#12 五年越しの約束、君の答え
三月。
春の訪れを感じさせる柔らかな風が、街路樹の枝を揺らしていた。
あの日から、三年が経った。
柊木颯太は、二十一歳になっていた。
高校を卒業してからの三年間、颯太は新しい生活の中で、さまざまな経験を重ねてきた。
進学し、環境が変わり、新しい人々と出会った。思いどおりにいかないこともあったし、自分の将来について悩んだこともあった。
それでも、颯太は前を向いて歩いてきた。
中学時代のいじめによって閉ざしていた心は、もう以前のような状態には戻らなかった。
過去を思い出すことはある。
けれど、そのたびに自分を責めることはなくなった。
自分には、自分の人生がある。
そう思えるようになったのは、間違いなく、あの人のおかげだった。
「……今日、か」
自室で身支度を整えた颯太は、机の上に置いていたスマートフォンを手に取った。
画面に表示された日付を確認する。
今日が、約束の日だった。
五年前。
未来から来た七瀬優華と出会った日から、五年。
あの日、優華は颯太の前に現れた。
突然、空間に生じた不思議な歪みから現れた彼女は、颯太の名前を知っていた。
自分が五年先の未来から来たこと。
颯太を助けたいと思っていること。
そして、中学時代に彼を助けられなかった後悔を抱えていること。
優華は、少しずつ自分の過去を語ってくれた。
颯太がいじめられていたことを知りながら、何もできなかった自分を責めていたこと。
もう一度、颯太に会って、今度こそ力になりたいと思っていたこと。
そして、二人は一緒に過去と向き合った。
颯太は、自分自身を許せるようになった。
優華もまた、長い間抱えていた後悔から解放された。
やがて優華は、自分の時代へと帰っていった。
別れ際、颯太は彼女に想いを伝えた。
「優華さん、あなたのことが好きです」
あのときの気持ちは、今も変わっていない。
優華はすぐには答えられなかった。
だからこそ、二人は約束した。
五年後、もう一度会うこと。
そのときに、優華が颯太の告白に返事をすること。
「……やっと、ここまで来たんだな」
颯太は小さく息を吐いた。
五年という時間は、決して短くなかった。
会いたいと思う日もあった。
何度も、今すぐ会いに行きたいと考えた。
それでも、颯太は約束を守るために待ち続けた。
そして今日、ようやくその日を迎えたのだ。
颯太はスマートフォンを操作し、真紀の連絡先を開いた。
高校時代から変わらず、真紀とは今も連絡を取り合っている。
卒業後、それぞれの生活が始まってからも、二人の友情が途切れることはなかった。
そして三年前。
卒業式の日に真紀から聞かされた話が、今も颯太の記憶に残っている。
真紀は、颯太の知らない七瀬優華と友達だった。
あのとき、真紀は約束してくれた。
優華を連れてくる、と。
颯太は、メッセージを打ち始めた。
『真紀、今日って時間ある?』
送信してから、スマートフォンを握ったまま返事を待つ。
数分後、画面が光った。
『あるよ。もしかして、今日のこと?』
颯太は思わず笑みを浮かべた。
『うん。約束の日だから』
すぐに返信が届いた。
『そっか。いよいよだね』
その短い言葉を見て、颯太の胸が温かくなる。
真紀も、ずっと覚えていてくれたのだ。
『優華と会えるようにするね。今日の午後、時間は大丈夫?』
『大丈夫』
『じゃあ、場所を伝えるね』
続けて、真紀から待ち合わせ場所が送られてきた。
それは、街の中心部から少し離れた、小さな公園だった。
『午後三時に、ここの入口で待ってて。優華と一緒に行くから』
颯太は、そのメッセージを何度も読み返した。
『わかった。ありがとう』
『ううん。……颯太』
最後に、真紀からもう一通メッセージが届いた。
『今日、ちゃんと伝えてきてね』
颯太は、その言葉を見つめた。
五年前の告白。
ずっと胸にしまってきた想い。
そして、今日、優華から受け取る答え。
颯太は静かに返信した。
『うん。ありがとう、真紀』
送信ボタンを押す。
スマートフォンをポケットにしまい、颯太は窓の外を見た。
空はよく晴れていた。
「……行こう」
