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死んだ魚のような目をしているオレは、盲目なあの子に恋をする。  作者: しましまましま
第4章 夏の夜の夢(A Midsummer Night's Dream)

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第61話 事実がロマンチック

「鈴木くん、今日の景色、もっと教えて」


 鮎川がベンチに座ったまま、こちらに顔を向けた。麦わら帽子のつばの下で、閉じた目が嬉しそうに細くなっている。


「空は?」

「青い。すごく青い。雲が高くて、入道雲が遠くにある。でっかい。何か食べ物に例えるなら、ソフトクリームの山盛り」

「ソフトクリーム。食べたい」

「暑いからな」

「買いに行こう! 帰りに!」

「……ああ」

「他には?」

「足元に影がくっきり出てる。オレと鮎川さんの影が、並んでベンチに座ってる。影だと同じ色だから、どっちがどっちかわかんない」

「影には色がないんだもんね。わたしの世界みたい」

「……そう、かもな」


 鮎川はときどき、自分の世界を「色がない」と表現する。でも悲しそうじゃない。ただの事実として言う。


「でもね、わたしの世界には音の色があるの」

「音の色?」

「うん。高い音は明るくて、低い音は暗い。鈴木くんの声は……うーん、紺色かな。落ち着いた、深い色。ときどき、ふわっと水色になる」

「水色になるのはいつだ」

「わたしと話してるとき。……あ、今ちょっと水色になった」


 心拍数が上がったのがバレている。声の色で感情を読まれている。プライバシーとは。


「他には?」

「ベンチの隣にアサガオが咲いてる。紫。朝に咲く花だけど、まだ咲いてるやつが残ってる。ちょっとしおれかけてるけど」

「アサガオって、朝に咲いて昼にはしぼむんだよね」

「ああ。でもこいつはまだ頑張ってる。午後二時まで持ちこたえてる。根性あるアサガオだ」

「根性あるアサガオ。……鈴木くんの景色の話、花に性格つけるから面白い」

「性格じゃなくて事実だ。このアサガオは頑張ってる」

「じゃあ応援しなきゃ。頑張れ、アサガオ」


 鮎川がアサガオに向かって小さく手を振った。見えてないのに。

 かわいい。

 反射的にそう思ってしまう自分が、もう末期だ。

 ベンチに座って、しばらくぼんやり過ごした。会話が途切れても、気まずくない。風の音と蝉の声が沈黙を埋めてくれる。

 鮎川が麦わら帽子の位置を直しながら、ぽつりと言った。


「ねえ鈴木くん。こうやって夏の公園にいると、思い出さない?」

「何を」

「『夏の夜の夢』。前に凛ちゃんと三人で朗読劇を観に行ったじゃない」


 ああ。あの朗読劇。

 四月の終わり頃だった。凛が見つけてきた『夏の夜の夢』の朗読劇。鮎川に誘われて、「考えとく」と答えたオレは、結局行った。断る理由がなかったし、正直に言えば、鮎川の隣でシェイクスピアを聴くのは悪くなかった。

 朗読劇は役者が台詞を読むだけの舞台だ。衣装も照明も最小限。でも声だけで物語が立ち上がっていく。鮎川は終始、楽しそうだった。隣で小さく笑ったり、身を乗り出したり。凛もいつもの無表情の裏で、目が輝いていた。

