消えない想い 武蔵坊弁慶
宴は終わり、片付けも終わっている筈なのに、義経は一向に訪れて来なかった。
優しい彼の事だから、某に礼と労いの言葉を告げてから、自室に戻ると思った。
期待の心も混ざるのかも知れぬが、普段の義経からしたらそうするだろうと思った。だから、某は寝ずに彼を待っていたのだ。
然し、寝ている場合には起こさぬ様に、と控え目に戸を叩く音は無い。
太陽が昇り起きる頃の時間になり、其れでも義経はやって来ないので、落ち込み乍らも義経の部屋へと向かった。
其処で某は、驚愕の事実を知る。
宴の後、義経は行方不明になっているのだそうだ。
最後に義経と一緒に居たのは、頼朝様らしい。但し其の頼朝様の方も、今朝は部屋を出て来ないのだとか。
未だ眠っているだけなのかとも思ったが、部屋からは物音と呻き声の様な物が聞こえるそうなので、其方にも何かあったのだろう。
頼朝様の自室には誰も無断では入れない。
其れが頼朝様の決めた事であり、どの様な事態に在っても変わらぬ決まり。
だから頼朝様自身で部屋を出て来られぬ限りは、他は何も出来ぬとの事。
兄弟喧嘩だろうか。
頼朝様の性格からも、義経の性格からも、そうとは考え難かった。
兄は引き籠り、弟は家出。此の状況を考えれば、兄弟の間に何かが起こったとしか考えられ無かろう。
二人の性格か、今の状況か、何方を信じれば良い物か。
「本当に何処を探しても居ないのか?」
脅している心算は無いのだが、某が問えば怯えの表情で返答が来る。
所詮、某は鬼であるのだと、改めて認識させられた。
優しい義経が隣に居ないと、昔と何も変わらぬのか。某自身は、変化等して無かったのか。
「外を捜して来る。義経が見付かる迄、都の外へ、此の国の外へでも。某は必ず、義経を連れ戻す」
此の様な宣言をして、某は立派と褒められたい訳では無い。
言葉にする事で、其の誓いは胸へと焼き付くと思った。逆らえぬ、呪いにでもなりえると思った。
其の位、某の抱く義経への想いは強いのだ。
先ずは彼の行きそうな処を捜す。
普段、彼が居る処を隅から隅まで捜す。
然し当然の事乍ら、其の程度で見付かる訳が無い。
其れならば、誰も行方不明だとは言わぬ。
今の義経は行方が知れぬのだ。
誰も捜さぬ様な処に居るのだろうか。
其れでは、義経が自ら見付からぬ様にと隠れて居る事になる。又は、誘拐でもされたのか。
何にしても、意図が働き義経と会えぬと言う事になるでは無いか。
其の場合は闇雲に捜した処で、偶然義経に会えると言う確率は零に等しい。
「義経! 何処に居る! 居たら返事してくれ!」
周りの目さえも気にせず、某は義経の名を呼んだ。
其の行為が如何に危険か理解出来た筈なのに、早く義経に会いたい一心で、義経の名を呼び続けた。
如何やら人混みに紛れて居る等と言う事は無いらしく、某は人気の無い山奥へと進んで行く。
其処で、何処からか美しい笛の音が聴こえて来る事に気付く。
間違え無かろう。間違える筈が、無かろう。其れは、義経が義経の笛で奏でる音である。絶対に、そうだと言い切れる。
幾度も傍で聴いて来た、此の美しい音色。
待って居れ、義経、直ぐに行く。
音の聴こえる方向へ、某は歩みを進めて行った。
必死に耳を澄ませ、音源は何方の方向であるか、間違えぬ様に慎重に、音を立てぬ様に某は歩いた。
此の音が聴こえなくなれば、もう二度と義経には会えぬ気がして、聞き逃さぬ様にと歩いた。間違えぬ様にと歩いた。
暫く歩けば、其処には小さな小さな小屋。某の背の高さ程も無い。
如何やら、美しい笛の音は其処から聴こえて来るらしい。
窓が無いので覗き込む事も出来ぬ。出入口らしき処は有るが、其れは小さく某は潜る事も出来ぬだろう。
「お前は、武蔵坊弁慶かっ? どうやってここを嗅ぎつけやがった!」
如何した物かと悩んで居ると、不意に背後から名を呼ばれ驚き乍らも振り向いた。
此奴は確か、……義仲。源義仲では無かろうか。
何故此処に居る。殺された者と思って居たが、頼朝様は逃がしたのか?