颯太は、ゆっくりと玄関へ向かった。
今日という日を、ずっと待っていた。
* * *
午後二時五十分。
颯太は、待ち合わせ場所である公園の入口に到着した。
そこは、住宅街の中にある小さな公園だった。
入口の近くには桜の木が何本か並び、まだ満開には少し早いものの、枝先には薄紅色の花が咲き始めていた。
公園の中では、子どもたちが楽しそうに遊んでいる。
ベンチに座って話している人もいれば、犬を連れて散歩をしている人もいた。
どこにでもある、平穏な春の午後。
けれど、颯太にとっては、特別な場所だった。
ここで、優華に会う。
五年前に別れた、あの人に。
颯太は腕時計を確認した。
午後二時五十二分。
まだ、約束の時間には少し早い。
それでも、落ち着かなかった。
何を話そう。
最初に、何と言えばいいだろう。
久しぶり、と言えばいいのか。
会いたかった、と伝えればいいのか。
それとも、まずは元気だったかと尋ねるべきなのか。
「……考えすぎだろ、俺」
自分に言い聞かせるように呟く。
五年前、優華と出会ったときもそうだった。
突然現れた彼女に驚き、何が起きているのか理解できず、戸惑うばかりだった。
それでも、彼女と過ごす時間の中で、少しずつ心を開いていった。
あの時間があったからこそ、今の自分がいる。
だからこそ、再会できることが嬉しかった。
どんな答えをもらうことになっても、優華にもう一度会えること自体が、颯太にとって大切だった。
午後二時五十八分。
公園の入口を見つめていると、遠くから二人の女性が歩いてくるのが見えた。
一人は、見慣れた姿だった。
「……真紀」
遠野真紀。
高校を卒業してからも、颯太の大切な友人であり続けてくれた人。
そして、その隣にいる女性。
颯太は、その姿を見た瞬間、息を呑んだ。
長い髪。
穏やかな目元。
少し緊張したような表情。
五年前に見た姿と、ほとんど変わらない。
いや、変わっていないように見えた。
二十一歳になった颯太と、同じ二十一歳の女性。
けれど、颯太にとって彼女は、五年前のあの日からずっと、心の中にいた人だった。
「……優華さん」
思わず、その名前が口からこぼれた。
女性が顔を上げる。
視線が合った。
一瞬、彼女の足が止まった。
それから、ゆっくりと目を見開く。
「……颯太、くん?」
その声を聞いた瞬間、颯太の中で、五年前の記憶が鮮やかによみがえった。
初めて会った日のこと。
一緒に街を歩いたこと。
過去の恐怖に震えていた自分のそばに、優華がいてくれたこと。
自分の気持ちを打ち明けたこと。
そして、別れ際に交わした約束。
どれも、忘れたことはなかった。
「……はい」
颯太は、ゆっくりと頷いた。
「久しぶりです、優華さん」
優華は、すぐには言葉を返さなかった。
ただ、颯太の顔を見つめていた。
まるで、本当に目の前にいるのか、確かめるように。
やがて、その表情が少しずつ柔らかくなっていく。
「……本当に、大きくなったね」
その言葉に、颯太は思わず笑った。
「もう二十一歳ですから」
「そうだよね……。私と同じ年になったんだね」
「はい」
五年前、颯太にとって優華は、ずっと年上の女性だった。
自分よりも多くの経験をしていて、自分が知らない未来を生きている人。
けれど、今は違う。
二人は同じ二十一歳になった。
同じ時間を生きる、一人の大人同士になったのだ。
優華は、少しだけ照れくさそうに笑った。
「……なんだか、不思議な感じ」
「俺もです」
「五年って、長いようで……あっという間だったね」
「そうですね」
二人は、しばらく互いの顔を見つめていた。
言いたいことは、たくさんあった。
聞きたいことも、たくさんあった。
それでも、最初に出てきた言葉は、どちらも簡単なものだった。
「……元気でしたか?」
颯太が尋ねると、優華は微笑んだ。
「うん。元気だったよ。颯太くんは?」
「俺も、元気です」
「そっか……よかった」
優華の目元が、少しだけ潤んだ。
颯太は、その表情を見て、胸の奥が熱くなるのを感じた。
本当に、会えたのだ。
ずっと待っていた人に。
もう一度会うと約束した人に。
「……優華さん」
「うん?」
