第二十六話 孤独の産声
第二十六話!
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紫色の光が収束し、視界が夜の闇へと戻る。
そこには、もう零の姿はなかった。
漂うオゾンのような魔法の残香と、静まり返った森の気配。そして、僕の震える小さな呼吸だけが、場違いに響いていた。
「……っ、あ…………」
声にならない悲鳴が喉を駆け巡る。
一歳という肉体は、感情の昂りにあまりに脆弱だ。肺が痙攣し、視界が涙で歪む。
(まただ。……また、同じ人を、二回も……!)
前世のあの日の記憶が、今の絶望に重なり合う。
爆発する研究所、崩れ落ちる天井。伸ばした僕の手をすり抜けて、炎の中に消えていった親友。
あの時から五年。僕は彼を救えなかった後悔を胸に、戦地の泥にまみれて医学に没頭してきた。そしてこの世界へ転生し、ようやく彼に再会できたというのに。
誕生日の夜。僕の指先は、またしても彼の服をかすめただけで終わってしまった。
「救えなかった……っ、僕は……何をやってるんだ……!」
二歳の小さな拳で地面を叩く。柔らかい腐葉土が、僕の無力さをあざ笑うかのように拳を包み込んだ。
医学者としての冷徹なシミュレーションが、暗闇の中から残酷な答えを弾き出す。
あのテレポートを仕掛けたのは、この神殿を統括する管理システム、あるいはその上位にいる『魔王』の遺志だ。その転送先に待ち受けているのは、今の零の実力では生存率一五パーセントにも満たない絶望的な戦場。
その時、泥の中に光るものを見つけた。
零が消えゆく直前、僕に投げ捨てたもの。リビルド(再構築)で丹念に磨き上げられた、高純度の『光学レンズ』だ。
僕への、一歳と前世の分を合わせた誕生日プレゼント。
「……っ、あぁ……。ハッピーバースデー、零……。なんて、笑えない冗談だよ、本当に……」
僕は震える手でそのレンズを拾い上げ、濡れた布で泥を拭った。
レンズ越しに夜空を見上げると、歪みのない月光が瞳を刺す。その無機質な輝きが、僕の脳内にあったパニックという名の『ノイズ』を、一瞬でデバッグ(修正)した。
「……泣いている時間は、ないね。医学的に見て、一歳児の水分損失は致命傷になりかねない」
僕はぐいと涙を拭い、立ち上がった。
二歳の子供が一人で夜の森を抜け、文明圏に辿り着くのは不可能に近い。普通なら、数時間もしないうちに野獣の餌か、低体温症で動かなくなるだろう。
だが、僕は『普通の子供』ではない。
一ノ瀬零が世界を物理的に解体する『牙』なら、僕は生命を理詰めで救い上げる『楔』だ。
「待っていろよ、零。あんなバグだらけの魔法に、君を殺させたりしない。……君を救うための『最強の特効薬』を、僕がこの手で作ってみせる。……次は、絶対に離さない」
僕は零から贈られたレンズを、リビルドした簡易的な単眼鏡のフレームにはめ込んだ。
視界が拡張される。
暗闇の中でも、植物が発する微細な毒性の胞子、魔獣が踏みしめた土の圧密の変化、風に乗って流れてくる腐敗臭。そのすべてが、医学的・生物学的な『データ』となって僕の脳に流れ込んでくる。
「……まずは、この脆弱な肉体を維持するためのリソース(栄養)と、身を守るための『劇薬』の調達だ」
僕は、レンズ越しに見つけた麻痺毒を持つキノコを慎重に採取し、その成分を唾液で分解して簡易的な防衛用毒液を生成した。
二歳の医学者は、絶望を燃料に変えて、夜の闇へと最初の一歩を踏み出した。
目指すは、この地方で最も『症例』が集まる街。
零、君が地獄で生き残っていると信じているよ。
――僕たちの共同研究は、まだ、終わってなんていないんだから。
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