第三十七話 生命の点火(IGNITION)
第三十七話!
絶対零度の空気の中でシンはどう対抗する!?
楽しんで!
世界が白く、そして静かに死に絶えていく。
零が放った「絶対零度」の支配下では、もはや空気さえもが僕の敵だった。
吸い込もうとした大気は肺に入る前に氷の微粒子へと変質し、肺胞を内側からズタズタに引き裂いていく。吐息は白く凍る暇さえなく、結晶となって足元に落ちた。
二歳の未発達な身体は、もはや体温を維持する機能を放棄し始めている。医学者としての僕の脳が、指先から順番に「死」が浸食してくる感覚を、皮肉なほど冷静に実況していた。
「……あ……が……っ」
視界が白く濁る。角膜までもが凍りつこうとしているのだ。
目の前では、青い髪を振り乱した親友が、壊れた機械のように「ヒヒッ」と笑い声を上げ続けている。あいつの周囲では、物理法則そのものが悲鳴を上げ、エントロピーがゼロへと収束していく死の光景。
(笑わせるなよ、零……。君が作った『名前と同じ世界』を、僕が今から、前世の最も原始的な火でデバッグしてやる)
僕は感覚の消えた指先を、死に物狂いでポーチへと突っ込んだ。取り出したのは、二つの小瓶。
一つには、摩擦や衝撃に極めて敏感な『赤リン(P₄)』。
もう一つには、強力な酸化剤であり、酸素を供給する爆薬の原料にもなる『塩素酸カリウム(KClO₃)』だ。
「……いいかい、零。これは魔法じゃない。ただの猛烈な化学結合だ!」
僕は、凍りついて千切れそうな右手の力を振り絞り、二つの薬品を零の魔力障壁の『歪み(ノード)』に向けて叩きつけた。
二つの物質が接触した瞬間、そこはもはや絶対零度の静寂ではいられなくなった。
塩素酸カリウムが衝撃によって分解され、高濃度の酸素を瞬時に放出する。その酸素を餌に、赤リンが爆発的な酸化反応を開始した。
――ドォォォォォォォォォン!!
絶対零度の空間では、空気の分子運動が止まっている。そこへ突如として、数千度の熱量を持ったガスが爆発的に生成されたのだ。
熱力学の法則が、凍りついた空間を無理やりこじ開ける。大気が急激に膨張し、真空を食い破る凄まじい衝撃波が、零の絶対零度の結界を内側から粉砕した。
白一色だった世界に、鮮烈な「赤」と「オレンジ」の火柱が立ち上がる。
マッチの頭薬と同じ原理。しかし、それを純粋な試薬として、絶対零度の極限下で反応させたその威力は、魔法の盾さえも融解させる「科学の牙」だった。
「零!!」
僕は爆風を背に受け、火のトンネルの中を突き進んだ。
二歳の身体が、背後からの熱と前方からの絶対零度の板挟みになり、悲鳴を上げる。皮膚は焼け、肉は凍り、神経はショート寸前。だが、僕はレンズ越しに、爆炎の向こう側で立ち尽くす零の胸元――あの日、二人の誕生日に別れたときから僕が狙い続けてきた、あの不完全な魔袋を、はっきりと捉えていた。
爆煙を切り裂き、僕は零の懐へと飛び込む。
至近距離で見る零の顔。
鼻から血を流し、笑い声を上げ続けながらも、その瞳の奥には、確かに僕の姿が映っていた。
「……ヒ、ヒッ…………はっは!!」
僕は泣きながら、右手に隠し持っていた医療用ナイフを逆手に構えた。
「ハッピーバースデー、零。……君のバグだらけの心臓、僕が今、止めてあげるよ」
二歳の医学者が放つ、一世一代の『執刀』。
絶対零度を焼き切った炎の中で、僕の決着のナイフが、親友の胸へと吸い込まれていった。
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