「会いたかったです」
飾らない、まっすぐな言葉だった。
優華は一瞬、驚いたように目を見開いた。
そして、唇を震わせながら、小さく笑った。
「……うん」
声が、少しだけ震えていた。
「私も……会いたかった」
その言葉を聞いた瞬間、颯太は胸の奥に溜まっていたものが、少しだけほどけていくのを感じた。
五年間、ずっと会いたいと思っていた。
その想いは、決して自分だけのものではなかったのだ。
* * *
二人の再会を見届けていた真紀は、少し離れた場所で静かに微笑んでいた。
颯太が優華の姿を見つけた瞬間の表情。
優華が颯太の名前を呼んだときの声。
そして、二人が「会いたかった」と伝え合ったときの、どこかほっとしたような顔。
そのすべてを見て、真紀は心から安心していた。
三年前、卒業式の日。
颯太から優華に会いたいと言われたとき、真紀はすぐに協力すると決めた。
颯太がずっと大切にしている人。
五年後に会うと約束した人。
真紀自身が颯太を好きだったからこそ、彼がどれほどその人を想っているのか、痛いほどわかっていた。
もちろん、何も感じなかったわけではない。
かつて、自分も颯太に想いを伝えた。
その返事が、望んでいたものではなかったときは、悲しかった。
けれど、颯太の気持ちを無理に変えさせたいとは思わなかった。
彼が誰を想っているのか。
誰に会いたいと願っているのか。
それを知ったからこそ、真紀は彼の選択を尊重したかった。
そして今日。
二人は、ようやく再会した。
「……よかったね、颯太」
真紀は、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
二人の間には、まだ伝えなければならないことがある。
五年前の告白。
その答え。
そして、これからのこと。
そこから先は、自分が立ち入る場所ではない。
真紀は、二人に気づかれないように、ゆっくりと後ろへ下がった。
もう少しだけ、二人きりで話せるように。
「……あとは、二人でね」
そう呟いて、真紀は静かにその場を離れた。
振り返ることはしなかった。
颯太が幸せになること。
それが、真紀の願いだったから。
たとえ、その隣にいるのが自分ではなくても。
* * *
公園の入口から少し歩いたところに、桜の木が並ぶ小道があった。
優華と颯太は、その道をゆっくりと歩いていた。
真紀がいつの間にかいなくなったことに気づいたのは、少ししてからだった。
「あれ……真紀は?」
颯太が周囲を見回す。
優華は、そっと微笑んだ。
「さっき、少し離れていったよ」
「そうだったんですか……」
「たぶん、私たちに気を遣ってくれたんだと思う」
「……そうですね」
真紀らしいと思った。
いつも周りのことを考え、誰かが困っていたら手を差し伸べてくれる。
颯太にとって、真紀もまた大切な人だった。
「あとで、ちゃんとお礼を言わないとな」
「うん。私からも伝えておくね」
そう話しながら、二人は小道の先にあるベンチへと向かった。
ベンチのそばには、一本の桜の木が立っていた。
枝先には、淡い色の花がいくつも開き始めている。
優華はその木を見上げた。
「きれいだね」
「そうですね」
「五年前に会ったときも、こんなふうに春だったよね」
「はい。あの日のことは、今でもよく覚えています」
颯太は、少しだけ懐かしそうに笑った。
「突然、空間が歪んで……そこから優華さんが現れたんですから」
「……あのときは、私も必死だったんだよ」
「今考えても、信じられない出来事でした」
「私だって、まさか本当に颯太くんに会えるとは思っていなかったよ」
優華は、少しだけ視線を落とした。
「でも……会えてよかった」
その声には、五年前と同じ優しさがあった。
颯太は頷いた。
「俺もです」
二人はベンチに腰を下ろした。
しばらく、穏やかな沈黙が流れた。
公園の中から、子どもたちの笑い声が聞こえてくる。
風が吹き、桜の花びらが一枚、二人の前を通り過ぎていった。
やがて、颯太は静かに口を開いた。
「……優華さん」
「うん?」
「覚えていますか?」
優華は、颯太の顔を見つめた。
「何を?」
