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愛の理由  作者: 桜井雛乃
殺したいほどに
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殺したいほどに 源頼朝

 ……わかっているよ。

 弁慶は義経のことが、好きなんだよね。私ではなくて、義経を選んだんだよね。

 だから私ではなく、義経に仕え義経に従い義経に連れ添っているんだ。そんなことはわかっていたけれど。

 でもこうして、改めて言われると……哀しくなるよ。

「すまない。弁慶の気持ちがわかっていたのに、私も取り乱してしまった。愛のない行為の苦しさも、私が一番わかっていたのに。弁慶のことはもう完全に諦めるから、お願い、これからも私のために戦って?」

 一方的にそう告げると、私はそこから去ろうとした。

 失恋して、まだその場にいられるほど、そこで笑っていられるほど、私は強くないから。

 最低だよね。

 自分勝手で、弁慶の気持ちも、義経の気持ちも考えずに、本当にひどいよね。

「御待ち下さい、頼朝様っ! 某、頼朝様の想いに応えられませんが、嬉しくは思います」

 逃げて帰ろうとしていたのだけれど、弁慶に名を呼ばれてしまうと、反射的に立ち止まってしまうのだから哀しいものだよ。

 振り返ることもできず、だからといって無視することなどできず、弁慶の声に耳を傾けてしまう。

「頼朝様へ愛情を抱きはします。其の美しさに魅了されて、然し某は義経も愛していて。其の様な失礼な、汚れた愛情で、頼朝様を汚してしまう訳には行きませぬ」

 それは、弁慶の優しさから発せられた言葉なの?

 本心なんかじゃないよね。弁慶が義経を一途に愛していることは明白だし。

 どこまで優しければ気が済むの?

 私を惑わせて、私を誘うだけ誘っておいて、結局は私を傷付けるんだ。

「それじゃあ、今の私は汚れていないっていうの? 何人と夜をともにしたかもわからない。名前も知らない、初対面の人が相手のときもあったくらいだよ。そんな私が、汚れていないって、弁慶はそういうわけ?」

 こんなことを言いたかったわけじゃないのに。

 弁慶が優しくしてくれるんだから、お礼を言って立ち去ればいいじゃないか。

 優しくしてもらっても苦しいだけなのに、どうして弁慶に背を向けて、こんな言葉を投げかけ私は泣いているの?

 わざとらしいよね。見え透いた罠、それは生き抜くための手段。こうしたら誘惑だって、私はわかっているのに、無意識のままにそうしてしまっているなんて。

 私が弁慶を誘惑しても、お互いに傷付くだけなのにっ。

「汚れて等、おりませぬ。頼朝様の過去は存じておりますが、不思議と、清らかな存在に思えます。其れは、頼朝様がそうして、優しい心を御持ちだからではないでしょうか。無礼な某の態度にも、怒らぬばかりか、頼朝様が謝られました」

「それは、優しさじゃないよ。少しでも弁慶に嫌われたくないって、そう思うだけ。もう恋は諦めるけど、離れ離れはあまりに哀しいから」

 そこまでを言うと、私は今度こそ本当にその場から立ち去った。

 期待していたわけではないけれど、弁慶は私の名前を呼んでくれない。

 義経と弁慶と義仲。その三人を残して去ることには、不安もある。

 変に煽ってしまったから、何をするかわからない。

 その上、彼らがみんな、私を良く思っていないこともわかっている。

 様々な不安が渦巻くけれど、戻ることもできないから、私は自分がいるべき場所へと戻った。


 私を心配してくれているのか、戻った私に駆け寄ってきてくれる人々。

 だけどそれさえも私を不安へと呼ぶようだから、悪いけれど下がってもらい、自分の部屋に引きこもった。だれにも会いたくなかった。今はだれと会ったとしても、私は苦しくなってしまうから。

