組んでいたし、学校行事にも率先して参加していた。充実した高校生活を送れたと自分でも思う。普通に高校を卒業し、大学には行けなかったけど普通に就職もできた。慣れない仕事に四苦八苦しながらも、愚痴も弱音も吐かずに頑張って来たのに。こんなことなら恋人の一人でも作っておくんだった。こんなに、呆気なく命を落としてしまうなんて、何がいけなかったの? 何が気に障ったというの? 理解できない。許せない。あの男を許せない。あの男が野放しになっているなんて許せない。
殺したいほどに憎い。
あの男を呪い殺すことで頭がいっぱいだった。まわりが見えなくなるくらいに、私の心は恨みでどす黒く染まっていた。私の内にこんな醜い感情があったなんて知らなかった、知りたくもなかった。でも、それでも、あの男だけは許せない。呪い殺したいという感情だけが渦巻いていた。
呪い殺したかった。でも、その男はその日のうちに捕まった。呆気なく捕まってしまった。殺す機会を失ってしまった。
この行き場のない怒りと憎しみはどこへ向けたらいいの?
◇◇◇
私はまだ駅のホームにいた。あの男が捕まって数日が経つというのに、私はまだ憎しみの感情に捕らわれていた。
『双葉ちゃん、まだここにいるつもり?』
そう声を掛けて来たのは、私の前に殺された響子さん。すらっとしたスタイルでモデルをしてるんじゃないかってくらいに綺麗な人だ。
『皆さんだってまだいるじゃないですか』
ここには私や響子さんだけでなく、私たちより以前に殺された恵さん、明日香さんも残っていた。一番最初に殺された法子さんは、大切な指輪が見つかって先に成仏していた。みんな一様にポニーテールに髪を束ね、気後れしてしまいそうなほどの綺麗な人たちだった。美人薄命とはよく言ったものだ。
『私たちは双葉ちゃんの事が心配だから』
『私が、ですか?』
どういうことだろう? これ以上死ぬことはないし、心配するようなことなんて何もないはずなのに。
『双葉ちゃん、あの男の事をまだ恨んでるでしょ?』
『当り前じゃないですか! 私たちは殺されたんですよ! それなのにあの男はまだ生きてるんですよ! 皆さんは悔しくないんですか!』
『それは悔しいわよ。でも、憎しみを抱いたままここに居続けたら、双葉ちゃん悪霊になっちゃうわよ』
『え? 悪霊……?』
悪霊って、あの悪霊よね? ホラー映画に出てくるあれよね? 私があれになるというの? この私が?
『死んで憎しみに駆られたままだとそうなっちゃうわよ。私も詳しくは知らないけど、強い恨みを抱いて死ぬと、どんな聖人でも簡単に反転しちゃうんだって。肉体という器がなくなり魂だけになるから、きっと感情が浮き彫りになるのね。それくらい脆い状態なのよ、今の私たちは』
詳しくないと言いつつ、結構詳しく説明してくれた。
響子さんって、お寺の人なのかな? 鐘の音がいい感じに響きそうだし。って、今はそんな話どうでもいいか。
『でも、どうすれば……』
この感情はどうしようもない。行き場がなくなり発散することも出来ない。ずっと私の内に渦巻いている。私の身体、魂を塗り潰しそうなくらいに。
『溢れた感情はどうすることも出来ないわよね。でも、今あの男を殺すと、あの男もここに来ることになるわよ』
『え?』
『あの世に天国や地獄があるかはわからないけど、私たちは死んだら成仏してあの世に行かなければならない』
『はあ』
『天国と地獄、最終的な行き場は違っても、あの世まであの男と一緒に行くことになる。そんなの私は嫌。同じ空気を吸うだけでも嫌なのに、顔なんて二度と見たくないわ』
『それは私も同じですけど……』
『だからね、私はこう思うようにしたの』
響子さんは人差し指を立てて、言い放つ。
『あの男は一生豚箱で過ごし、臭い飯を食って、なんの楽しみもないまま老いさらばえて死んでいくのよ! ざまあみろ! ってね』
響子さんは可愛らしくウインクをして見せた。不覚にも女同士だというのにドキリとしてしまった。