「五年前、俺が……優華さんに告白したこと」
その瞬間、優華の表情が変わった。
驚いたわけではない。
むしろ、ずっとその言葉を待っていたかのように、ゆっくりと目を伏せた。
「……もちろん」
小さな声だった。
「忘れるわけ、ないよ」
颯太は、静かに息を吸った。
ずっと聞きたかった。
ずっと、確かめたかった。
五年前、自分が伝えた想いを、優華はどう受け止めていたのか。
あのとき、なぜ答えを出せなかったのか。
そして、今はどう思っているのか。
「……あのとき、俺は優華さんに好きだって伝えました」
「うん」
「優華さんは、五年後に返事をするって言ってくれた」
「……うん」
「だから、俺はずっと待っていました」
颯太は、優華から目を逸らさなかった。
「この日を、ずっと」
優華の目に、涙が浮かんだ。
五年前の別れ際。
颯太から告白されたとき、優華はすぐに答えることができなかった。
彼のことを大切に思っていた。
彼が苦しんでいた時間を知っていた。
そして、彼が少しずつ前に進んでいく姿を、すぐそばで見てきた。
けれど、当時の自分は、未来から来た人間だった。
いつか帰らなければならない。
自分がここにいたことで、何が変わるのかもわからない。
そんな状態で、彼の気持ちに答えることが、本当に正しいのか。
自分の想いが、彼の未来を縛ってしまうことにはならないのか。
さまざまな思いが重なり、答えを出すことができなかった。
だからこそ、五年後という時間を約束した。
颯太が自分と同じ二十一歳になったとき。
もう一度、同じ時間を生きる人間として会えたとき。
そのときには、逃げずに答えようと決めていた。
優華は、ゆっくりと顔を上げた。
「……颯太くん」
「はい」
「五年前、私が未来から来たとき……私は、たくさんの後悔を抱えていたの」
颯太は黙って頷いた。
「颯太くんを助けられなかったこと。あのとき、何もできなかった自分のこと。ずっと、許せなかった」
優華の声は、少しずつ震えていった。
「でも、颯太くんと一緒に過ごすうちに、私も変わることができた。颯太くんが自分を責めるのをやめて、少しずつ前に進んでいく姿を見て……私も、過去だけを見て生きるのはやめようって思えたの」
「……はい」
「だから、あの日、元の時間に戻ることになったとき……本当は、すごく寂しかった」
優華は、涙をこぼさないように、そっと目元に力を込めた。
「颯太くんと離れたくなかった。もっと一緒にいたかった。……でも、私は帰らなきゃいけなかった」
「……優華さん」
「それに、颯太くんの気持ちに、あのときの私がすぐに答えていいのかもわからなかった。私自身、まだ自分の未来を決められていなかったから」
優華は、小さく笑った。
「だから、五年後にもう一度会おうって約束したの」
颯太は、その言葉を静かに受け止めた。
彼女が、どれほど悩んでいたのか。
どれほど真剣に、自分の気持ちと向き合っていたのか。
今になって、ようやく理解できた気がした。
「……そして、今日」
優華は、颯太の目をまっすぐに見つめた。
「今日、私は颯太くんに返事をするために、ここに来たの」
颯太の心臓が、大きく跳ねた。
五年間、待ち続けてきた瞬間。
とうとう、そのときが来たのだ。
優華は、そっと胸元に手を添えた。
そして、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「颯太くん」
「……はい」
「五年前、あなたが私に好きだって伝えてくれたとき……本当に嬉しかった」
颯太は、何も言わずに彼女の言葉を聞いていた。
「私も、颯太くんのことを大切に思っていたから。あなたが前に進めるようになっていく姿を見て、何度も嬉しくなった。あなたが笑ってくれることが、私にとっても幸せだった」
優華の目から、一粒の涙がこぼれた。
「そして、あなたが元気でいてくれることを、ずっと願っていた」
彼女は、涙を拭いながら微笑んだ。
「でも、それだけじゃなかった」
颯太は、息を止めるようにして、次の言葉を待った。
優華は、少しだけ頬を赤くしながら、まっすぐに彼を見つめた。
「颯太くんに、また会いたいと思っていた」
