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愛の理由  作者: 桜井雛乃
消えない想い
30/46

消えない想い 弐

 何を考えているのだろう。

 其の表情は単純な不安を映しているが、頼朝様が本当に其の程度で揺るがぬ微笑みを崩すだろうか。

 此の事態の主犯は、頼朝様なのでは……。

 一瞬、頭を過る憶測に、慌てて否定を続ける。

 流石の頼朝様とは言え、此の様な事はせぬ。

 抑々彼に得が無い。だから、其の憶測は在り得ぬ事よ。

「頼朝様、義経と何か御座いましたか? 某は彼が心配でならぬのです」

 義経の兄。義経が信頼している兄。そして、義経が仕える主君。

 疑う事等有り得ぬし、許されぬ。秘密や隠し事を抱く事も、許される筈が無い。

「…………知らないよ、あんなやつ。義経は、私を傷付けようとした。だからもう、……もう……っ…………知らないよ」

 明らかに頼朝様の様子が変である。が、此れが彼の本心であるか、演技であるかを見抜けぬから困った。

 俯き瞳を潤ませる其の姿には、微かに怯えも見えて、そう簡単に作れる表情では無い。

 然し頼朝様ならば、出来てしまう様な気もしてしまう。何方なのだろう。

「義経が頼朝様を傷付けるとは、其の様な事有りませぬ。何かの誤解でしょうから、彼と話をしてやってはくれませぬか?」

 疑うべきでは無い。とは言え義経に仕える身である訳だから、先程の言葉に触れようとしては疑いを抱いてしまう。

 だから取り敢えずは仲直りさせる事に徹する。

 此の二人が仲違いをしたままでは、今後の戦にも影響があろう。

「誤解なんかじゃない。あいつらと、何度も私の躰を犯し心を蝕むあいつらと、義経は同じだった。あの目は、あの手は、私自身を愛してくれていない」

 義経が其の様な行為に及ぶ筈も無い。

 ならば何故、頼朝様は義経をそう言うか。

 頼朝様の言葉を聞く限りは、義経の抱える想いに気付いたと言う事。義仲の言葉は義経の愛を嘲笑うだけで無く、事実だったのか。

 まさかあの義経が、頼朝様に愛を囁いたとでも?