『だから双葉ちゃんも、あんな男のために悪霊になんてならなくていいの。双葉ちゃん若くて可愛いから、あの世に行ったらきっとモテモテよ。ハッピーなことが待ってるのよ? 今の感情を別のモノに向けようよ。だから、私たちと一緒に成仏しよう!』
響子さんは私を心配し、悪霊にならないよう説得してくれている。今までこんなに人から心配されたことなんてあったかな? 期待はされたけど心配はされた覚えがない。心配されるような生き方をしなかったからなんだけど。心配されるってなんだか新鮮な気分だ。でも、最後の誘い文句はどうなんだろう。
『もう、何ですかその怪しい勧誘は。どうせなら生きてるうちにモテたかったですよ』
『え~双葉ちゃんモテたでしょ? そんなに可愛いのにモテないとは言わせないわよ?』
『いえ、そんなことは』
『そうね、きっと男をとっかえひっかえ……』
『してません!』
恵さん、話に入って来たかと思えば何てこと言い出すかなぁ。
『そもそも告白だってされたことないのに……』
『……ひょっとして双葉ちゃん、告白されたのに気付いてなかったんじゃない?』
『え?』
『双葉ちゃんそういうの鈍そうだし』
『『ああ、それある!』』
『あるの!?』
響子さん恵さん、見事なハモリです。
いや、それよりも明日香さん、それは真ですか!? 私って鈍かったんだ……。でも、そんな事あったかなぁ……あった、かも? いやいや、あれは違うわね。同じ部の仲のよかった男子が、「次の試合、俺が勝ったら……」とか言ってたけど、後の方はモゴモゴ言っててよくわからなかったし、きっとジュースを奢れとかそんなだったはず。結局試合は負けて、その話が蒸し返されることはなかった。うん、やっぱり違う。
そんな話をしているうちに見事に毒気を抜かれてしまった。なんだかあの男を憎んでいる時間が勿体なく思えて来た。だったらみんなと一緒に成仏して、あの世で楽しく過ごした方がよっぽど有意義だろう。
『わかりました。私も皆さんと一緒に成仏します』
『あ、話題を変えたわ』
『変えたわね』
『きっと分が悪いと思ったのね』
『もう! みんなしてからかわないでくださいよ!』
この人たちは私を成仏させたいんじゃなかったの? からかうことに目的がすり替わってるじゃない。楽しいからいいけど。でも、そんな素振りを見せたら負けよ。
私は膨れっ面を作り、プイッとそっぽを向いた。あざと過ぎただろうか?
『あはは、ゴメンゴメン、少しからかい過ぎちゃったね』
『もう知りません!』
響子さんは私を宥めようとしてくれる。なんだかお姉ちゃんみたいで甘えたくなる。うん、これは甘えだ。人に甘えて来なかったから、優しい響子さんたちに甘えたくなったんだ。
『ゴメンって。機嫌直してよ。……あ、ほら、あれ見て』
『そんな事じゃ誤魔化されませんからね』
『誤魔化してないわよ。ほら、私たちの王子様が来たわよ』
『王子様って……あ』
響子さんが指差した先に彼の姿があった。
玲奈ちゃんの命を救い、法子さんの指輪を見つけ出し、あの男を追い詰めた彼。王子様というより悪を倒す騎士様の方がこの場合合っているような気もする。ていうか、王子様とか騎士様とか、どうしてそんなメルヘンチックな思考になってるのよ。
『王子様というにはイケメン度が足りないわね』と恵さん。男をとっかえひっかえしてたのは恵さんの方なんじゃ?
『何言ってるの? 男は中身よ』と明日香さん。顔のいい男に酷い目にでもあったのかな?
『彼女を救った時の彼、カッコよかったよね。生きてたら好きになってたかも』と響子さん。私と同じ感性だ。なんだかホッとする。
別に私は好きになったりしないけどね。まあ、確かにあの時の彼はカッコよかった。まさか危険を顧みずホームに飛び込んで玲奈ちゃんを救ってしまうとは思わなかった。ちょっと玲奈ちゃんが羨ましいとさえ感じたわ。
彼は、手向けられている花の前にしゃがみ手を合わせている。私の為に祈ってくれてるの?