「……」
「あなたと、もう一度話したい。あなたがどんなふうに生きてきたのか、知りたい。これから、どんな未来を歩いていくのか、一緒に考えたいって……そう思っていたの」
声が、少しだけ震えた。
それでも、優華は最後まで言葉を止めなかった。
「五年前、あなたに告白されたとき、私はすぐに答えられなかった。でも、五年という時間を過ごして、ようやく自分の気持ちがわかったの」
優華は、颯太の手元へ視線を落とした。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
「……私も、颯太くんが好きです」
その瞬間。
颯太の胸の奥で、長い間張り詰めていたものが、静かにほどけていった。
「……っ」
言葉が出なかった。
何度も想像した答えだった。
けれど、実際に本人の口から聞くと、何もかもが違っていた。
優華が、自分を好きだと言ってくれた。
五年前に伝えた想いが、今、ようやく届いたのだ。
「……本当に?」
思わず、そんな言葉が口からこぼれた。
優華は、涙を浮かべたまま笑った。
「うん。本当だよ」
「……俺のことを?」
「そう。颯太くんのこと」
「……ずっと、待ってたんです」
颯太の声も、震えていた。
「この日が来るのを、ずっと……」
優華は、そっと頷いた。
「うん。待たせて、ごめんね」
「謝らないでください」
颯太は、首を横に振った。
「俺が、待ちたかったんです。優華さんの答えを、ちゃんと聞きたかったから」
その言葉に、優華は静かに微笑んだ。
「……ありがとう」
颯太は、少しだけ迷ったあと、そっと手を差し出した。
「……優華さん」
「うん?」
「これからも、俺と一緒にいてくれませんか」
それは、五年前の告白とは少し違う言葉だった。
あのときは、ただ好きだという気持ちを伝えた。
けれど、今は違う。
これから先の未来を、彼女と一緒に歩いていきたい。
嬉しいことも、悲しいことも。
悩むことも、迷うことも。
二人で話し合いながら、少しずつ進んでいきたい。
颯太は、そう願っていた。
優華は差し出された手を見つめたあと、ゆっくりと自分の手を重ねた。
「……はい」
涙を浮かべながら、彼女は笑った。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
二人の手が、しっかりと重なった。
その温もりを感じながら、颯太は目を閉じた。
五年前、優華と出会った日。
彼女は、過去への後悔を抱えていた。
そして自分もまた、過去に縛られていた。
けれど、二人で過ごした時間が、それぞれの心を変えてくれた。
優華は後悔から解放され、颯太は自分自身を許せるようになった。
そして五年後。
二人は、再び同じ場所に立っている。
もう、未来から来た人と、過去に傷ついた少年ではない。
同じ二十一歳の、二人の人間として。
これから先の未来を、一緒に歩いていくために。
「……優華さん」
「なに?」
「もう、離れたくないです」
その言葉に、優華は少し驚いたあと、優しく笑った。
「うん。今度は、同じ時間を生きているから」
颯太は頷いた。
「……はい」
優華は、重ねた手にそっと力を込めた。
「だから、これからは一緒にいようね」
春の風が、二人の間を吹き抜けていった。
桜の花びらが、ゆっくりと舞い落ちる。
五年間、胸に抱き続けた約束。
その約束は、ようやく二人の未来へと変わった。
* * *
公園から少し離れた道。
真紀は、ゆっくりと歩いていた。
二人がいる場所からは、もう姿が見えない。
真紀は一度だけ足を止め、後ろを振り返った。
「……よかった」
小さく呟いた声は、春の風に溶けていった。
胸の奥には、ほんの少しだけ寂しさが残っていた。
颯太のことを好きだった気持ちは、すぐになくなるものではない。
あの頃、彼が笑ってくれるだけで嬉しかった。
彼が少しずつ心を開いてくれたとき、自分もその変化をそばで見守りたいと思った。
そして、一度は想いを伝えた。
その答えが、自分の望んだものではなかったとしても。
真紀は、颯太を好きになったことを後悔していなかった。
