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はじめましてを何度でも  作者: ぽんた7
プロローグ
1/34

消失の夜


「ここじゃないの。わたし、行かなくちゃ。」


 そう言って、百合子の輪郭が激しくブレた。

 そのまま、すっと健二の目の前で彼女は夜の闇に溶けて消えた。いきなりの非日常な出来事に、驚きで何もできない。しばし立ち尽くす。


---


 東京都練馬区、大泉学園町。

 早春のその夜、近所の中学生である西野健二は、受験も終わって最後の学習塾から帰る途中だった。もう勉強は無く、簡単なお別れ会的な集まりだけ。二年間通って先生やクラスメイトにも愛着が出てきていたが、所詮は塾。お世辞にも豪華とは言えない会で、あっさりした終わりだった。


 帰り道には小さな公園があり、細い道路に沿った狭い土地に申し訳程度の遊具がある。ブランコ、鉄棒、半分埋まったタイヤ二個。公園の設置が法律で義務づけられているから仕方なしに作りましたよ、と言わんばかりのもので、ボール遊びは勿論鬼ごっこも隠れんぼも出来ない。生まれてからずっと近所に住んでるが、遊んだ記憶は数えるほどしかない。大抵は誰もいない公園だ。大昔はここに大泉の村役場があったらしいが、今ではちっこい碑が建ってるだけだ。


 しかし、その日は一人先客がいた。

 早川百合子、同じクラスの同級生。幼稚園の頃からのご近所さんで、いわゆる幼なじみって奴だ。背丈は小さめ、毛先が少し不揃いなおかっぱ頭が夜風に揺れている。その下には色白でも色黒でもないごく普通の日本人肌。顔立ちはまあ悪くはないが美形という程でもない。誰に見せても平凡な子供、と言いそうな地味な見た目だ。


 そんな彼女が暗い街灯に照らされて、錆びたブランコに漕ぐでも無くうつむいて座っている。制服のままだ。彼女の家も近所なので、ここにいること自体はおかしくない。しかしそろそろ夜も7時を過ぎ、中学生が公園に一人だけでいるにはちょっと遅い時刻だ。いったいどうしたんだろう、と健二はいぶかしむ。卒業で柄にもなく憂鬱な気分にでもなったか?


 家では夕飯が待っている。そのまま通り過ぎても良かったが、この日は妙に気になった。公園に入り、ブランコの彼女に近づく。


「百合子? こんな時間に何してんだよ」


 うつむいていた百合子が健二に気づいて顔を上げた。


「健ちゃん、塾? お疲れ様」


 彼女は無表情な、感情の抜けた顔で健二を見る。どこか遠くから響いてるようなその声。辛そうだったり悲しそうだったりしているのを予想していた彼は逆に驚いた。彼女のこんな表情は見た事がない。違和感がこみ上げる。その何も読み取れない表情に、健二は何を言ったら良いのか分からなかった。


「あのね、私、私じゃなかったみたい」


 ? 何を言っているのか全く分からない。普段の彼女と様子があまりに違う事に戸惑う。


「どういうこと? いつもの百合子だろ?」


 百合子はうっすら微笑みを浮かべ、健二の袖をつまんだ。


「そうかな。そうかも。でもね健ちゃん。私がいるのはね、」


 彼女のまわりに、陽炎のような薄いもやが立ち始めた。


「ここじゃないの。わたし、行かなくちゃ。」


 百合子はそう言うと、彼女と陽炎が混じり合い、輪郭がデジタルノイズのように激しくブレる。


「お、おい、百合子……?」


 伸ばした健二の指先が、彼女のセーラー服をすり抜けた。冷たい夜の空気しか掴めない。

 驚愕に固まる健二を見て、彼女は最後に、この世のものとは思えないほど無邪気に微笑んだ。


「にぱっ」


 擬音をつけるなら、まさにそれ。

 それが、健二の知る『日常』の最後の一幕だった。


 己が目を疑う。しばし唖然と立ち尽くす。ブランコは少しだけ揺れていて錆びの擦れる音がする。それだけが載っていた重量の名残を示している。


 健二には今見た事が信じられない。誰かに知らせる? 百合子の家に言いに行く? いいや、信じてくれるはずがない。現に健二自身が自分を疑っている。夜に女の子の家を訪ねる勇気もない。


 健二はしばし考え込む。完全な無表情からあの笑顔。訳分からない。が、結局見なかった事にして帰宅した。夢だ、と思い込もうとする。完全に中学生の判断の限度を超えていた。


---


 次の日。健二の見たのが夢ではなかったのを証明するかのように、百合子は実際に行方不明になっていた。百合子の家は捜索願を出したが手がかりは皆無。どこの防犯カメラにも映っておらず、財布とスマホは家で発見された。その事からも家出は考えづらく誘拐を疑う状況だったが、捜査は遅々として進まなかった。しばらくの間報道もされて世間の注目もそれなりに集めていたが、それだけ。次第に忘れられていった。


 真実を知るのは健二だけだったが、目撃した事を言う勇気は無かった。当日夜間に外出していた事で事情徴収もされたが「知らない」で通す事ができた。嘘をついている事への後ろめたさはあったが、それ以上に自分の目撃自体を信用できなかった。荒唐無稽にも程がある。そもそも何処に行ってしまったのか分からない。言ったところで妄想扱いされて終わりだろう。


 そうして時だけが過ぎていった。世間はそれを「未解決の失踪事件」として処理し、やがて忘れられていった。日常が戻った。俺の心には固いしこりが残っていて、ふとした弾みに思い出し感情を傷つける日々だった。



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