 そうしてきっと、傷付けてしまうから。

 そんなのは、そんな私は、嫌いだから。

 服や顔、手足に付いた土や葉が部屋を汚すけれど、別に構わなかった。

 頬の土に涙が混ざり、汚く零れ落ちるけれど、別に構わなかった。

 自分で掃除をすれば、迷惑にならないよね。

 そうだ。私は上に立つものになろうとしているんだ。迷惑に思われているようじゃいけない。人々に嫌われていてはいけない。このままじゃ、私は一番になんかなれない。

 でもこの状態じゃ、人と会おうにもそれは無理だろう。

 書面上の仕事なら、うん、持ってきてもらおう。

「暇だったらでいいんだけど、書類をここまで持ってきてくれないかな? 昨日は思ったよりも楽しんじゃって、遊んでばかりじゃいけないよね。仕事、きっと溜まっているよ」

「頼朝様、今日は休まれてください」

 止められるけれど、それは想定内である。

 こんな状態で帰ってきておいて、仕事をやるとか言われても、そうですかと任せられるとは思えない。

 私を体を心配しているの? それとも、私の判断力を心配しているの?

 どちらだろうね。

「手はちゃんと洗ったから、書類を汚すことはないと思う。だから少しだけ、私のわがままを聞いてはくれないかな」

 やっと弁慶と触れ合えたから、こんなにすぐに、全部を洗い流してしまうのは嫌なの。

 諦めるからといって、忘れるわけじゃない。忘れられるわけがない。

 それにこう言っておいた方が、何か理由があってのことだとわかってくれるんじゃない?

「それに……、私が休んでいる間にも、私が酒を飲んで遊んで踊って、その間にも、まちのみんなは苦しんでいる。だから私は、すぐにでも対応をしなければいけないと思うの」

 意味ありげに微笑を浮かべてみせれば、だれだって洗脳されたように言うことを聞いてくれる。

「だからお願い。平家を追い出して、義仲を追い出して、そんな私まで都のみんなを苦しめてはいけないでしょ?」

「わかりました。頼朝様がそう仰るのなら。しかし、くれぐれも無理はなさらぬように」

 こういうことは、ちゃんと上司に確認を取らなくちゃ駄目だよ? 私のわがままなんかに、そうやって簡単に騙されちゃってるようじゃ、駄目だから。

 怒られても知らないよ。

 そんなことを思いながら、私は彼が持ってきてくれた、大量の書類を受け取る。

 人任せじゃなくて、こういうのは私自身が見てこそ、民の気持ちを知れる。

 まさか、幸せになってもらいたいから、そう思っているわけではない。残念ながら、私はそんな性格をしていない。

 優しい私が顔を見せる理由はただ一つ。

 嫌われたくないから。

 個人的にそう思うところもあるけれど、やはり民衆に嫌われていては、安定した世を統治することなんてできない。

 何をするにも私の自由。苦しむことも、何に不自由することもない。

 そんな理想へ辿り着くことなどできない。

 そのためには、私の醜いところも愛してもらわないと、でしょ。

 愛する人に愛してもらえなくても、結構自信あるんだよ。愛されるのは、得意だから。

 そう考えたら、淫乱の頼朝様ってのも、正しいのかもね。

「頼朝様、御邪魔しても宜しいでしょうか」

 自嘲的な笑みを浮かべ、真面目に仕事に取り組み始めた。

 そんなところに、低く耳に心地よい声が届く。

 聞き違えるはずもない、今朝拒絶された、それでもまだ愛しい人――弁慶の声である。

 だれにも会いたくないの。それが弁慶だとしても、今は会いたくない。

「どうしたの? 入っておいでよ」

 しかし私の意思とは反して、私の声は彼を招き入れてしまう。

 一番、傷付けたくない人のことを、招き入れてしまうのだ。

 こうして強欲で身勝手な私だから、弁慶に選んでもらえないんだよね……。

「先程の御無礼を御許し下さい」

 頭を床につけて、私と同じく土に汚れた体のままで、弁慶は私に謝ってくれる。

 悪いのは私の方なのに、弁慶はここまでしてくれるのだ。

 急いでやってきたのだろう、息も切れている。

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