彼と友達になれたこと。
彼が自分に心を開いてくれたこと。
そして、彼の大切な人との再会を手伝えたこと。
それらは、真紀にとって大切な思い出だった。
「……私も、前に進まなきゃね」
真紀は、空を見上げた。
薄い雲の向こうに、春の日差しが広がっている。
これから先、自分にも新しい出会いがあるかもしれない。
誰かを好きになる日が、また来るかもしれない。
今はまだ、わからない。
けれど、いつか自分自身の幸せを見つけられたらいい。
颯太が、自分の気持ちを大切にしてくれたように。
自分もまた、自分の気持ちを大切にして生きていこう。
真紀は、もう一度だけ微笑んだ。
「……おめでとう、颯太」
今度は、少しだけはっきりと。
それから真紀は、前を向いて歩き始めた。
二人の未来を邪魔しないように。
そして、自分自身の未来へ進むために。
* * *
夕方。
公園の桜は、夕日に照らされて淡い桃色に輝いていた。
颯太と優華は、まだベンチに座っていた。
五年間の空白を埋めるように、二人はたくさんの話をした。
颯太がどんな学生生活を送ってきたのか。
卒業後、どんな道を選んだのか。
優華がこの五年間、どんなことを考えながら過ごしてきたのか。
未来での出来事を、すべてそのまま話せるわけではない。
それでも、今の二人が共有できる思い出は、これから少しずつ増やしていけばいい。
「……五年前の私が、今の私を見たら驚くだろうな」
優華が、ふと呟いた。
「どうしてですか?」
「だって、未来から来たときの私は、こんなふうに誰かと一緒に未来を歩いていくなんて、考えられなかったから」
颯太は、静かに彼女を見つめた。
「……俺もです」
「颯太くんも?」
「はい。あの頃は、未来のことなんて考えられませんでした。過去のことで頭がいっぱいで、自分がどうしたいのかも、よくわからなかった」
颯太は、少しだけ笑った。
「でも、優華さんと出会ってから、変わりました」
「……うん」
「だから、今度は俺が、優華さんの力になりたいです」
優華は、目を見開いた。
颯太は続けた。
「優華さんがこれから悩むことがあったら、話を聞きたい。嬉しいことがあったら、一緒に喜びたい。……俺ばかり助けてもらうんじゃなくて、今度は俺も、優華さんのそばにいたいんです」
優華は、しばらく言葉を失っていた。
やがて、ゆっくりと微笑んだ。
「……ありがとう、颯太くん」
その声は、穏やかだった。
「でもね、私も同じことを思っているよ」
「……え?」
「颯太くんが困ったときは、私もそばにいたい。楽しいことも、つらいことも、一緒に分かち合いたい」
優華は、颯太の手を握り直した。
「これからは、お互いに支え合っていこうね」
颯太は、笑顔で頷いた。
「……はい」
夕日が、ゆっくりと街の向こうへ沈んでいく。
五年前、二人はそれぞれの後悔を抱えていた。
そして今、二人は新しい未来を手に入れた。
過去は消えない。
時間を戻して、すべてをやり直すこともできない。
それでも、人は過去を抱えながら、未来へ進んでいくことができる。
あの日、出会ったから。
あの日、互いの気持ちに触れたから。
そして、五年後の今日、もう一度出会えたから。
颯太は、隣にいる優華を見つめた。
「……優華さん」
「なに?」
「これからも、よろしくお願いします」
優華は、優しく笑った。
「うん。こちらこそ」
二人は、手をつないだまま、ゆっくりと立ち上がった。
これから、どんな日々が待っているのかはわからない。
いつか、意見が合わなくなることもあるだろう。
思いどおりにいかないことも、きっとある。
それでも、二人なら、話し合いながら進んでいける。
かつて、未来から来た少女が、過去に傷ついた少年を救おうとしたように。
今度は、二人で、二人自身の未来をつくっていくのだ。
「……帰りましょうか」
颯太が言うと、優華は頷いた。
「うん」
春の夕暮れの中、二人は並んで歩き始めた。
その先にあるのは、もう約束だけの未来ではない。
これから二人で過ごしていく、確かな時間だった。
五年越しの約束は、果たされた。
そして――。
二人の本当の物語は、ここから始まる。




