消えない想い 弐
まばたきさえもさせないくらい、美しさはおれを魅了した。
感動のせいか、その儚さゆえか、いつからかおれは泣いてしまっていたようだが、それも気にならない。
ただ美しく、”すべてを源頼朝に捧げなければいけない”のだと、思わせるようなはたらきもあった。
ふしぎな感覚である。
考える気力が失せていき、代わりに兄さまへの愛だけが募っていく。
「みんな、もう終わりだよ? いつまで、何を見ているのさ」
兄さまのその声に正気を戻し、もう技は終わり明かりが灯されていたことを知る。
きれいだったな。
気軽に兄とは呼べない存在、景時はそういった。その意味も、なんとなくわかるような気がするよ。
ほんとうにきれいだった。
「どうだった? 上手くできた? みんなに見せるんだから頑張らないといけないとは思ったんだけど、あまり練習に時間を取るわけにもいかなくて」
不安そうにしながら、兄さまは感想を求めている。
そのことばだけで、想像が広がった。
しごとがたくさんあって、兄さまはいつでも忙しい。
それでも、家臣を喜ばせようとがんばるんだ。しごとの合間を縫って、疲れているはずなのに練習をがんばったんだろう。
うまくいかない、難しい技。不安も多かったと思う。
だけど兄さまはより楽しませてくれようとして、高度な技にも挑戦した。
一生懸命にがんばる兄さまの姿、実際に見たわけでもないのに、目を閉じれば見えるようだった。
まじめな兄さまのことだから、たかが数日ではないだろう。どれくらいの期間をかけて、この技を仕上げたんだろう。
やっぱり、兄さまのことは尊敬する。
それに、おれが目指したものでもあるから。
戦の疲れを癒したいと、夢を見せてあげたいと、おれは武芸や学びだけではなく、笛も究めようとしたのだ。
だけどおれはいつも戦中に笛を奏でるばかりで、このような場で披露したこともない。
だれかを癒すことなどなく、自己満足に等しいものだったのかもしれない。
兄さまのように、おれはみんなに好かれる存在になんてなれないのだから。
苦い現実を生きていた。おれは自分でそう思っていたけれど、おれだけがそんな思いをしてきたわけではない。
それでも兄さまは、おれたちを癒すためにこうして技を魅せてくれた。
傷つける道具にもなりえる魔術をあえて使って、兄さまは希望を魅せてくれた。
兄さま、尊敬します。兄さま、愛おしいです。兄さま、守りたいです。兄さま、愛されたいです。
ほかのだれでもない、おれは兄さまに愛されたいのです。
それがおれの、戦う理由にもなっていました。
平和を求めるだなんてきれいごとをいいながらも、そんな理由を、そんな想いをおれは抱いていたのです。
もうしわけなくて、自分が憎くて。
それでも構わないと思えるくらいに、兄さまのことが好きになっていたのです。
「義経、大丈夫か? 酔う程も飲んでい無かろう?」
幸せに浸ろうとしていると、べんけーが心配そうにこちらを見ていることに気がついた。
「疲れていて、酔いが回り易いのでは無いか?」
おれの目を見て、べんけーは優しく問いかけてくる。
その声におれは現実へと引き戻された。
なにも、べんけーが悪いというわけではない。べんけーはおれのことを心配してくれて、おれのために優しい声をかけてくれたのだ。
だけどもうちょっと、兄さまがくれた幸せの、その余韻を楽しみたかった。
「酔っぱらったわけじゃないよ。おれったら、あまりに兄さまの技がきれいだったから、まだ興奮が収まらなくて」
そう微笑みかけてやると、べんけーは納得したように自分の席――おれのとなり、それもほかの席よりも明らかに近い――に座る。
でもこれって、べんけーも兄さまの技に美しさは感じていたってことだよね。
ただあそこまできれいな技を魅せられちゃうと、だれだって否定はできないのもたしかだろうけど。
「お酒はいらない。気持ち悪いかもしれないけど、おれ、兄さまのことを見ていたい」
べんけーなら信頼できるから。と、そんな危ない発言をし、おれは酒や料理よりも、兄さまに夢中になっていた。
いつも兄さまは美しいのだけれど、ほんとうにいつも以上に光り輝いている。
うまくいえないけれど、ほかのものになんか興味を示せないくらいに、兄さまが美しかったということだ。
飲み比べをしていた人たちが次々に潰れ寝てしまったので、兄さまが苦笑い気味に解散を宣言する。
しかしそこですぐに立ち去ってしまうわけではなく、後片付けまで手伝っているのだから、兄さまはさすがである。
そんな中でおれが帰るわけにもいかず、おれも楽しさを残す皿を、杯を、静かにまとめていった。
しかたがないので、寝てしまった人たちのことは、べんけーが部屋まで運んでくれている。
笑い声もいびきもなくなって、急に静かになった部屋には、お皿をかさねる音でさえ響いて聞こえた。
「義経、楽しくなかったの? みんなは眠るまで飲んで食って、宴を最高に楽しんでくれた。それなのに、義経は楽しくなかったのっ? 片付けなんて、今までやったこともないくせに……どうして今日に限って」
片付けをしているときには、女中さんたちがいた。それでも片付け終わるとだれもいなくなってしまい、おれと兄さまのふたりきりになる。
気づけば東の空が白んできていた。
もう宴の跡はなにも残っていなくて、きれいになった部屋の中にふたりでいると、思っていたよりもそこが広くて。
さみしくて。
でも目の前にいる兄さまは、もっとさみしそうで。
「楽しくなかったなんて、そんなわけないじゃないですか」
あんなに楽しかった。感じたこともないくらい、幸せな気持ちだった。
それなのに、兄さまに少しも伝わっていないのが悲しくて、語尾はどんどん弱くなっていってしまっていた。
「それならどうしてだっていうのさ……。料理も食べてくれなかったし、お酒も飲んでくれなかった。それともなに? 気を遣っていたつもり? ねえ、どうなのさ」
外から光が差し込んできて、兄さまの表情を隠してしまう。
怒っているの? 泣いているの? またいつものように、笑っているの?
「そんなんじゃ、ないです。おれはただ、兄さまのことが大好きで、美しい兄さまに見惚れていたくて」
恐怖からだろうか。
いいたくなかった本音まで、おれは話してしまっていた。
「義経は、嘘を吐くのが下手なんだね。まるで私の弟じゃないみたいだよ」
ひとつも信じてもらえない。
悲しくてつらくて、幸せが遠ざかってしまうような気がして、おれは兄さまのほうへと手を伸ばす。そして右手を、兄さまの左肩に触れさせようとした。
「……いやっ!」
すると兄さまの表情が、朝日の中でもわかるくらいに歪み、拒絶のことばとともに走り去ってしまった。
無意識のうちに、兄さまを傷つけるようなことをいってしまったのだろうか。
やっぱり、気持ち悪かったのかな。
どうして兄さまが、あそこまで拒絶の反応を見せたのかがわからなかった。
思いあたることがないわけではない。たった数刻ふたりでいただけなのに、理由となりえることはつらいくらいにあった。
それでもどれが、優しい兄さまの逆鱗に触れたのかわからなかった。
そもそも、兄さまは怒っているのだろうか。
怒っているのではなく、悲しんでいるだけなのかもしれない。
考えなしのおれのことばにより、兄さまの繊細な心を傷つけてしまっていたのかもしれない。
おれの恋心は、兄さまを傷つけることにしかならないと、もうわかっているはずなのに。
――消えない想い。