『私の為に? イケメン度アップ!』と恵さん。え? 見た目はいいの?
『ほら、やっぱり中身はイケメンよ』と明日香さん。中身にこだわるなぁ。
『どうしよう、成仏するのやめようかしら』と響子さん。さっきまで私を成仏させようと説得してましたよね? そこは成仏しましょうよ。
みんな揃って、彼が自分の為に祈ってくれていると思っているようだ。きっと彼は、私たちの為に祈ってくれているのだろうけど。
……ん? あれ? よく見るとこの顔見覚えがある。どこだったかな?
ジーッと彼の顔を見ていると、響子さんが茶化してきた。
『どうしたの? 双葉ちゃんも好きになっちゃった?』
『違いますよ。好きになったのは響子さんでしょ? 私はただ、彼に見覚えがあって』
『ふ~ん、職場ってわけじゃないわよね、彼どう見ても高校生だし……学校とか?』
『学校、ですか……』
キィィィィィィィ
隣のホームに電車が入って来た。
その音を聞き、あの時の事を思い出した。
『あ!? あの朝ぶつかりそうになったナンパ野郎だ』
『え? ナンパ野郎?』
響子さんは若干引いていた。彼がそんなことするとは思わなかったのだろう。
あの朝、私は彼にしつこく呼び止められた。なぜか怪我には気を付けてとか言ってたっけ。ナンパだと思って軽く説教して逃げちゃったけど、ナンパじゃなかったのかな? 玲奈ちゃんを必死に助けようとした姿を見た後だと、私をナンパするとは思えないわよね。だって、きっと彼は玲奈ちゃんの事が……。
それよりあの時のお詫びしなきゃ。それにお礼もよね。聞こえるかはわからないけど、言っておかないと気が済まないわね。
じゃあ、心を籠めて。
『ありがとう』
「っ!?」
え? 嘘? 彼がこっちを見た。私を、私たちを見てる? 私の姿が見えるの? 私の声が聞こえるの? どうしよう、ちゃんとお礼言わなきゃ。
『キミのおかげで、私たちは成仏できるわ。ありがとう』
ああ、もっと気の利いた事が言いたいのにうまく言葉が出て来ないよ~。
「櫻木先輩……」
え? 私の名前……知ってたんだ? 私は彼の名前を知らないのに。いつから知ってたのかな? 学校で話したことあったのかな?
ど、どうしよう、私の事を知ってただけなのに、思ったより動揺しちゃってる。と、とにかくお礼! 後お詫び! 言葉だけじゃなくて他に何か……何かって言っても、今めぼしいものはこれくらいしか持ってない。……これでもいっか。私のと同じデザインだけど別にいいよね。
私は彼の手を取り、ミサンガを手渡した。
よかった。触れられないかもって思ったけど、ちゃんと触れられた。ちゃんと渡せた。緊張してるのかな? 少し汗ばんでたけど、大きくて温かい手だった。
彼は手の中のミサンガを見て、困ったように微笑んだ。
気に入らなかったかな?
「随分と懐かしいものを……」
そっちか!?
『別にいいでしょ。もう、生意気なんだから……』
素直に受け取ってくれてもいいじゃない。男の子に贈り物なんてこれがはじめてだったのに。私は「フンッ」とそっぽを向いた。
「ありがとうございます。大事にしますね」
え? 大事にしてくれるの? なんだか嬉しい。自然と頬が緩み笑みがこぼれる。
そうだ! 名前! 私たちの無念を晴らしてくれた人の名前だもん、みんなも知りたいよね? ね?