 何にしても某が去り、二人残された場所で義経が進歩を望んだ。進んだ関係を求めた。

 然し其れは頼朝様にとって、恐怖心や拒絶を思わせるのみ。

 そうして二人は、擦れ違ってしまったと。

 全てが繋がった。

 兄弟の間に何が在ったか、其れを知る事が出来たが、何とも悲しき運命なのか。

 義経の純愛と勇気が、頼朝様に恐怖や疑いを植え付ける事になろうとは。

 頼朝様に恋している義経。其の姿を見たいが為に、悪戯に秀衡殿への想いまで頼朝様への恋慕と思い込ませて。

 結局、某が悪いと言うのか。

 自分の欲を抑える事も出来ず、大切な人を傷付けてしまった。

 頼朝様を傷付けたのも、義経では無く某なのだろう。

「弁慶、私に愛を教えてくれない? あの子が私を想ってくれているというのなら、義経の行動に愛があったというのなら」

 疑う余地も無い程に悲しげで辛そうな表情をして、其れを隠す様な微笑みを浮かべ直した。そんな頼朝様の姿には、彼が少しも怠らぬ努力には、反論等出来よう筈も無かった。

 義経を庇う事よりも、今は頼朝様の傷を癒やしたいとも思った。

 そんな某に、頼朝様は優しく声を掛けて下さる。

 其の声は惨い程に優しく、花畑で蝶を追うかの様に、無邪気で微笑ましく――美しく。

 辛い現実から、某を夢の世界へ誘おうとする魅惑の響きだった。

 今此の胸に抱くのは恐怖なのか、愛しさなのか。自分にも知れぬ其れさえ、頼朝様の漆黒の瞳には見透かされている様な気がした。

 だが不思議と逃れようとも思えず、間抜けな顔して立ち尽くしていた某を、頼朝様は突き飛ばす様にして押し倒した。

 突然の行動に反射神経さえ働かず、某は其の儘尻餅を吐いてしまう。

「好きでもない人に躰を触られて、それでも笑顔でご奉仕をしていないといけない。どんなに恥ずかしいことだって、痛いことだって、生き延びるために耐えてきた」

 頼朝様は某を其処に寝かせると、腹の上に跨った。然し、其れ以上は何をする様子も無い。

「おまっ、何を……」

 遠くに義仲の声が聞こえた。

 一瞬頼朝様は声の方を一瞥したかと思えば、上体を倒し某に抱き着く様な形になった。

 胸の鼓動が早まるのを感じる。

 何故、頼朝様は此の様な事をするのだろう。某も某で、何故されるが儘になって居るのだ。

 圧倒的に力量ならば某の方が優っているのだから、逃げる事も可能な筈。

 命令だから? そうでは無い。

 義経を裏切る事になるとは知りつつも、頼朝様の美しさに逆らえ無いだけだ。某の心が弱いだけだ。

「一度だけでいいの。私は、本当に愛する人と躰を重ねたい。弁慶に強要をしてしまえば、私もあいつらと同じになってしまう。だけどお願い、一度だけ私に夢を見せて」

 此れは頼朝様からの愛の告白と取って良いのだろうか。

 否、違うに決まっている。

 義経の愛を受けて、頼朝様は混乱なさっているのだ。情緒不安定と言うか、欲求不満と言うか、其れで頼朝様は此の様な事を口走っているに違い無い。

 戯言と言う訳には行かぬが、頼朝様の本心であるとも考え難い。

 但しそうは思っても、鼓動は早まる一方だった。

「やめろっ!」

 美しい顔が間近に近付いて来て、覚悟を固め瞳を閉じた処に、義仲の悲鳴にも近い声があった。

「あぁああああ! なんかむかつく! なんで、なんで、なんでっ! 従兄弟が男色、だから何?! 俺には関係ねぇし! てか、俺は普通に女が好きに決まってんだろっ! なんでこの俺が、男のために嫉妬しなくちゃなんねぇんだよ!」

 義仲の騒ぐ声が聞こえたと思うと、腹部に鋭い痛みが走った。

 目を開いて見てみれば、某の横に倒れ込む頼朝様と、代わりに某の上に跨る義仲の姿。先程の痛みは、義仲に押され地面に落とされた頼朝様の、細い脚が当たったらしかった。

 蹲りたい程の痛みだ。

 然し、某よりも頼朝様の方が痛かった事だろう。彼の事が心配だった。

「頼朝様、大丈夫ですか? 御怪我は有りませぬか?」

 声を出すのも辛かったが、腹の痛みと上に乗る義仲の所為で、頼朝様を抱き起こす事も出来ぬ。声を掛ける他あるまい。

「私なら大丈夫だよ。やっぱり弁慶は優しいんだね。だけどまだ、何かを恐れているみたい。そして私はまだ、そこから弁慶を解放してあげるほどの力を持っていない。責めてくれてもいいくらいなのに、弁慶はあまりに優しいんだ。こうして、欲望に動いた私のことをも心配してくれるんだから」

 返って来た答えも又、何処か苦しそうで痛みを堪えていると直ぐに気付く。

 本当の頼朝様は、こんなにも素直な人だと言う事にも同時に気付く。

「武蔵坊弁慶、お前まで頼朝のことが好きだとかいうのか。そもそも頼朝はどうして、俺が手にしようとするものを、全て持って行ってしまうのだ」

 どうにか頼朝様へと手を伸ばそうとしていると、恨めしそうに義仲が呻いていた。

 義経の恋心を莫迦にした事もそうだが、此奴の言葉はどうも許せん。

 他人の努力を受け入れぬ者が何を望まんとするか。怒鳴りたくなった。

「そうじゃない。義仲殿、私の欲するものを手に入れてしまうのは、貴殿ではありませんか。私が努力の末に手にしたものを、貴殿は簡単に手に入れてしまうではありませんか」

 怒鳴り付ける為に口を開いた某だが、頼朝様の美声に口を閉ざす。

「御二人共、すまぬ。某にはやはり、義経しか居らぬ」

 徐々に言い合いを激しくさせて行く二人を止める為に、某はそう告げて立ち上がる。義経に愛を誓い乍ら、頼朝様を愛す事等。

 其処でやっと、某は笛の音が鳴り止んでいる事に気が付いた。

 今更、遅かった。

 何を語る事も無く、無言で此方を眺める視線に気が付いてしまった。


 ――消えない想い。

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