容赦せずに処刑さえも出来る御方と思って居たが、本来の頼朝様はそうでは無いと言う事か。
何か計略に利用していると言う事も考えられるが、此れは何方なのだろうか。
頼朝様は情で動く様な方に思えぬから、何か理由が有って逃がしたのだろう。
「ただ、ここがわかっても無駄だ。残念だったな。お前の大好きな義経は、もうお前のために笑いはしない。知っているか? 奴が愛する人のこと」
殺したい。其れは禁じられた事であると、勿論、知っている。戦以外で人を殺せば、某は又恐れられる存在になるのだ。
鬼が本性を現した。とでも、言われるのだろうか。
其の様な事をしては、義経に迷惑が掛かってしまう。
其れを想って抑えるが、殴りたいと震える拳迄は抑えられぬ。
「あいつ、兄に恋してたんだぜ? ありえねぇだろ。頼朝も本気で拒絶したらしくって、そんで凹んでるんだと。信じられるかよ。自分が仕える相手が兄に恋しているとか、失望だろ」
手を出す事が許されぬのだろう。
今の某には義経が居る。此の力を守る為の力に変えてくれる、変えてくれた、義経が居る。
彼の為には斬る事等、殴る事さえ、憎き口を塞ぐ事さえ許されぬのだ。
「義経は、此処に居るのだな?」
怒りに任せて行動を起こしてはならぬ。そう、自分を抑え付ける。
出来る限り優しく、義経の優しさを想い優しく、某は問い掛ける。
「あ、ああ! そうだ! ……んだよ。…………俺が悪いとでも、言いてぇのかよ」
其の様に言う心算は無いのだが、此れは罪悪感の表れだろうか。
然し、義経が此処に居ると言う、其の情報が手に入ったのだから其れで良い。他には何も在るまい。
此の男の事はどうでも良い。
義経さえ見つかれば、其れで良い。
「大丈夫かっ?! 義経、大丈夫か?」
作りが弱いらしく、力を入れれば扉は直ぐに外れた。
中に居るであろう義経に声を掛けるが、返事は無い。体調でも悪いのか、気絶でもして居るのか、若しや義経は此の世に……。
そんな物騒な事迄考えてしまうが、其れを全て払い部屋の中を覗き込む。
其処には、確かに義経が居た。変わり果てた姿で。
青白い顔、汚れた服、乱れた髪。目は瞑っているのだろうか。小さな入口からじゃ、此の距離からじゃ、細かく見る事も出来無い。どんな表情で、美しい笛の音を奏で続けるのだろう。
慌てて駆け寄ろうとするが、小さな扉からは入れないので、小屋ごと壊してしまおうとする。
が、直ぐに思い留めた。
小屋を壊す事により、義経に危害が及んだら如何にするのだ。
義経の安全を考えたら、破壊を得策だとは言えないだろう。
「そこで何をしているの? 弁慶、義仲、二人ともどうしてこんなところに?」
自分の体の大きさを憎み義経を救う方法を考える。そんな某の下に聞こえて来たのは、奏でられる笛の音に合わせるかの様に、同じ色の美しさを纏う美声。
「頼朝っ! 俺のことは逃がしたはずだろ? 追ってきやがったのか」
某の所為なのかは知れぬが、義経は腰を抜かして座り込んでいた。其処に美声の持ち主――頼朝様が登場すると、抜けた魂が帰って来たかの様に元気を取り戻した。
……頼朝様、頼朝様?
そう言えば、頼朝様は部屋に居られた筈では。
今更其の疑問が湧き上がり振り向いて、其の姿をはっきり捉える。間違い無い、頼朝様以外の誰でも無い。
何故、此処に居らっしゃるのだろう。
「ねえ二人とも、私に教えてよ。こんな山奥、たった二人で何をしていたのさ。私に内緒の話をしていたの? 教えて」




