第四十七話 止まる共鳴
第四十七話!
楽しんで!
東野村で手に入れた、少し土の匂いのする厚手の毛布。それを八歳の僕と三歳のシンで半分ずつ分け合い、夜の砂漠を黙々と歩いていた。
【再構築】という、世界の理を書き換えるチート能力を失った今の僕にとって、砂漠の砂を一歩踏みしめる行為は、純粋な肉体的疲労として足腰に跳ね返ってくる。
八歳の少年の身体はすぐに悲鳴を上げそうになったが、隣を歩く誠の小さな歩幅に合わせて歩くこの時間は、前世の研究所で遅くまで白衣を並べていた頃のような、どこか懐かしい安心感があった。
「……はぁ、はぁ。……医学的に見て、この夜間行軍は幼児の筋肉に致命的な乳酸を溜め込ませるよ。僕の計算だと、明日の朝には重度の筋肉痛で一歩も動けなくなるね」
三歳の短い脚を必死に動かしながら、誠がいつもの調子で生意気な毒口を叩く。その小さな両手には、東野村の物置から奪還したばかりの薬品のフラスコが、割れないように大切に抱えられていた。
「文句を言うなよ、誠。僕たちは魔法という理不尽に消された三千人の命の重さを背負っているんだ。……それに、早く僕の第二の故郷である『北の村』に戻りさえすれば、僕が隠しておいた資材がある。リビルドがなくても、あそこを拠点にすれば次の牙――『魔力腐食薬』の本格的な精製プラントだって、いくらでも組み立ててみせるさ」
「……ふん、頼りにしてるよ、天才工学者(一ノ瀬君)。僕の調合した劇薬を、最高に効率よくばら撒く兵器を作ってよね」
「もちろん、、僕の化学は人を助ける化学だ」
そんな軽口を叩き合っていると、地平線の向こう、冷たい月明かりの中に、見慣れた『北の村』の輪郭がうっすらと浮かび上がってきた。
木々がまばらに生え、砂漠の終わりを告げる穏やかな土地。あそこへ帰れば、僕たちの反撃のための『共同研究』が、本当の意味で再開できる。
「見えたよ、誠。あそこが、僕たちの新しいラボだ。誠は初めて見るね」
「うん。……あそこに行けば、まずは――」
誠が、言葉を途中で止めた。
三歳の小さな身体が、ピクリと硬直する。誠は首から下げたレンズを小さな手で構え、周囲の砂丘の影を鋭く見つめた。
「……どうした、誠?」
「……おかしい。風の音が、完全に消えた。気圧の急激な変化じゃない。これは……周囲の『媒体』が、何か別のエネルギーに固定されている……!」
医学者であり、戦場を生き抜いた誠の直感が、最大級の警戒を告げていた。 だが、遅すぎた。
僕たちの周囲の空間から、音が、完全に消失した。
風さえも静止した、不自然な、生物の生存を拒絶するような絶対的な無音。
「……気のせい、かな。医学的な疲労による、ただの幻聴だといいんだけど――」
誠がそう言って、僕の方へ振り返ろうとした、まさにその瞬間だった。
――――ズブシュッ!!!
暗闇の静寂を切り裂いて響いたのは、鋭利な刃が、柔らかい肉を、そして幼い骨を容赦なく突き刺し、貫通する生々しい『肉体の破壊音』だった。
「……え?」
僕の目の前で。
三歳になったばかりの、誠の小さな胸の真ん中から。
不気味な黒紫色の光を放つ、魔力の槍の先端が、ドロリとした鮮烈な赤色――誠自身の鮮血を伴って、無慈悲に突き出していた。
「あ……、が…………っ、ぇ……?」
誠の瞳から、急速に知性の光が失われていく。
あんなに大事そうに抱えていた薬品のフラスコが、指先から力なく零れ落ち、砂の上で虚しく粉々に砕け散った。緑色の腐食液が、誠の流した血と混ざり合い、ジュウジュウと音を立てて砂を汚していく。
誠の小さな身体が、前に向かって、糸が切れた人形のように崩れ落ちる。
「誠――――――――――ッ!!!!」
八歳の僕の絶決が、夜の砂漠に木霊した。
駆け寄り、地面に倒れた誠を抱き起こす。その服は、みるみるうちに背中と胸から溢れ出す大量の血で真っ赤に染まっていく。心拍数が急速に低下し、呼吸が浅くなっていくのが、医者じゃない僕の手にさえ伝わってきた。
笑わせるな。
ハッピーバースデーをやり直したばかりだろ。
僕が魔袋を暴走させた時、君は命懸けで僕を救ってくれたじゃないか。
なのに、どうして、今度は君がそんな風に壊されなきゃいけないんだ。
不気味なほどの、無音。
足音すら立てず、砂煙の向こう側から、ゆっくりと姿を現す影。
それは、教会の聖騎士団でもなければ、東野村の住人でもない。魔王が、この世界の理不尽が、僕たちを完全に消去するために差し向けた、冷徹なる人外の刺客だった。
「待っていろ、誠……! 誠が死んでも、僕が、絶対に君を蘇生してやる……!」
僕は、血に染まる三歳の親友を抱きしめながら、まだ見ぬ敵の影を、涙で歪む瞳で激しく睨みつけた。
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