チラリと視線を上空へ向けると、みんなニヤニヤしながらこっちを見ていた。
何? 何をニヤニヤしてるの? なんだか居心地が悪い。文句の一つでも言ってやろうかな。
すると、彼が別の女の子から声を掛けられていた。
「勇人君? こんなところで何してるの?」
玲奈ちゃん? 眼鏡をかけてないけど、間違いなく玲奈ちゃんだ。眼鏡やめたのかな? 確かに眼鏡がない方が可愛いけど……ん? 玲奈ちゃんの彼を見る目、何か期待しているような? ……そうか、彼に見てもらうために……え!? じゃあ、ひょっとして玲奈ちゃんも彼の事が? マジですか? じゃあ、二人は両想いってことに……。
思いがけず彼の名前を知れたけど、なんだかなぁって感じだ……ハァ。
二人は仲よく並び、玲奈ちゃんは手を合わせ私たちの為に祈ってくれている。そして、そんな玲奈ちゃんの顔を彼はじっと見つめていた。
(……いいなぁ)
そんな想いが私の胸を締め付けた。私も生きていたらこんな恋が出来たのかなぁ。青春してる二人の事が羨ましく思う。……青春って、私はおばさんか!
これ以上ここに居ては二人の邪魔になる。玲奈ちゃんは見えていないかもしれないけど、彼の方が気にするよね。
私は『じゃあね』と簡潔に別れの言葉を告げみんなの下へ戻った。
『いいの? そんなお別れで』
響子さんが心配そうに訊ねて来た。さっきまでニヤニヤしてたのを忘れてないですからね。
『いいんです。お礼は言えましたしお詫びも渡せましたから』
『そう?』
『はい。あまりしつこく居座っても彼が困っちゃいますから』
『……そうね。じゃあ、成仏しましょうか』
『はい』
私たちはスーッと上空に上っていく。
私は振り返り、二人並んで歩く彼の後ろ姿を目で追っていた。
『勇人君、玲奈ちゃんのこと幸せにしてあげてね。バイバイ』
私はもう一度別れの言葉を口にすると、今度こそ振り返らずにみんなの後を追った。
明日香さん、恵さんと、スーッと姿を消し成仏していく。
そして響子さん。
……あれ? ちょっと待って。成仏ってどうやってするの? このままじゃ私だけ……。
私は一人取り残される恐怖を思いゾッとした。
『響子さん! ちょっと待ったぁぁぁっ!』
『な、何!? どうしたの双葉ちゃん?』
消えかかっていた響子さんがギリギリで踏み止まってくれた。危ない所だった。私一人だけ取り残されるところだった。
『響子さん、成仏ってどうやるんですか?』
『え? どうって……こう、スーッ、フワッ、フッって感じかな』
『全然わかりません』
そんな擬音ばかりのフワッとした説明じゃわかんないよ。
響子さんは困った表情で考え込みはじめた。
『困ったなぁ、説明するのは難しいわね。……やり残したことのない人なら自然と成仏できるものだと思うんだけど……』
『そうなんですか?』
『ん~たぶん。成仏できない人って、この世に未練のある人なのよ。未練がなければ魂はあの世に引かれて行くものなの。……それとも、成仏を意識しちゃったからできないのかな?』
たぶんと言いつつ相変わらずそれらしく説明してくれた。
意識したから成仏出来なくなった、か。手癖のようにしていた料理を手順に沿ってやろうと考え込むと、手順がわからなくなるのと同じ感じかな。
『よし。じゃあこうしよう。私がお手本を見せてあげるから、双葉ちゃんはそれをマネしてみて。きっとうまくいくから、自信を持って』
『は、はい』
私が返事をすると、響子さんは一つ頷き、『じゃあいくよ』とお手本を見せてくれた。
響子さんは天に上ってスーッと消えて行った。
……
……
……どうしよう、さっぱりわからなかった。
とりあえずやってみる?
私は響子さんの真似をし、スーッと天に上り……天に上り……天に上り……上り…………上った……。
―――成仏できない!?
『響子さ―――ん! 全然出来ませ―――ん!』
しかし、返事返ってこなかった。
『あ、あれ? 響子さん? 響子さ―――ん!』
やはり返事はない。
『………………まさか』
取り残された!? って、そりゃそうよね。響子さんはお手本を見せて成仏しちゃったんだもん。戻って来られるわけないじゃない! どうして気付かなかったのよ! 成仏できない焦りが、冷静な判断力を失わせていたの? って、今冷静に分析してどうするのよ! 私成仏できないのよ! このままじゃ私、ずっと彷徨い続けることになるじゃない!
『これから私、どうしたらいいのよ―――!』
私の悲痛な叫びが空に響き渡り、私は途方に暮れてしまった。
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