 オレは半分くらいしか理解できなかったけど、パックという妖精の悪戯と、恋が混乱していく様子は、なんとなく面白いと思った。

 鮎川がシェイクスピアの話を始めるときは、目の前にある風景と戯曲のテーマが重なるときだ。夏の公園で『夏の夜の夢』。完璧な選曲。


「覚えてるよ。妖精が恋の花の汁で大混乱にする話だろ」

「覚えてた! 嬉しい。鈴木くん、あのとき半分寝てたかと思った」

「寝てない。……半分は起きてた」

「半分じゃん」

「残りの半分は、鮎川さんの横顔を見てた」


 ――何を言ってるんだ。

 口が滑った。完全に口が滑った。

 鮎川がぽかんとした。一秒。二秒。

 それから、頬がほんのり赤くなった。


「……え? わたしの横顔?」

「冗談だ。舞台を見てた」

「嘘。今の声、本当のことを言ったときの声だった」

「……うるさい」


 鮎川がくすくす笑った。追及はしない。でも嬉しそうだ。

 嘘発見器の耳め。何も隠せない。

 鮎川がベンチの上で体の向きを変えて、オレの方を向いた。語りモードだ。シェイクスピアのことを話すとき、鮎川は全身で語る。手振りが大きくなって、声のトーンが上がって、閉じた目の奥にキラキラしたものが灯る。


「あの朗読劇、パックの花の汁の場面が最高だったよね。眠ってる人の目に汁をつけると、目が覚めたとき最初に見た人を好きになっちゃう」

「……目に汁をつけるだけで好きな人が変わるのは、やっぱりチョロいと思う」


 鮎川が笑った。


「また言った。朗読劇のときも同じこと言ってたよね。シェイクスピアにチョロいって」

「事実だろ」

「でもね、あのとき言い忘れてたことがあるの。シェイクスピアが本当に言いたかったのは、花の汁のことじゃないと思うの。人間の恋心って、きっかけ一つでひっくり返るくらい不安定だってこと。今日好きな人が、明日も好きだとは限らない。恋って、そもそも理屈じゃないから」

「理屈じゃない、か」

「うん。この戯曲で一番有名な台詞があるの。『恋とは、目ではなく心で見るもの』って。目で見て好きになるんじゃなくて、心で感じて好きになる。だから――」


 鮎川が少し言いよどんだ。


「だから、目が見えなくても、恋はできるの」


 鮎川の声が、一瞬だけ揺れた。

 目が見えなくても、恋はできる。

 それは鮎川自身のことを言っているのか。

 シェイクスピアの台詞を借りて、自分の現実を語っている。

 鮎川は恋をしたことがあるのだろうか。今、しているのだろうか。

 聞きたい。聞きたいけど、怖い。答えによっては、死んだ魚が本当に死ぬ。


「……オレもそう思う」

「え?」

「目で見て好きになるのは、たぶん半分だけだ。残りの半分は……声とか、言葉とか、一緒にいるときの空気とか。目に見えないもので好きになる」

「鈴木くん、ロマンチックなこと言うね」

「言ってない。事実を言っただけだ」

「事実がロマンチックなんだよ」


 鮎川がくすくす笑った。

 事実がロマンチック。それは鮎川が隣にいるからだ。鮎川がいなかったら、オレの人生に「ロマンチック」なんて言葉は存在しなかった。


「でもね、わたしがあの朗読劇で一番好きだったのは、最後のパックのセリフ」

「ああ。……覚えてる。『もしこの芝居がお気に召さなかったら、すべては夢だと思ってください』って」

「覚えてるんだ!」


 鮎川が嬉しそうに笑った。でもすぐに、声のトーンが少しだけ真剣になった。


「あのセリフ、すごく深いと思うの。恋ってそういうものかもしれない。夢みたいに不確かで、何が本当かわからなくて。パックの花の汁で好きな人が変わるのも、夢の中の出来事みたいでしょ? でも、夢から覚めたあとも忘れられない。目が覚めても、心に残る」

「目が覚めたあとも忘れられない、か」

「うん。……わたし、そういう恋がいいな。夢から覚めても消えない恋」


 夢から覚めても消えない恋。

 オレの恋はどうだ。

 四月に鮎川に出会って、五月に好きだと認めて、六月に告白に二回失敗して、点字の手紙を書いて、雨の日に手を繋いで。

 夢みたいだ。たしかに夢みたいだ。四月の自分が今の自分を見たら、「誰だお前」と言うだろう。死んだ魚が恋をしている。夢以外の何物でもない。

 でも、目が覚めても消えない。毎朝起きるたびに、鮎川のことを考えている。寝る前にも考えている。引き出しの中の点字の手紙のことを思い出して、胸が痛くなる。

 これは夢じゃない。現実だ。

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